俺って神を超えているな、とふと自分を絶賛したくなる瞬間。

俺って神を超えているな、とふと自分を絶賛したくなる瞬間。

久しぶりに「自分らしくないカフェ」を

開催した。

と言っても5回目ぐらいの開催になる。

自分らしくない?

自分らしく生きたいのに・・・。

そうです。

その自分らしさというイメージも誰かに作られた幻想です。

と100%言い切れる自信ある自分を

発見した。

それは75億人全てに対して。

例えば、超ミラクルお金持ちや、大統領、

全世界の人たちから愛される超スーパースターのスポーツ選手、などなど。

どんな人に対しても0.5ミリもズレることなく、

あなたの生き方間違っているよ、とズバッと言える。

そんな自分を発見した。

何がみえたのか?

それが人間共通のカルマ、因果、苦しみの根本原因がみえたんです。

人間は生存欲求があり、本能や生命活動をしている。

お腹空いた、眠い、疲れた。

これも生存欲求になるけど、それを持ち合わせて、そこに執着しているのが人間の存在になる。

なので生命体レベルで欲求を持ち合わせてない人はいない。

欲求があるってことは、欲求を叶えることで

満たされているという心の安寧を願う行為なので欲求がある = 悩みがある、ということになる。

悩みを解決するのが欲求だから、何かしらの欲求があるというとは、悩みが存在することになる。

だから、修行僧は、贅沢をしない質素倹約な生活や、欲望というものを忌み嫌う。

なので、もう少しシンプルにすると、

悩みを解決するために欲求にかられて生きるのが人間である。

とも言える。

その「こうしたい」というのが夢というものに

置き換えられるので、なかなかその罠に気づきづらい。

だって夢は誰もがいいもの、と認識しているから。

夢は願うもんじゃない、叶えるものだから、と安室奈美恵の歌のセリフで言っていたけど、

欲求は夢という形に姿に変えて、「良し」とされてきた。

というか人類全てが欲求を持ち合わせいるので

その欲求通りに行動するのが自由だ!という概念にすり替えられる場合もある。

なので、欲求というものは全ての幸せになるだろう・・・というイメージと繋げてみてしまうのが人間になる。

だから、幸せになろうとするのが人間の共通の

素晴らしいイメージになるので、誰もそこに突っ込みを入れなくなる。

けど、あえて自分はそこに突っ込みを入れる、というか入れなくちゃ相手に失礼。

もうストレートに言っちゃうと、人間という存在という存在をさせた瞬間に、

100%不幸になる。

間違いなく。

だから、人間として生きているのが辛い、と

愚痴をこぼすのが正常であり、無理やりプラス思考で、素直に「わたしは苦しい」とアウトプットできないことか病的な我慢病であり、超不健康になる。

かなり話しが脱線したけど、人間のカルマ、トラウマ、因果が明確に見えてしまったので、

自分は神、いや神以上の存在だな、と本当に思ってしまった。

つまりは、カルマ、因果、の外に出て自由になっている「在り方」があるので、

人間がよくよく見えるようになった。

人間というものを知りたい人は、ぜひ、声かけて下さい。

あぁ、なるほど!だから人類史は戦争しか出来なかったんだね、と理解、納得できると思うので。

あ、話すのが脱線したので、自分らくしないカフェ会は、要望があれば開催しますよー。

では、では、また次回。

赤、青、黄色と色分けした付箋。
カード
と、40秒タイマーを使用する。
コミニケーション、アイデンティティー発見ゲーム。