幸せの究極形態は「自分を愛すること」でも出来ないのはなぜ?
- 2022.04.03
- 悟り(本当の自分)
昔、自己啓発のセミナー、本、学ぶためのDVDなど勉強をしていたときに
感じたこと。
幸せになるための究極形態は、「自分を愛すること」だ、と。
自分を愛することができれば、そのアイデンティティーによって、すべてがうまくいく。
人間はどうしても、自分を変化させずに自分の行動を変化して、変化を作ろうとする。
それが変化できない原因になると思うけど、
「自分」を変化させる、つまりは、「自分で自分のことを愛すること」それが出来れば、
幸せが引き寄せの法則というか、もうすでにそこにある、って状態になると思う。
ところが、自分を愛する、って。
簡単に言うけど、方法としては、2つある。
1,自分を愛していると呪文のように毎日言い続ける。(無意識に落ちるまで)
2,もともと自分は愛されているし、愛そのものだった、と気づくこと。
この2つだと思うけど、1つめは、無理やりプラス思考することで、無意識が抵抗して
おかしくなっちゃう、ということが世間一般では、まことしやかに、ささやかれているので、
ちょっと置いといて。
2つめのもともと自分は愛されているし、愛そのものだ、ということに気づくこと。
これが自分を愛するためには、大事だと思うけど、
じゃぁ、どうやって?
どうやって、自分が愛そのものだった、って気づけるの?って話になる。
愛の定義がそれぞれあると思うけど、今のところ、自分の中では、
無限に与えても、与えても、それで与えたくなる気持ちのこと、と定義している。
なので与えられる側になると、損得勘定が生まれてしまうので、与える側のみ!という
その「あり方」が愛そのものって思う。
そうなると、与える側ってことは、受け身が0%だから、なにかに動かされている感も0%になるので、
人間というキャラだと、地球に動かされているので、愛そのものにはなれない。
だから、人間を超越した神そのものになっちゃえば、愛そのものになれるのか?
って・・・。神そのものに、どうやってなるの?って話に発展しちゃうけど、
結局は、言いたいことは、人間という存在はエゴ、自我の塊なので、愛そのものになれない
「仕組みになっていた!」という衝撃的な事実をまずは受け入れること。
そこからだと思います。
人間は愛そのものになれないので、愛そのものになろうとする。
以上。
今日は、絶望を与えるブログでした。
(実は、絶望の中心軸に希望があるので、それを伝えたいのもあり。)
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