億万長者でもお金に支配されている「その理由」
- 2018.10.16
- 悟り(本当の自分)
■資本主義社会とは一体何だと思いますか?
「資本主義の完成という記事」が「めちゃくちゃよくて」
その中で、気づいたことをシェアしますね。
(資本主義の完成とは? Noh Jese氏に聞く)
資本主義ってそもそも何でしょうね?
端的に言ってしまえば、お金中心の社会ですけど、それじゃぁお金って何?
お金の本質って何でしょうね?
お金の本質は、価値の物々交換だ、という人もいますが、さらに
その価値って何?と更なる深潜り、潜水艦で海底まで沈んで
検証してみようー。
価値って何ですか?
あなただったら、なんて答えます?
■あなたにとって価値とは何ですか?
ズバリ、あなたにとって価値とは何ですか?
この質問に、ズバっと答えて欲しいです。
ズバリ、ズバット、考えて欲しいです。
なぜならば、資本主義社会は、お金中心の社会だし、
お金とは価値が生まれたときに発生する存在だから。
なので、価値というのもが分かれば、お金が分かり、お金が分かれば
資本主義社会も分かり、
その資本主義社会に生きている私たちが、どう生きていけばいいのか?
明確に分かると思うんですよね。
どうですか?
価値って何だと思います?
■価値の本質ってなんだろうー?
価値。
カチカチ。
カチカチと、チャッカマンで火をつけて、興奮、感動させるような
ある意味、嬉しい、楽しい、素敵♪と言ったような
喜びの感情を得れるのが価値、という定義もできるんじゃないでしょうか。
自分にとって喜ばしいこと、それが価値。
ネコに小判、豚に真珠って言葉があるけど、イノシシや、豚を狩るような
原住民に、高級ブランドのコーチの財布を与えても、喜ばない。
それよりも、獲物をたくさん入れられる竹で出来た田舎の中古屋で売っているような
150円ぐらいする大きなカゴの方が、彼らには価値がある。
「いっぱいモノ入るじゃん、やったー!」という具合に。
自分も、実はあまりブランドを知らないので、コーチの財布を売る目的なら
欲しいと思うけど、ぱっと見て「ただの塩化ビニールじゃん。」と
夢もロマンもないようなセリフを吐いてしまいオシャレな女性の敵をたくさん
作ってしまうようなタイプです。。(涙
なので、価値は喜びの感情を得れる、と定義できると思いますよね。
喜びの感情と価値はイコールでしょうね、これは。
■人間にとって最大級、メガトンクラスの喜びとはどんな状態?
では、喜びの感情を得ることが価値と定義づけてしまったので、
それで話を続けたいと思います。
また、また、質問になりますが・・・・
あなたにとって、最大級のメガトンクラスの喜びとは、一体なんですか?
と、投げかけてみます。
どうでしょうか?
メガトンですよ、超メガトン級のヤツ。
自分だったら、この単語を使います。
それが、「幸せになる」
そう、幸せになるという言葉を使います。
幸せ。
幸せになる、その状況になることが価値がある、と思います。
どうでしょうか?
不幸になりたいな、というよっぽど、ひねくれた人じゃない限り
誰もが幸せになりたいって思いますよね。
幸せの定義はさておいて。
話が脱線しない程度に、幸せというのは「辛い」という漢字に
「 ー 」 こういった一本の線を入れると、
幸せになります。 辛→ 幸 (- を入れると、「幸せ」という漢字になる)
つまりは、1つ。
全ては繋がって1つしかないね、と差が取れた、悟りの世界を言います。
それが幸せになります。
一 が抜けると、辛くなる、ということ。
話は、脱線したので戻しますが、
幸せになることが価値があると思うし、価値があるからこそ、お金を出す。
なので、資本主義社会は、お金という貨幣が循環している社会なので、
お金が循環すれば、するほど、価値が循環し、価値が循環すればするほど、
幸せが満ち溢れる社会になる。
そう、お金は価値であり、幸せに変換した存在なので、お金が回れば、
人間は幸せになるのです。
そう、しあわ。・・・・せに・・・。
幸せ。幸、、、辛。
辛い・・・・。
幸せじゃなくて、辛くなってる!
棒が、棒が、1本の棒が足りない、探さないと、どこにある?
と、現実世界に探しても見つからないんですけど、
お金が循環すれば、価値も循環し、価値が循環すれば、幸せも循環する。
はず・・・
ですが、人間がどう考えても幸せになっているとは思えない。
(無理やり、プラス思考で幸せ♪って思い込む人はたくさんいますが。。)
なぜ?
どうして資本主義社会の中で、幸せになれないんでしょうか?
