悟っている人の「2つの」見分け方とは?

悟っている人の「2つの」見分け方とは?
悟った人の驚異的なコミュニケーションを「生」で出会え、質問もできる
本物の21世紀の悟り人をご自分の目で見分けてください。
NohJesu nTech マスター 1Day | Projec J ワークショップ (reiwaphilosophy.com)

悟っているとは、どんな人なのか?

悟っている人をどうやったら見分けることができるんでしょうか?

自分は悟りを追求し宗教に10年間修行、悟ったと言われる人のセミナーに片っ端から参加をし、それでもよく分からず、

大自然の中に答えがあると思い、コロラド州のインディアンに出会いに行き、灼熱地獄のようなテントにこもって死にかけるような儀式などにも参加などしました。

また悟りと言えばインドなので、インドの聖者に出会いに行き、そこで1ヶ月も瞑想、そして沈黙の業(一切喋らない)などをしました。

その結果、悟りを開くことが出来たので、悟った人にも段階があり、それを見分けることが出来るようになりました。

自分がどんな悟り、どんな覚醒したのかはまた別の機会に語りたいと思いますが

なぜ、悟りを見分け方を伝えるのかと言うと、中途半端な悟りで自分は苦しんだので同じような想いをして苦しんでいる人がいることを感じ、

早く、中途半端な悟りから多くの人が脱出して欲しいな、と思ってブログを書いています。

ちょっと生意気に聞こえるかもしれませんが、ぜひご参考にして頂けたらと思います。

世間一般の悟った人のイメージはちょっと違う?

世間一般的に悟ったと言われる人のイメージは、

いつもニコニコ、怒りの感情がなく何があっても寛大で許してくれる。

そんなイメージじゃないでしょうか?

その悟りは1段階目の「フェイズ1」になります。

自分も全て存在が美しくなってしまい、母親の怒り、イライラの小言の音を心地よいメロディーのように感じてしまうこともありましたが、

その感覚は、悟りの初期段階なんですね。

体の5感覚レベルで気持ち良くて、何があっても大丈夫、許せる、楽しい、歓喜、感動という感情が常にある状態です。

これがいわゆる世間一般的な悟りのイメージですよね。

これはインドの聖者の悟りのイメージですが、現実世界とはかけ離れてしまって「現実社会になじめない」という弱点があるので、

悟りの初期段階なんですね。

インドの聖者で宇宙と完全に繋がって、一切、怒り、憎しみ、悲しみの感情がなくなってしまった人に会いましたが、現実的に生きていくことが出来ない状態でした。

(※この人についても別の機会で語りたいと思います。 )

悟りの初期段階であるフェイズ1の状態は、感覚の悟りになるので、環境によって影響を受けてしまい悟りの状態をキープするのが難しい欠点もあります。

 

■悟りの2段階目の人とは?

では、感覚の悟りである初期の段階から、次の段階の悟りとはどういった状態でしょうか?

それは悟った状態から、またこの現実に戻ってくる、現実の悟りということになります。

この2段階目の悟りは、ちゃんと現実に足をつけて、現実を生きることができる状態です。

人間は怒り、悲しみ、苦しみ、などのマイナスと言われる感情と、喜び、歓喜、感動などのプラスと言われる感情がありますが、

この現実は、2つの相対的なペアで成り立っています。

なので、プラス、マイナスのどっちも楽しめる境地が悟りの2段階目に当たります。

つまりは、苦しみ、悲しみ、というマイナス感情も、嬉しい、楽しい、感動というプラス感情も、どちらも楽しめる境地になります。

この楽しめる境地というのが、どんな状態なのかと言うと、

プラス感情、マイナス感情を自分で自ら選択できることになります。

例えば、

怒りの感情を出すほうが、相手にとって変化できるタイミングだから、

「おいっ!てめー、舐めてんのかぁ!バカヤローっ!!!」と怒鳴り散らすことをしよう、みたいな感じです。

一見、この人怒りっぽいから「悟ってないんじゃないか?」と疑うことがあるかもしれませんが、怒りの感情は人間の中では一番パワーがあるので、相手を変化させるために、たまたま道具に使っているだけです。

それはまるで、映画俳優さんが、ヤクザ役に扮して人を怒鳴り散らすことを演じる、みたいな感じでしょうかね。

感情を選択できること。

これが悟りの2段階目の人の特徴です。

自分もまだまだ、明確に感情を出し入れすることは難しいんですが、

怒りの感情を出しながら、それを見つめている自分もいて、怒りを出している場面で、急に笑いが込み上げてきて、

「まずい、まずい、今の場面は怒りを相手にぶつける方がいいから、笑わないようにしよう」という訳の分からない状態にもなることもありました。

世間一般的には、悟った人は、怒らない、イライラしない、ムカつかない、と思いがちですが、

実は、お釈迦様も怒りっぽかったと言われていて、不謹慎かもしれませんが、お釈迦様がなくなったときに、ほっとした弟子もいたみたいですね。(酷いなぁー。)

でも、お釈迦様は激怒して弟子をしかりつけたときに、一瞬で、その弟子を抱きしめられる愛もあったと言います。

普通なら、怒った瞬間はいつまでも尾を引いて、へたすればそれが何か月、何年も恨み続けるという形で「恨み」と言う感情として蓄積されてしまいますね。

お釈迦様は怒った瞬間に、もう、ニコニコして愛を発信できるというまさに神業が出来たとされています。

さすがお釈迦様!

