幸せの究極形態は「自分を愛すること」でも出来ないのはなぜ?

幸せの究極形態は「自分を愛すること」でも出来ないのはなぜ?

昔、自己啓発のセミナー、本、学ぶためのDVDなど勉強をしていたときに

感じたこと。

幸せになるための究極形態は、「自分を愛すること」だ、と。

自分を愛することができれば、そのアイデンティティーによって、すべてがうまくいく。

人間はどうしても、自分を変化させずに自分の行動を変化して、変化を作ろうとする。

それが変化できない原因になると思うけど、

「自分」を変化させる、つまりは、「自分で自分のことを愛すること」それが出来れば、

幸せが引き寄せの法則というか、もうすでにそこにある、って状態になると思う。

ところが、自分を愛する、って。

簡単に言うけど、方法としては、2つある。

1,自分を愛していると呪文のように毎日言い続ける。(無意識に落ちるまで)

2,もともと自分は愛されているし、愛そのものだった、と気づくこと。

この2つだと思うけど、1つめは、無理やりプラス思考することで、無意識が抵抗して

おかしくなっちゃう、ということが世間一般では、まことしやかに、ささやかれているので、

ちょっと置いといて。

2つめのもともと自分は愛されているし、愛そのものだ、ということに気づくこと。

これが自分を愛するためには、大事だと思うけど、

じゃぁ、どうやって?

どうやって、自分が愛そのものだった、って気づけるの?って話になる。

愛の定義がそれぞれあると思うけど、今のところ、自分の中では、

無限に与えても、与えても、それで与えたくなる気持ちのこと、と定義している。

なので与えられる側になると、損得勘定が生まれてしまうので、与える側のみ!という

その「あり方」が愛そのものって思う。

そうなると、与える側ってことは、受け身が0%だから、なにかに動かされている感も0%になるので、

人間というキャラだと、地球に動かされているので、愛そのものにはなれない。

だから、人間を超越した神そのものになっちゃえば、愛そのものになれるのか?

って・・・。神そのものに、どうやってなるの?って話に発展しちゃうけど、

結局は、言いたいことは、人間という存在はエゴ、自我の塊なので、愛そのものになれない

「仕組みになっていた!」という衝撃的な事実をまずは受け入れること。

そこからだと思います。

人間は愛そのものになれないので、愛そのものになろうとする。

以上。

今日は、絶望を与えるブログでした。

(実は、絶望の中心軸に希望があるので、それを伝えたいのもあり。)