■資本主義社会と人間の幸せが=にならない原因
あまり考えたことがないと思いますが、
資本主義社会では、通常通りならば、人間が幸せになります。
じゃぁ、なぜ、お金まみれの、「政治家どもめぇ~!」と台詞を吐き捨てたくなるような
恨み、つらみ、を抱えている人が多いんでしょうか。
この世界を牛耳っている支配者は、お金のために
一般市民を苦しめてると感じて、
「て、て、てめえら~ 俺らを虫けらのように扱いやがって・・(怒)」
などという感情を激しく世の中にぶつけている人もいます。
では、なぜ?
資本主義社会の一体何が原因で、人が幸せを感じれなくなってしまったんでしょうか。
単純に、人間のエゴが原因だよね、と答えてしまたら
詰まらないので、他の切り口から考えてみましょうか。
■あなたは頑固な鬼瓦権造(おにがわら ごんぞう)ですか?
川の循環というものから、お金というものをアプローチしてみましょうか。
川の流れが滞ってなく、スムーズに次から次へと、水が海に流れていく。
留まることなく、循環している。
けど、川の水が、どこからか、横道にそれて、川の水が溢れだし、
それがいつしか、水たまりになってしまう。
その水たまりは、ずっと、そこに停滞して、滞り、臭くなる。
ドブのヘドロをイメージしてみてください。
臭いですよね、何か生命の躍動や、何か新しい存在が生まれる感じしないですよね?
細菌や、ばい菌とかじゃなくて、ピチピチした生命の躍動のようなヤツです。
その点、次から次へと、海に流れている循環している川の水は、ピチピチと威勢のいい
鮭、マス、などが生命感あふれんばかりに、ぐいぐいっと勢いよく泳ぎ、
ときには、水面をジャンプとかしちゃったり、する。
ぴしゃっ!と。ピチピチと。
このように生命溢れる循環する川と、循環しない滞っている川と2種類が
あるとしよう。
まず循環しない留まってしまう川は、水が留まると、腐ってしまう。
留まる、固定、こうだ!という融通のきかない頑固親父は近くにいませんか?
それと川の腐った水たまりは、そっくりです。
「てめえら、わけーもんにはまだまだ、負けるわけにはいかねぇ。」
「俺様が言ったことが正しいんだから、俺が言ったことを素直にやれば、
うまくいんだ。」
「冗談じゃねぇぞ、バカヤローっ。」
みたいな鬼瓦権造みたいな、留まっている、自分の考えに固執している、人の意見を
まったく聞き入れない、循環しない、そんな人が。
それとは逆に完全循環である、川が海に流れるような柔らかい人は、
どうでしょうか?
どんな意見でも、自分の考えに固執しないで、受け入れる。
賢い柔軟性のある起業家は、高校生のアイデアをすぐに商品化してしまったり、する。
人と人の循環が活発に起きれば、起きるほど
アイデアがピチピチと、ぴぃしゃっ!と新鮮な魚のように
勢いよくバンバン出てきて、現れ、それが形化されます。
このように、停滞している固定している考えの人と、
循環が起きなんでも、アイデア取り入れる柔軟性のある人。
この2つの人間をメージをすることで、
資本主義社会で、人が幸せを感じれなくなってしまう
原因が分っちゃうんですよね。
本当に。
それを説明してみましょー。
■人間を幸せにさせない原因ってなんだろう?
人間の幸せを阻む、そうさせない原因って考えたことありますか?
幸せになりたいんだったら、幸せにならない原因を探さないといけないですよね。
ストレート言ってしまうと人間が幸せにならない原因は、考えです。
考えることで、不幸を産んでいます。
私は不幸だ、と考えるから、不幸になる。
未来を不安することを考えるから、不安になる。
と、言ったように、シンプルだけど、当たり前なこと。
考えが不幸を産む、だから考えないようにしよう、というのが
瞑想とか、呼吸法とか、いろんな技法があるけど、人間は考えを
持っちゃっているから、一時的に考えを無くしたとしても、
すぐに考えてしまう存在が人間。
元の木阿弥状態。
なので、考えないようにしよう、というのは一時的で根本的な
解決になってないですよね。
じゃぁ、どうすればいいのか?
