千利休は悟っていた「お点前」の意味

NO IMAGE

昨日は、千利休と大阪城の歴史ツアーに参加した。

令和哲学者 Noh Jesu 千利休・大阪城ツアーにて

Noh Jesu氏の解析ツアーとなったが、千利休がいかに悟っていたのか?

いかに平等の世界を作り上げたかったのか?

Noh Jesu氏の解析を聞いてなるほどぉ!と思った次第。

そのことを今日は書いてみようと思う。

千利休のことはたくさんの情報がネットから調べれば分かることなので割愛しますが、簡単にいうと日本のお茶というバラバラなものを、文化にすることを確立した人、とも解析できる。

きらびやかな金屏風のお茶席である秀吉とは対称的に質素倹約な千利休の

お茶の世界。

これは何を意味するのかというと、秀吉は高さの幸せのシンボルであり、千利休は深さの幸せのシンボルを意味する。

深さというのは、全てを手放すことにもつながり、すべてのしがらみ、すべての役職、すべての考え、感情、イメージをも一旦捨てるという意味にも繋がる。

話は脱線するように聞こえるかもしれないけど、宇宙はビックバンの点から生まれている。

この点が生まれた瞬間から、実は、人間の不幸が始まっている、とNoh Jesu氏は言う。

点の世界。

それをお茶の世界では、お点前という言葉を使うが、これが

点の前の世界になる。

つまりは点の前の世界とは、点がビックバンであるならばわその点の前なので、宇宙を作った神とか、サムシンググレートとか、タオとか様々な言い方になる。

そんなたくさんの言い方はあるけど

Noh Jesu氏はこのことを「心」と定義している。

そう、心とは、人間の5感覚で感じ取る世界でもなく、

見る、聞くなどにもキャッチできない深淵な世界が「心」であり、悟りである、と言うことになる。

人間の5感覚でキャッチできる世界は相対世界であり、分離、孤独、不安と言う設定がなされているのが人間であり、

人間の5感覚の脳を超えた世界である「心」のポジションになることで、初めて人と人が出会える。

人と人が分かりあえる。

人と人がフラットであり、平等になる。

そんな平和な社会、世界を作り上げようとしていたのが千利休だったんですね。

お茶という世界を通じて伝えたかった世界。

ぜひ、お茶の世界から、悟り、心を人間の脳の5感覚じゃない感覚で

受け取ってみてはいかかでしょうか?

心、悟りのイメージ出来ない世界をイメージ可能にしたnTechについてはこちらから。

http://www.nr-japan.co.jp/industry/

では、では、今日は千利休は悟っていた解析というテーマでお届けしました。

ありがとうございました。