人にお願いできない根本原因とは?

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人にお願いできない。

これは人にお願いすることで、相手に負荷、重荷を与えるイメージがあると、

もちろん、人にお願いできない。

できるわけがない。

囚人がズルズルと重たい鉄球を足につけて歩いていて、その鉄球を相手の足に

つける、みたいな感覚でしょうか。

このベースには、何かのアクション、作業、事務的なもの、そんなあらゆる雑務?とでも言うのか。

自分が何か事務的な作業自体のイメージが、めんどくさいし、出来ればやりたくない。それを人に押し付ける、みたいなイメージになってしまう。

だから人にお願いするのが出来ないことになってしまう。

自分の場合、すべての作業はタスクという、それはまるで、やりたくもないものをやるような奴隷のイメージがどうしても来てしまっていた。

だから、自分1人でやることを選択し続けてしまう。

だって、作業、タスクは奴隷がやるもので、そんなことを人に振ってしまうと、それは汚いうんこを投げつけるような感じで、間違いなく相手から

嫌われる。

嫌なものを押し付けないで!と。

だから、人にお願いできない自分がずっといた。

けど、なぜ人にお願いできないのか?それが明確に分かった時に、

結局は、イメージの問題だということが分かった。

そのイメージとは先ほども言ったように、タスク処理という奴隷になる。

1つの行動、アクションが全てが喜びに繋がる。

たった1つの床に落ちている埃を拾うことで、未来の幸せに繋がる。

行動、行動、行動。

すべての行動に意味価値をつけて、これは意味がない、これは意味がある、と常に判断、審判しているな、と気づいた。

自分のイメージが変化すると、行動も変化し、それが相手にも伝わる。

だから、お願いする時も本当に「これ楽しいよ♪」と伝えるのと、

面倒臭いものを人に振ろう、「これやって。。。」と伝えるのでは、

相手に伝わるのが全く違ってしまう。

昔の自分は、人に何かを伝える時には「どーせ何を伝えても嫌われる」という

認識疾患の病気があったので、ビクビクしながら、相手に嫌われるだろう、というオーラ、エネルギーで伝えるので、もちろん相手も

「楽しいな♪」「伝えた内容は面白そうだな♪」とはならない。

そんな人から自分は嫌われているという強烈な思い込みがあったので、そのことプラス、タスクを降るなんて、もってのほか!というものが働き、

人にお願いしようとするだけで恐怖、不安が浮かんでくる。

もうトラウマに近いような感覚。

けど、根本原因を探っていくと、勝手な思い込みで人から嫌われる自分なんだ、と選択しているだけ。

ただ選択しているだけ。

しかも、それが人間の自己否定、他者否定、環境否定をする機能であって、

それがあることで、本来の自分に戻れるようになっている。

言い方を変えれば、本当の愛を知るために、わざと「嫌われている私」という存在を演じている。

根っこにある自分で自分をどう思うのか?それを明確にし、それを自分で選択しているという自由意志の解析に変えることで、

1つ1つの行動も、それが嫌われたくないからというマイナス出発のエネルギーではなく、1つ1つの行動がタスクにならず、

1アクションが神秘、神聖になり、その神秘、神聖のアクションを共にやらない?という喜びを相手に分かち合うという形のイメージに切り替えることができる。

そう、お願いする時に、素敵な最大級のクリスマスプレゼントをするような相手が喜ぶものを提供する。

そんなイメージに。

人にお願いできない根本原因を理解して、人にお願いできる、お願い上手になることが人生で、何かを形作ることができるプロになることにも繋がる。

お願いのプロになって、面白い現実をたくさん作ろうー。

では、では、今日は、人にお願いできない根本原因は?というテーマで

お届けしました。