6時14分の目覚めの瞬間

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けけけけけっ。カァッ、カァッ、カッkかかかーっ!

と今までの苦しみ、悩み、挫折、鬱、無気力、あらゆる人類の

十字架から降りた瞬間。

614の目覚めの瞬間。

これは私個人の気づきのシェアになりますが、今日の朝、6時14分に大きな目覚めがあったんです。

昔にインドに行って悟りを開き、日本に帰ってきて、

生ゴミが散らかっているゴミ収集所や、車の汚い排気ガスなど、見るもの全てが美しくなって感動で涙を流したり。

または、何かの紙袋のシワが妙に可笑しくなり、ケラケラ1時間以上笑い転げてしまったり。

世間一般から見たら「完全に頭がおかしい?」と思われるような世界が超美しく見えてしまう。

そんな認識に変化したのが、今から10年ぐらい?前になるんでしょうか。。。

そのインドの悟りは瞑想をして勝手に「降りてくる」というそれはまるでハプニングのような形で悟りは訪れるので、

いつの間には、そのハプニングが起きなくなり、世界を神秘神聖な感動の認識で見ることが出来なくなってしまった。

その感覚、その美しい世界を見る認識を一旦手に入れてしまったので、これは、これで地獄。

シェイクスピアでも言っている通り、「知らない方が幸せなことがある」と言わんばかりに、悟りの感覚を知らない方が良かった・・・、と後悔して生きていた自分も思い出した。

しかし、今日がその記念べき日になり、あの悟りの感覚が蘇ってきた。

というより、その「悟りの感覚もない」というのが正しい言い方かもしれない。

感覚というのは、ある意味、先ほども言ったけど、ハプニング的な要素が大きい。

だから、再現が不可能で、人に伝えることもできない。

今までのインドを中心とした悟りは、主観的で、その世界は誰にも伝えられずに、その人本人が「悟った!」というしかない世界。

だから誰もその検証は出来ないし、世界は数学から組み立てられている物理学、今なら量子力学という方程式を活用した社会、世界を作り出している。(スマホ社会なんかがそうですね。このことを詳しく書くと脱線するので今日は割愛)

なので、インド中心の瞑想、直感、主観的な感覚というのは、世界には通用しない。

ある程度までは広がるけど、全世界の人たちには伝わらない世界。

だから、悟りの再現、科学化、人に伝達できる教育体系化が必要になるが、それを担っているのが、認識テクノロジーという言われる

nTechという技術になる。

悟りをイメージできる技術になるが、全てが1つというそのインド中心の悟りをも、「ない!」というそこをバッサリやっちゃう世界。

なので、基本的には、人間がイメージできない世界なので、普通の言語では人に伝えることが不可能なので、

人類が初めて使うイメージ言語というものをNoh Jesu氏が開発した。

それを元に自分もイメージ言語を活用、応用していく中で、今日、あらゆるものが、

「ぱつんっ!」と繋がり、614の目覚めの瞬間である、再現できる悟りのイメージを得ることができた。

それを掻い摘んで、語ろうと思う。

■思考は現実化する

誰もが聞いたことのある「思考は現実化する」という言葉。

けど、この言葉を知っているけど、実践、実感レベルに落とし込んでいる人は少ないと思う。

自分もそうだったし。

この思考というのは、感情、エネルギー、アイデンティティーと全部が繋がっているので、

そこを見る必要がある。

つまりは、人間の思考の奥にあるアイデンティティーを確認することで、初めて

「あぁ、思考は現実化してるわ!」とビックリ仰天する瞬間が訪れる。

つまりは、無意識奥深くにある自分のアイデンティティーを知らずに、気づかずに生きている、いや、

自分で自ら「気づかないように」設定して生きている。

そう、自ら気づかないように仕組まれているのがとても面白い。

この面白いというのが誤解を恐れずに言うならば、全ての苦しみを自分で作って、自分で自ら突破していくと言う

ゲームを自分で作り出している。

言い方を変えると、それは神ということにも繋がる。

なので、シンプルにいうと、あなたは神ですよ、ということになる。

(実は、あなたは神をも超えた存在ですよ、というのが正解だけど、これまた語ると脱線するので割愛)

どんどん話が脱線していくので、自分の体験に戻りますが、今日の朝何が起こったかというと、

自分のアイデンティティーに明確に気づけた、ということになります。

■私のアイデンティティーはこれだ!

