北海学園の菅原教授の話を聞き「人間としてどうあるべきか?」を書きたくなった。

北海学園の菅原教授の話を聞き「人間としてどうあるべきか?」を書きたくなった。

■面白い教授に会い楽しい講演会を聞いてみて

昨日、北海学園で菅原教授の講演を聞きにいった。

彼は学生に可能性そのものだ、ということを伝えていて

ハーバード大学のメディカルスクールの学会に

学生を連れて行ったりして、若者育成に力を注いでいる。

(クラウドファンディングで250万円の投資に成功し学生を

アメリカの最先端の教育に触れる研修もしている)

詳しくはコチラから ↓

https://readyfor.jp/projects/GlobalLeaderHokkaido/

たった一言でいえば、

自己肯定感のない若者を自己肯定感を高める、ということを

中心軸に置いて教育している。

教育といっても教えるんじゃなくて、可能性をただ引き出すという

ことをしていて、コーチングというものを使い、

自己肯定感、可能性を発見できるようにしている。

この社会は否定主義で「お前らダメだ、ダメだ、ダメだ。」と

ジャッジ、ジャッジ、ジャッジ、の雨あられ状態。

なので彼は、自己肯定感を持て、失敗はない、「出来るに決まっている」と

学生たちに、いつも言っている。

そして、教育については、「人間としてどうあるべきか?」というのが

大事ということも伝えている。

そこで、この「人間としてどうあるべきか?」というテーマで

今日は、ブログを書こうと思う。

■人間としてどうあるべきか?

人間としてどうあるべきか?と聞き、頭にぱっと浮かんだのが

「倫理道徳教育」

では、倫理、道徳教育と聞いて、どんなイメージが湧きますか?

と聞かれたら何て答えます?

自分だったら、清く、正しく、素直に、人に優しく、とか。

そんな単語が、ずらーっと並ぶけど、あなたはどうですか?

実は、自分は宗教を10年間熱心にやっていて、やっているどころか

宗教で飯を食っていたので、かなり狂信的な信者さんだったけど。

宗教では、まさに、

「感謝しなさい」「世の為、人の為に自分を尽くしなさい」

「正しくありなさい。」「怒りはよくないから怒らないこと」

など、など。

人間にとって「愛」または、「プラス」のイメージがある教えを

さんざん、教えられて、何度も、何度も、感謝しようと「ありがとう」を

連呼したり、世の中のため、人のために何かを実行していたり、

いわゆる「良きこと」というのを、やっていて、その結果分かったことがあり、

それが・・・

人間は変わらない、ということ。

そう、人間はプラス思考や、倫理道徳では、一瞬変わったように錯覚するけど、

何も変わってない。

人間は変わらないんだ、とそのとき思った。

だから、今ではそのことに気づいている人がたくさんいて、

プラスもマイナスもないから、「ありのまま」でいいんだ。

自由に、好きなように、生きれば、いい。

という考え方、そしてその生き方が素晴らしいとされている。

が。

が、しかし。

自由なんてない、そんな生き方は。

この社会は、人と人と、そして集団と集団が存在して、いつも、そこで

違いと違いが出会い、争い、摩擦、衝突、戦争を起こしてきた人類史がある。

そう。

誰かの自由は、誰かの不自由になってしまう。

自分の好き勝手にやることで、それに対して、反発、許せない、我慢する

人も存在させる。

まさに、自由と、平等が同時に存在できない、というジレンマが発生する。

平等は、みんな平和に、みんな楽しく、全人類が幸せに、っていう思考ですよね。

■あり方教育しているけど結局はやり方教育

実は、在り方教育というのは存在してない、ってことが

宗教10年、スピリチュアル5年、自己啓発5年、様々なありとあらゆる

セミナー、交流会、本、雑誌、人に会いまくる、ことで見えてきたこと。

本当に、すべて、全部が、在り方教育じゃなくて、やり方教育だった、ってことに気づきたときは、かなりショックだったけど。

じゃぁ、在り方教育とはどれを指すのか?

って質問が来ると思いますけど、

在り方教育とは、さっきも言ったように、「人間としてどうあるべきか?」

というのが今の現代人の課題であり、質問であるけど、

そもそも、人間って何?って、それに答えてないのに、

「人間として、どうあるべきか?」の質問には答えられるわけがない。

そう、「人間とは何か?」その質問に明確に答えがこないと、

人間としてどうあるべきか?の質問には1ミリも答えられないのは

当然。

例えば、切れ味の鋭い「チェンソー君」がいるとしよう。

かれは、一瞬で、大木を真っ二つに斬ってしまう能力がある。

その彼が、スコップのように地面を掘り返していたら、
変ですよね?

