知っていることは、知らないことと「知ること」

知っていることは、知らないことと「知ること」

■知っていることが弊害の世の中

今までは情報を知ることで様々な問題を解決してきた人類。

けど、これからは情報を知っていることで様々な問題が

「怒ってしまう!」!いや、「起こってしまう」時代に突入してしまいました。

様々な情報が氾濫してしまって、そこからジャッチ、否定、判断、によって

「怒ってしまう」ぐらい情報に埋没、支配されてしまっている昨今。

では、では、なぜ情報をたくさん知っている、持っていると

そういった争い、摩擦、衝突、紛争、戦争、ガチガチのぶつかり合いが起きるんでしょうか?

たくさんの知識を知れば、客観的になれ、情報共有が生まれ、許容量も大きくなり

寛大になり、人と人と分かり合える度合いが増える、膨らむ、と思いますよね。

なぜ?

知れば、知るほど、人と人が分かり合えなくなる?

これは、自分の体験ですけど、自己啓発、スピリチュアル、平和活動、既得権力の話し、講演会など

あらゆる「知る」ことに時間とお金をかけてきた結果、「知らない人」を馬鹿に

してしまう自分になってしまった。

頭ではバカにしているつもりはないけど、無意識深くでは、バカにしてしまう。

「こいつ、こんなことも知らんのか。」

「マスメディアに踊らされているな、事実も知らないで。」

「浅い話ばっかりして、深い話し、本質からみたら、どんなの、どーでもいいじゃん!」

など、など。

自分は知っている、相手は知らない、だから、バカにする。

そんな傾向にあったけど、

頭では目の前の人は宇宙が始まって初の存在だし、オンリーワンだから尊いよね、あなたは。

と考えるが、無意識ではどうしてもバカにしてします。

人って考えを無理やり抑えて、人の前では建前で言いことは言えるけど、

感情が許さない。

■人間は正しい世界をみているのか?

知識がたくさんある人は、人のことをバカにしてしまう。

このことは、知識人と言われている人が、世間一般人を馬鹿にするのをみれば分かるように、

やはり、知っている、ということは昔は武器になり、役に立ったけど、

これからの時代は関係性時代なので、知っていることが逆に、足かせになる。

知っていることによる争い、ジャッチ、関係性が作れない、ことのほうが問題に

なっている。

じゃぁ、情報を取得しないで、新聞、雑誌、一切の情報をシャットアウトすればいいのか、というと

そうでもないような気もする。

じゃぁ、一体なにが問題なのか?

それは、知っている、と思い込んでいることが問題だと思う。

知っているつもり、知っていることが正しい。

これが問題。

実は、人間がたくさんの膨大な情報を得て、知っている、ことで、喜んでいるが

人間は、知っていることは、1秒も、1ミリもない。

ということを知るのが大事だと思う。

ソクラテスが言っていた、「無知の知」知っていることは1つもないのに、

人間は知っていると思い込んでいる。

という言葉のように。

知っているというのは、誰かが「これはこうね」というルールをただ、丸暗記しているだけであって、

本当の知っている、とはならない。

知る、というのは、

人間とは何か?

人間はどこからきて、どこに向かうのか?

なぜ、自分は生まれたのか?

自分は人間であり、人間はなぜ存在するのか?

宇宙の始まりはなぜ起きたのか?

そういったことに、全て答えが明確にできることを「知った」ということになるけど、

誰も明確に答えることができない。

だから、人間は知らない、無知による恐怖、不安で生きていることになる。

それはまるで、のこぎりが、釘を打とうと思ってうまく行かないのと同じように。

それは、まるで、トンカチが、木を切ろうとして、うまく行かないように。

人間と言う機能、役割、それが分からないと、

どう生きていいか?分からない。

生まれたってことは、なぜ生まれたのか?それに答えないと、意味がないですよね。

なので、知ってることが弊害になっていると、さっき話したけど、

知るべきことが、いらんことを知っている、から、無駄なことを知っているから、争い、摩擦、衝突、

戦争が起きる。

もっと端的に言ってしまうと、どーでもいいことを知ろうとするから、問題が起きる。

どーでもよくない、知るべきことを知る、のが大事であって、

その知るべきは、人間とは何か?宇宙がどうやって生まれたのか?という本質的な問いに

答えることができる、それを知ることが重要だと思う。

けど、今の思考パータンは、どうやったら、お金を稼げるのか?どうやったら、

自分が快適な人生を送れるのか?という問いしかしないから、

答えもそのペアになる、考えしか生まれない。

人間が幸せになるには?の質問が大事だけど、実は、その真逆である、

なぜ人間は不幸なのか?

なぜ人間は争うをするのか?

という質問に答えることができる「知」を知ることが大事だと思うし、

それを知ることで、問題が問題ではなくなる。

人間は質問をする存在なので、最終的なボスキャラである、質問に答えることが

できれば、質問から自由になり、質問からくる知る、ことからも自由になる。

つまりは、なぜ人間は質問するのかというと、

質問から、質問からくる、知るという「知識」から自由になるために、質問がある。

なので、知るべきことは、

なぜ、人間は質問をするのか?

その答えが、明確に分かったときに、

人間が分かり、宇宙がわかり、なぜ生まれたのか?なぜ存在しているのか?

それが分かるようになる。