人に合わせて支配される生き方

NO IMAGE

人に合わせて支配される生き方

人間は人に合わせて我慢して、支配される生き方と、

人に合わせないで我慢しないで、人を我慢される生き方。

この2種類しかない。

なんせ、人間は価値観、考え方、理念、信念、育った環境の常識など、

ばっらばらで、多様性があるから。

だから、一緒なんてありえないのに、一緒になって共感して、

安心したい生き物が人間の実態。

人間は常に不安、恐怖でビクビク、オドオドしている。

ちょっとここで紹介したい人物がいる。

私だ。

私。

私は、昔から、恐怖、不安に苛まれて、その恐怖、不安から小学3年生の頃から

頭の髪の毛が白髪だらけになっていた。

ちょっとした、コンビニの紙袋がカサカサっと音を立てだけで、

びくっとマーヤキャットが遠くの敵を警戒するためにしゃんと姿勢をまっすぐにする動作をしているぐらい、

常に、ビビりまくっていた。

その恐怖、不安を克服するための人生だったように思う。

では、その恐怖、不安をかいしょうするために何をしてきたのか?

それが、バカになる、アホになる、惨めになる。

という道化師のピエロを演じることだった。

つまりは、おバカなことをやって、くすっと笑ってくれる。

この笑顔をみることが、飴ちゃんになり、快楽のイメージにつながり、

癖になってしまった。

なので、わざと、ワサビの塊をまんじゅうと思って食べてしまったり、

わざと、夏の海水浴のときに、いかだ式の浮き輪にのって、プカプカと

遠くの沖に流され、ドジっ子になり、助けに来てもらったり。

舘(たち)ひろし、という俳優さんの読み方を、わざと間違えて、

かんひろし、と読み、笑いをとったり、と。

人に笑ってもらい、私はこんなにバカですよ、だから敵じゃないですよ、という道具を編み出した、ってわけさ。

その道具も大人になり、使えなくなる。

なにせ、資本主義社会では、効率、手際、間違えちゃいけない、ことで

タイムイズマネーというように、お金と関わってくるからだ。

わざと失敗して、わざと、バカになることをずっとやってきたから、

それが無意識化し、自分は本当にバカなんだ!

と強烈に思い込むようになる。

そしてバカなことをすると、仕事場では怒られるから、

やばい!俺はバカだから、怒られる存在だ!

という第2のアイデンティティーを取得するようになる。

怒られないようにする。

そのためには、効率よく、完璧に、そして結果を出す。

その癖が今度は、立ち上がる人生になってしまった。

ここで、軽くおさらい。

私は、2つの顔を持つ。

・笑顔が欲しいから、バカで、ドジで、間抜けで、どうしようもない私を演じる

・正しいことをして、完璧にやって、結果を出して怒られないようにする私。

この2つの顔を持つが、両方とも、根底には、

恐怖、不安がある。

恐怖、不安を安心、落ち着き、のんびり、リラックスしたい!

が強烈にある。

なので、出発の私が、恐怖、不安なので、

いくらバカになり笑いを取ろうが、正しいことを完璧にやって結果を出し、怒られない状況を作ったとしても、

小手先の単なるやり方レベルになるので、恐怖、不安は残ったままになる。

私。

そもそも、私はペンギンなのに、

鷹のように空を飛ぼうとしたり、

チーターのように地上を早くはしろうとしているのだ!!!

のだ!

野田くんよ!

本当に、そう。

野田くん、君もわかるだろ?

その気持ち?

と全国の野田くんに語りかけてみた。

私というアイデンティティーがあり、それを残したままで、

別の自分になろうとしている。

私。

私という人間。

私という人間は、恐怖、不安そのもの。

それを明確に知る必要がある。

人間は常に恐怖、不安を抱える存在であって、それを解消、克服するために人類史があったといっても、

過言じゃない。

じゃぁ、一体、この恐怖、不安をどう取り扱っていけばいいんだ?

と、野田くんは、考えるだろう、きっと。

これは人間共通になるが、実は、人間の脳が、自分という境界線のエゴをつくって、

自分と、自分以外の世界と切り分けてしまう機能が備わっている。

つまりは、人間とは恐怖、不安を自らの意思で作り上げているんです。

よ、野田くん。

なので、人間じゃない所から、人間になり、人間がなぜ、脳という分離する機能を持つようになったのか?

その仕組みを理解する必要がある。

いきなり話が飛ぶかもしれないが、人間を超えた世界。

そこから、人間をみることで、恐怖、不安の正体がバッチリみえる。

なので、人間を超えた世界である、神様、ビックバンの前、空、悟りのイメージを得ることが重要になる。

私は、今から、3、4年前?かな

あるイメージをもらい、神様を掌の上に乗せてしまった経験があるので、

よくよく、恐怖、不安がみえるようになった。

それが思い込み、信じる、というパワーの弱いイメージじゃなくて、

完璧に、右脳と左脳を納得される、論理、プロセス、科学的思考と、

イメージ体系によって、悟りをイメージできる認識技術という教育に出会い、

恐怖、不安が、恐怖、不安なんだけど、出会いたい塊であり

喜びである、そのイメージに切り替わってしまった。

野田、じゃなかった、ので、人に合わせて我慢し、支配される生き方を

ストップするには、

根幹にある恐怖、不安があるから、人に合わせる生き方をしてたんだなー、とまずは1段階理解する必要がある。

恐怖、不安がなかったら、人に合わせる必要なんて、さらさら、ないしね。

怖いから、不安だから、人に合わせてしまうんだよね。

なので、人に合わせる、人に合わせない生き方は、

まずは、自分の中にある恐怖、不安の正体を突き止めて、

不安、恐怖の付き合い方を変える必要がある。

なので、

不安、恐怖は人間はするものだから、人間から脱出して、人間じゃない所から、

どう人間が生まれて、どう人間の中に恐怖が生まれてきたのか?

その仕組みを知ろう。

ぜひ、野田くん。

一緒に、その世界へ行かないかい?

では、では、今日は野田くんに集中攻撃的な文章になってしまったけど、

野田くん以外の、小池くんも、一緒に恐怖、不安を超えた世界を見に行こうぜっ!

では、では、この記事を読んで、気になった人は、メッセージくださいな。