では、暴露話になりますが、私の無意識には、こんな自分がいます。

「私は、惨めで、バカなんだ。」

こんな自虐的な自分がいつも存在しています。

でも、そんな人間的に見たら、マイナスの感情をいつまでも握って離さないなんて、それこそバカだよ、ともしかしたら、あなたは思ったかもしれないですね。

実は、バカじゃなくて、戦略なんです。

そう戦略。

自分が自作自演で演じた、ゲームなんです。自虐的な自分を存在させているのは・・・。

よく分からないと思いますので説明しますが、

「私は惨めで、バカなんだ」というのは、人から愛される必殺技でもあるのです。

実は過去に、惨めな状態を作り出すことで母親の愛情をもらうという飴玉があり、バカなことをすると

「クスっ」と笑ってくれる。

愛情たっぷり、母親の笑顔が見れる。

子供からしたら、母親に愛されるために必死な戦略、戦術、愛されるための必殺技探しをマジで探す。

その必殺技が自分の場合は、「私は惨めて、バカなんだ」ということになるんですね。

それが絶対に愛される自分だ!と決めつけて、ずっと人生を送ってきたんですね。

それで心理学や、深層世界、悟り、と追及していく中で、

「私は惨めで、バカなんだ」という子供ながらの必殺技は、大人になってからは通用しなくなった。

と思い込んでました。

もちろん、大人の世界は仕事をしますから、バカなことをする、つまりはミスや、失敗をすると、めちゃくちゃ怒られます。

怒られた時に、あ、バカだと怒られるんだ!もうバカなことを辞めようと決断するわけです。

だから大人になったら、「私は惨めで、バカなんだ」という愛されるための必殺技を繰り出すのは辞めようと思ったんです。

ところが・・・

朝6時14分に、それも実はうまいこと自分で自分を騙していたんですね。

どういうことかというと、

バカにされないように怒られないように必死に完璧にやって、それでも怒られる。

こんなに苦労して一生懸命やっても失敗する、努力が報われない。

ということを通して、それ自体が惨めな自分を演じていたんです。

ちょっと分かりづらいですかね。

惨めになりたくない、バカになりたくないと大人になって決断したつもりが、実は、

惨めになりたくない、バカになりたくない、と頑張って努力して、それでも惨めで、バカになってしまう。

という一生懸命努力しても、それでも惨めでバカなんだ、という方が、悲惨ですよね。

この意味わかりますかねぇ。笑

もっと単純にいうと、自分の人生は、どんなことをしても、何をやっても、惨めでバカな自分というキャラはぬぐい捨てれない。

ということなんです。

では、そのことに気づいたことの何が凄いのか?

この凄さは、自分というキャラのアイデンティティーは、自分というエゴが存在した瞬間に、

感情よりもっと深い人間の体の深くに染み込んでいる肉体のホルモンや、脳の電気信号のシナプスの配線レベルになるぐらいの

絶対の固定、絶対の条件反射、絶対のルールになるんですね。

もう動物的な反応に近いので、梅干しを見たら、つばが出てくる、

ジェットコースターに乗ったら、ふっと心臓がズレるような感覚。

そんなものに似ているので、もうこのアイデンティティーというのは人間の世界では、変化が不可能とされていました。

けど、しかし、

エゴを超えた悟り、自分が人間じゃない、神、いや神以上の存在ということを認識できる認識技術であるnTechを活用、応用することで

この習慣化、パターン化されたアイデンティティーから出れる。

まさに奇跡。

自分はこの「惨め、バカ」という自分の外に客観的に出た時に、

あぁ、全部、自分の人生はこのアイデンティティーから生まれているな、と笑いが込み上げてきて、

10分ぐらい笑いが止まらなかった。

それが冒頭に書いた、

けけけけけっ。カァッ、カァッ、カッkかかかーっ!

という訳の分からない笑いになる。

人間というのは自分で自分のことは分からないように仕掛けている。

なぜそんなことを?

苦しみ、悲しみ、絶望という変化するためには絶対に必要な必殺技を使うことで、

この体というちっぽけな自分じゃないんだよ、本当のあなたは。

とメッセージしている。

なので、悟りの観点から見ると、苦しみ、悲しみ、絶望は、

人間を神化、神を超えた化、させるための愛そのものでしかない。

なかなか、苦しみを愛と思えないのが、しょうがないです。

それは悟りというものを伝える技術がなかったから。

これからの時代は悟りを伝えることができ、人間が進化していく。

ということで、うまくまとまったかは知りませんが、

今日は、6時14分の目覚めの瞬間というテーマでお届けしました。

最後までお読み頂きありがとうございました。