怒りと愛を瞬時に、切り替えることができたようですね。

なので、タイトルに書いたように悟った人の「2つの」見分け方とは、

いつもニコニコ、楽しそうな状態が悟っていると認識している人は、1段階目の悟りであり、

プラスもマイナスもない、どちらも楽しめる境地が、2段階目の悟りになります。

この2つの見分け方で、その人の悟りがチェックできますね。

 

僕らができる悟りトレーニングとは?

では、感情を出したり、ひっこめたり、自分の意思で感情を選択することができる境地になるためには、どうしたらいいんでしょうか?

悟りにも段階があり、ピンキリなので、初期の悟りのほんの入り口になりますが、

感情に掴まれない、というトレーニング方法があります。

それは、自分がイラっとしたり、ムカついたり、自分が絶対許せないって思った瞬間。

その瞬間がトレーニングする大チャンスになります。

怒りというのは、思い通りいかないところから発生していて、その背景には

「自分が絶対に正しい!」というイメージが潜伏しています。

なので、「自分が絶対に正しい!」というそのイメージを発見することが自分の感情を掴むトレーニングになります。

無意識深くにある自分の正しさから、怒りが出てくるという客観視できると、感情を自分でコントロールすることができるようになるんですね。

けれどもこのトレーニングはとても難しいと思います。

なぜならば、人間というのは、怒りが発生した瞬間というのは、考えという理性

ぶっ飛んで目の前の人せいするという条件反射しか出来ないのが人間だからです。

ぱっと見て、ふっと思い、ふっと出た怒りの感情は自分が問題とは思わず、

目の前の人の責任にする。

そんな思考パターンが瞬時に走るので、それにすら気づけないのが人間ですが

この思考パターンは、自分の身を守る、存在を守るための生存本能と直結しているので、かなり難しいトレーニングになりますね。

なので、イラっとしたり、怒りの感情が出たときは、その瞬間は怒りの客観視はとても難しいので、あとで「なぜ怒ったんだろう?」と落ち着いて、紙に理由を書いてみることをお勧めします。

自分はこんなパターンの時に怒りが出てくるんだね、と客観視することで感情をコントロールすることが出来るようになります。

もちろん怒りだけじゃくて、悲しい、苦しいという時も「なぜ苦しんだろう?」

「なぜ悲しんだろう?」と理由を紙に書くことで客観視が出来るようになります。

こうやって感情を見つめて、自分の感情を客観視できるようになると、

悟りの初期、悟りのほんの入り口に、足をかける、かけた、というレベルに

到達するので、ぜひやってみてください。

では、では。

今日は悟っている人の「2つの」見分け方とは?というテーマで語ってみました。また次回。

 

PS:

ここで残念なお知らせです。(悲・涙)

実は、感情というのは、イメージから発生します。

そのイメージというのは人間の脳の記憶の残存映像から発生します。

なので、人間の脳の残存映像を一旦ゼロに戻すことが出来ないと、本当の意味での感情をコントロールすることは出来ません。

この脳の記憶の残存現象を一旦0化することは、nTechという認識技術によって可能になりますが、

感情をコントロールすることよりも、もっと素晴らしいメリットがあります。

それは、コミュニケーションで、相手と意思疎通ができるってことです。

つまりは、自分の知識、経験などを一旦0にすることで、相手の話が聴けるようになり、相手そのものになってしまうのです。

「相手そのものになってしまう」ということは人類史上、ありえない奇跡なんですね。

それはなぜかというと、

目の前の人と一体化でき、初めて相手そのものになりきり、相手も知らなかった相手のイメージまでも汲み取ることが出来るからです。

それは分離からくる恐怖、不安、焦り、苛立ちなどをクリアでき、一体化という安心の境地に至ることで平和の心の種を植える

人間関係性が構築できるのです。

そんな「相手そのものになってしまう」という

第2段階の悟りの人の驚異的なコミュニケーションを「生」で見ることが実は、出来るんです。

「生Live」desu.(デス)

Noh Jesu氏という韓国人による令和哲学カフェという交流会で「生」体験ができます。

人と人が1つになる、深い世界で繋がるという人類史上のありえなかった奇跡の現場を見ることが出来ます。

参加者の感想、コメントも見ることが出来るので確認してもらえばいいと思いますが、

参加者が脇の下に変な汗をかき、1時間半が、わずか7分ぐらいに感じてしまう変態を通り超えたカフェ会。

それが令和哲学カフェになります。

しかも、毎日配信しているって・・・・。

ぜひ、フェイズ2の悟った人の人間業じゃない「相手と1つになってしまう」コミュニケーションをご自分の目で確かめみて下さい。

※ズームを使ったカフェ会で多くの方が参加し定員オーバーになるとYouTube視聴に回されてしまうので、興味のある方だけ令和哲学カフェには参加して欲しいです。

     ↓

http://reiwaphilosophy.com

(令和哲学カフェ)