怒れらる、責められるは、信頼の証

怒れらる、責められるは、信頼の証

自分はいつも怒られたくない、責められたくない。

と、いつも人の顔色を伺い、ビクビクして

生きていました。

それが勘違いだった、と気づいたんです。

それが自分のコミニケーションスタイルで

何も言わないのが丸ごと、そのまま、その人を愛すること、という思い込みに

掴まれていた!ということに。

だから、人のことを怒る、責める人はダメ!きらい、よくない!という判断基準があった。

けど、人のことを怒る、責める人は、その相手のことを「信頼」しているから、

それが出来る行為であって、決して「信頼してない」わけじゃない。

実は、怒る、責める人は、相手を信頼しているから出来る行為なんだ、と気づいた。

人のことを怒る、責める人は「相手を信頼してない」と勝手に思い込んで、苦しんでいた。

それが、過去に作られた思い込みということに気づき、かなりスッキリした。

あー、スッキリ。

人間の苦しみの100%は、思い込みだった。