トマトの苗木をまるで移植ゴテのように、土を不器用に掘る。

チェンソーの刃が勢いあまって、「ペキンっ」と割れてしまうかもしれない。

このように、チェンソー君は、私は一体何者であって、何をするべきか?

分からない状態になる。

チェンソー君は、うぃん、うぃん、うぃーんっ!

と大きな叫び声と共に、大木を一瞬で真っ二つにするのが得意なのに、

それをやらずに、土を掘り返す、スコップか、シャベルのような

役割を演じている。

本当は叫びたいのに、と何やってんだ、俺は・・・。

まさに土をいじりながら、「いじいじ」いじけている。

■何をやるのか?の前に、自分は何者なのか?が重要

チェンソー君のように何をするのか?

その前に、自分は何者なのか?が明確に分かると

やるべき「動き」がみえてくる。

もし、チェンソー君が、自分がこんなに、ばかデカい大木を一瞬で

真っ二つに裂ける能力があると目覚めたら?

やるべきことがみえて、自分の人生に活路をみいだし、

自分は木を切るために生まれてきたんだ!と使命に出会うことになります。

では、チェンソー君のように、自分が分からないと、何をしていいのか分からないのは人間でも同じですよね。

人間というものが何者なのか?

それを分からずに、行動、アクション、動きを闇雲にするのが人間の

パターンでもある。

なぜ分からなかったかというと、人間を知る為には、人間がいない、存在しないそのときに歴史を遡らないと人間が分からなかったので、

それを致し方ない、と思う。

つまりは、人間が存在していない地球が生まれたてホヤホヤのときに

遡って、なぜ人間が生まれたのか?を知る必要があるから、

そんなことを教育で教えられてなかったし、誰も大人は知らないし、教えてくれるはずもない。

それは、チェンソーがまだないときに、のこぎりで大木を切るのは手が痛いし、時間もかかるし、しんどい。。。

もっと早く、この大木を切れたらいいな、というニーズによって開発されたのが、チェンソーだから。

そのように、人間が生まれる前に、人間じゃない存在が、

人間を誕生させようという意志が必ずある。

人間がいないときに、人間を誕生させようとした意志がある?

なにそれ?

そんな疑問が飛んできそうだけど、

これを神だとか、偶然だとか、分かるわけがない、という整理をして

逃げてしまう人が99.9%の人達になる?と思う。

(割合はてきとーだけど)

■教育者0のこの世界の片隅に

人間がいないときに、人間を産んだ、誕生させた意志がある、ってさっき

言ったけど、

それについては、オカルト?神?意志ってなに?

または、そんなこと分かっても自分の幸せと関係ないじゃん、と思い込んじゃう

人が99.9%とオーバーかもしれないけど、

それぐらい興味がない人が多いと思う。

その99.9%の人たちは、

人間とは何か?の答えを諦めている。

諦めているので、人間が何のために、どうあるべきか?も分からない。

どうあるべきか?が分からないから、

どう生きるべきかも分からない。

どう生きるか分からないので、日々、何をしていいのか?も分からない。

なので、自分は何のために生まれて、何をするために、

こうして生きているんだろう・・・

と、????? だらけの人生を歩むことになる。

生き方も分からないから、この世界を平和にする方法も分からないし、

生き方が分からないから、

もちろん、楽しいはずがない。

自分が分からないし、自分が何をしていいのか、分からないのに、

楽しいフリをして、ごまかして生きているのが人間だ。

ごまかし人生。

誤魔化し人生をずっとし続ける。

■教育者0から教育者∞にする技術

喜ばしいことに。

さっきからお伝えしている、

「人間とは何か?」を伝えることが無可能だった時代は

もう終わってしまったと思う。

これからは人間とは何か?を伝える、教育する時代に
差し掛かっていると思う。

「人間とは何か?」それを教えるのが本当の教育なのにも関らずに、

誰も教える人がいないのが、それが問題であって、

それを伝える、教えれる人を量産するのが、

自分のミッションの1つでもあるので、こうしてブログに

書き書きし、書いている背景もある。

■じゃぁ、人間って何なのか?教えてよ

じゃぁ、一体人間とは何なのか?答えを知っているんだら

教えてよ、という声が聞こえてきたので、お伝えしますね。

何度もブログでお伝えしているけど、

繰り返し、繰り返し、伝える反復が大事なので、語ってみたいと思う。

人間とは、人間が生まれる前の意志によって存在している。

つまりは、地球があって、人間がいないとき。

そのときに、地球であるお母さんが、人間を作ろう、と思った。

ここまでは、大丈夫ですか?

地球であるお母さんが、子供である人間を作った。

ということです。

じゃぁ、なぜ人間を作ろうと思ったの?と地球に聞かないと分からないですよね?

地球に聞いてみましょう。

あなた:「なぜ、人間を作ったの?」

地球:「分からない・・・」

え?