それは、考えの固定をしなければいいんです。
考えはある、でも、考えに固定されない。
そう、さっき言った、鬼瓦権造のように、考えをガチっと固定してしまうことが
人間の不幸の始まりですね。
なので、知識、経験がたくさんあれば、あるほど、年配になればなるほど、
「こうだ!」という正しさに固定されがちなので、
循環のいい川の流れのような、知識、経験に掴まれない、その考えを持つことは
難しいですよね。
循環のいい川の流れのようなどんな考えでも受けれ入れて、
どんな考えも簡単に手放して、縦横無尽の
人と人との意思疎通ができる。
そんな人間力、人間関係力を持つことが、1つの「幸せ」の鍵になると思います。
その反対に、自我、エゴが強い人は、
これは、自分「我」という、自分という境界線を決めて、
私、僕、わたし、ワタシ。と自分で自分像は、こうだ!と考えて、決めつけ、固定してしまう。
自分で自分のことをどう思うのか?どう考えるのか?
それが、自分「我」というものが固執して、滞り、腐る、という
問題が発生する原因になります。
固定された考えを手放す、固定された自分という自分像をも一旦、手放す。
つまりは、アイデンティティーを縦横無尽に変化できる人。
それが、考えに囚われない、掴まれない、考えに支配されない人にもなります。
その考えに囚われずに、考えに支配されないモデルがお釈迦様ですね。
お釈迦様は、終始ニコニコして、まったく怒られなかったかというと
そうではなく、お釈迦様は、かなり怒りっぽかったらしいですよ。
ただし、お弟子さんに激怒した後に、瞬間的に、お弟子さんを愛で
抱きしめられた、ということも言われています。
「ムカつく!」と思った瞬間に、「愛してる♪」という感情に一瞬でスイッチが入れ替わり
固執した感情に囚われなかったみたいですね。
なので、怒る人は悟ってない、という勘違いもあるこの世の中、
悟りとは、怒りをも出すし、悲しむし、笑うし、悩みもする。
けど、そこに留まることがない、ということでもありますよね。
「諸行無常」(しょぎょうむじょう)という言葉をお釈迦様は残してますが、
一切、留まることなく、動いているよね、という意味になると思います。
ということで・・・
川の停滞した、泥水のように、固定されることが問題を招くのであって、
それが、資本主義社会の限界でもあると思います。
(やっと資本主義社会の話に戻ってきた。。)
■億万長者でもお金に支配されるって?
話すと長くなるんですけど、通貨蒸発で、お金を刷っても
ある特定の一部の人の所にお金が吸い上げられて、どんどん貧富の格差が
広がっていく。
この貧富の格差の問題が社会問題の1つに挙げられていますが、
このことは、市場に、マーケットに、お金をバンバン使う人がいなくて、
お金が右から左に流れていく、というか、
お金の完全循環じゃなく、ある特定の人の元に流れてしまう。
つまりは、流れの固定になります。
たくさん活発にお金が動くんじゃなくて、
ダイソンの吸収力が落ちない掃除機みたいに、お金持ちのところにお金が一挙に吸い込まれて流れてしまう。
それが今の資本主義社会の実態。
実は、本当は全部が繋がっているので、ある特定の人だけという部分の循環ではなく、
すべての人である大部分の人たちがお金を使うという循環を起こすことによって
アイデア、クリエイティブが活性化し、
お金がある、ない、という固定された考えからも卒業することで
人類が幸せになる。
そんな人類が「初!幸せになるかも?」というイメージがきて興奮してしまったので、こうして今、ブログを書いている背景もあります。
全ては、1つの映画のスクリーンの中であって、すべての人と繋がり合っているので
自分だけが幸せになる、なんてありえないですよね。
お金持ちになって、裕福な生活をしているけど、外を見渡せば
世界はドンパチ戦争している。
この状況で、「ワタシ幸せ。」「おれは、成功者だ」と言っている人が
よく分からない。
全部が繋がっているポジションからみたら、かなり滑稽な状態。
幸せなわけないじゃん、全部が繋がっているんだから。
目の前に悲しみ、苦しみ、悩んでいる人も自分じゃん。
だから、分離した状態だと億万長者になっても幸せになれない。
例えば、億万長者でも、このお金をキープしたいと思った瞬間に、
お金がなくなる恐怖の感情が生まれるので、結局お金に支配されていることになる。(人と自分は違う、という分離から恐怖が生まれる)
自分も他人も全部が繋がって、モノも、商品もお金も完全循環している
そんなイメージを持たないと、お金持ちでも、お金がなくなる恐怖によって
お金に支配されていることなってしまう。
と、ゆーことで。
完全循環によって、資本主義社会の完成が起きる、ってイメージが明確に
湧いてきたことから、今回は、そこからブログを書いてみました。
資本主義社会の完成に興味のある方は、
「Noh Jesu氏に聞く、資本主義完成とは?」をぜひ読んでみてください。
自分が書いた内容のイメージよりも、もっと深く、広いメッセージ
ぎっしりの内容になっています。
(何回も読まないと、この内容は理解できないかもな。。。と)
それでは、また次回。
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