悟った人の「言葉」で悟りの白帯、黒帯が見分けられる。

悟った人の「言葉」で悟りの白帯、黒帯が見分けられる。

「悟り」と聞くと、大概の人は、「つながっている」「1つの世界」「宇宙と一体感を感じる」

などなど。

そんな言葉をよく使うし、よく聞くと思う。

全てが繋がりあって「自分が生かされている」

だから、生きているだけで「有り難い」と感謝が湯水の如く溢れちゃって

しょうがない、みたいな。

実は、悟りにも段階があって、白帯、黒帯と2つの階級に分けて、説明すると、

「全てが繋がりあって、私は宇宙、自然に生かされている」

これは白帯。

一般目線から見ると、すごっ!その境地っ!と驚異的な眼差しで、そんな悟った人になれるわけない。自分ごときがっ。と謙遜すると思う。

けど、黒帯の悟った人は、さらに白帯を超えたイメージ、言葉を使うから、もっとビックリだ。

悟った人の黒帯の境地の人は、こんな言葉を使う。

「私が、宇宙、自然を創っている」と。

どうでしょうか?

白帯の人と、黒帯の人との違いって分かりますか?

その違いは、自分という主人公がどこのポジションからみているのか?

という違い。

白帯の悟った人は、この人間である私が、宇宙、自然に生かされている、と

受け身チックであり、

黒帯の悟った人は、この宇宙、自然すらも、自分が創っている、とある意味、一般常識を重んじるような人が見たら、

え?あなたって神?ちょっと傲慢すぎない?。。。。

と思わず口にしてしまうかもしれない。

自分も昔は、宗教を10年以上熱心にやってたので、自分が神?いやいやいや、いや、と強烈な「違う!」という反応を以前はしてましたので、その気持ちはよく分かります。

でも、ある悟りのイメージ言語を使うことによって、その黒帯のイメージがすっと理解、納得、確信してしまうので

面白いなぁ、と思う。

話は、もとに戻して。

神のもとに生きる人間、宇宙、自然のもとに生きる人間。

その人間である私は、生かされてる〜、最高だぁ〜、感謝だぁ〜、って

いう感覚は、実は、まだ白帯の悟りの段階であり、

黒帯の悟った人は、この宇宙、自然を作っている「側」になってしまう。

生かされてるんだぁ、とかいう受け身じゃなく、生かしてあげてるよ、私がね、みたいな変な上から目線じゃないけど、宇宙を創造した「側」目線になるのが黒帯の悟った人のイメージ、言葉になる。

けど、しかし、人間が神を超えれないという人類の思い込みが強烈に無意識というか、無意識を作っている、DNAレベルで刻みこまれているので、

それを受け入れることはかなり難しい。

その人類の思い込みを破壊し、黒帯の悟りを手に入れる勇気はありますか?