分からない?

地球は言います。

「お母さんに聞いてよ。」

お母さん?

そうか、地球が生まれる前のお母さんである宇宙に聞かないと、地球がなぜ人間を作ったのか分からないよね。

そりゃ、そーだ。

だったら、お母さんである宇宙に「娘である地球がなぜ人間を作ったのか?」

それを聞いてみよう。

あなた:「なぜ、人間を作った地球を作ったの?」

宇宙:「知らない。」

え?

知らない?

そうか宇宙は、娘である「人間を作った地球をなぜ作ったのか?」分からないんだ。

だったら、人間を作った地球をなぜ宇宙は作ったのか、それを宇宙を

作った、お母さんに聞いてみよう。

ちょっとややこしくなったけど。意味分かります?

宇宙を作ったお母さんに、

「人間を作った地球をなぜ宇宙は作ったのか?」聞いてみよう、ってことです。

聞いて、ん?き、聞く? 誰に?

宇宙を超えた存在に?

そうか宇宙が始まったビックバンの前の人に聞けばいいのか。。

ビックバンの前にいた人って誰だ?

誰?

どれ?

と、ここで一旦、別の話に移行しますが、

それを直感的に知ってしまったのが、過去の聖者たちであって、

いわゆる悟りを開いちゃった人たちですね。

宇宙を作ったお母さんを分かっちゃった!それが、悟りですね。

■悟り教育が当たり前になる時代

悟りを開いちゃった人たち。

イエス、釈迦、マホメット、老子、荘子、空海、などなど。

宇宙が生まれる前の「何か?」?を直感的に知ってしまった人たち。

その人間が最後に知るべき、ファイナルアンサーである

神、悟り、空、サムシンググレート、と名前をもつけられないけど、

その「何か?」をしってしまった彼ら。

彼らは、なぜ宇宙が生まれたのか?

そして、宇宙がなぜ地球を作ったのか?

そして、地球はなぜ人間を作ったのか?

そして、人間は何者なのか?

人間は、何のために生まれ、何をする存在なのか?

分かっちゃった人です。

分かっちゃった人が悟った人ということですが、

えーと、最初に戻りますが、この質問。

「人間としてどうあるべきか?」

この質問に答えれる、在り方教育は、悟った人しか、できない教育ですよね。

人間を知る為には、宇宙の果てにあるビックバンが生まれる前が

何なのか?

それを知らないと、宇宙も、地球も、人間も分からないのは

当然ですから。

けれども、地球とか宇宙とか、自分とは関係ない、と分離して、

別々に考えるというエゴや、個人主義教育が蔓延していて

なかなか、宇宙、地球というのが、自分と繋がっているということを

伝えても、分離教育がガッツリ脳内に刷り込まれているので、

理解不可能な人多いですね。

特に大人は。

なので、北海学園にいったときに感じたのが、菅原教授も言ってましたが、

大人に伝えるよりも、若者に無限の可能性を伝えたい、と。

確かに、そうだ。

大人は考えの固定が酷すぎるから、人間が地球から生まれていることは

当たり前なのに、

そこを重要視せず、人間という存在が単体で生きていると

教育によって思い込まされてしまっている。

けど、すべては繋がっているという宇宙、自然、そして悟り教育は

あと5年、10年たったら、当たり前になるので、自分も若者たちに

伝えていこうと思った。

時代の価値観なんて、コロコロ変わるんだから、本当に。

例えば、20年前なんかは

ヨガが宗教と怪しまれたけど、今では健全な健康ブームの最先端のごとくに

もてはやされていますよね。

昔、自分がヨガやっているときに、「怪しい宗教やってるの?」と言ってきた

人に改めて「怪しいって何?」と聞いてみたい。

人間なんて、その時代、時代によって、価値観がコロコロ、変化するので

今こうして悟りとか、宇宙とかブログを書いているけど、

未来からみたら、なんでこんな当たり前のこと書いているんだろう?

と怪訝な顔をされるんじゃないかと思う。

人間と地球、宇宙は繋がっているのに、それに関心持ってない人間って

「超ありえない~!!」と。

時代はコロコロ変わるから、誰の言うことも信じちゃダメですよ。

自分で調べて、理解、納得しないと誰かに従う生き方になるしね。

だから、自分の書いたこの文章ですらも信じないで、理解、納得できなかったら

ぜひ、メッセージや、コメントください。

では、北海学園の菅原教授の話しから、

「人間としてどうあるべきか?」という言葉をピックアップして

そこからだいぶ脱線してしまったようだけど、何とか着地点で、うまく収まったかな。

では。今日は、このへんで。

 

そうだ、菅原教授も今の常識に囚われずに、

未来から今を見る、という「22世紀脳」という面白いメッセージを発信しているので、興味があればぜひ。