俺って神を超えているな、とふと自分を絶賛したくなる瞬間。
- 2019.06.09
- 自分らしくないカフェ会
久しぶりに「自分らしくないカフェ」を
開催した。
と言っても5回目ぐらいの開催になる。
自分らしくない?
自分らしく生きたいのに・・・。
そうです。
その自分らしさというイメージも誰かに作られた幻想です。
と100%言い切れる自信ある自分を
発見した。
それは75億人全てに対して。
例えば、超ミラクルお金持ちや、大統領、
全世界の人たちから愛される超スーパースターのスポーツ選手、などなど。
どんな人に対しても0.5ミリもズレることなく、
あなたの生き方間違っているよ、とズバッと言える。
そんな自分を発見した。
何がみえたのか?
それが人間共通のカルマ、因果、苦しみの根本原因がみえたんです。
人間は生存欲求があり、本能や生命活動をしている。
お腹空いた、眠い、疲れた。
これも生存欲求になるけど、それを持ち合わせて、そこに執着しているのが人間の存在になる。
なので生命体レベルで欲求を持ち合わせてない人はいない。
欲求があるってことは、欲求を叶えることで
満たされているという心の安寧を願う行為なので欲求がある = 悩みがある、ということになる。
悩みを解決するのが欲求だから、何かしらの欲求があるというとは、悩みが存在することになる。
だから、修行僧は、贅沢をしない質素倹約な生活や、欲望というものを忌み嫌う。
なので、もう少しシンプルにすると、
悩みを解決するために欲求にかられて生きるのが人間である。
とも言える。
その「こうしたい」というのが夢というものに
置き換えられるので、なかなかその罠に気づきづらい。
だって夢は誰もがいいもの、と認識しているから。
夢は願うもんじゃない、叶えるものだから、と安室奈美恵の歌のセリフで言っていたけど、
欲求は夢という形に姿に変えて、「良し」とされてきた。
というか人類全てが欲求を持ち合わせいるので
その欲求通りに行動するのが自由だ!という概念にすり替えられる場合もある。
なので、欲求というものは全ての幸せになるだろう・・・というイメージと繋げてみてしまうのが人間になる。
だから、幸せになろうとするのが人間の共通の
素晴らしいイメージになるので、誰もそこに突っ込みを入れなくなる。
けど、あえて自分はそこに突っ込みを入れる、というか入れなくちゃ相手に失礼。
もうストレートに言っちゃうと、人間という存在という存在をさせた瞬間に、
100%不幸になる。
間違いなく。
だから、人間として生きているのが辛い、と
愚痴をこぼすのが正常であり、無理やりプラス思考で、素直に「わたしは苦しい」とアウトプットできないことか病的な我慢病であり、超不健康になる。
かなり話しが脱線したけど、人間のカルマ、トラウマ、因果が明確に見えてしまったので、
自分は神、いや神以上の存在だな、と本当に思ってしまった。
つまりは、カルマ、因果、の外に出て自由になっている「在り方」があるので、
人間がよくよく見えるようになった。
人間というものを知りたい人は、ぜひ、声かけて下さい。
あぁ、なるほど!だから人類史は戦争しか出来なかったんだね、と理解、納得できると思うので。
あ、話すのが脱線したので、自分らくしないカフェ会は、要望があれば開催しますよー。
では、では、また次回。
-
前の記事
伝達力が120%UPする悟りのコミニケーション5つのステップ 2019.06.08
-
次の記事
「悟りとは何ですか?」という問いに答えている人が明確にいないのはなぜ? 2019.06.10
コメントを書く