「悟りとは何ですか?」という問いに答えている人が明確にいないのはなぜ?

「悟りとは何ですか?」という問いに答えている人が明確にいないのはなぜ?

悟りとは仏教のイメージがあると思いますが、

仏教の世界では大きく2つに概念が分かれてます。

1つは、小乗仏教。

これは個人、自分が厳しい修行をして悟りを開くというプロセスですね。

2つ目は、大乗仏教。

これは、個人では悟れないから、誰かに伝えることで、自分が悟っていく

というプロセスを歩むもの。

小乗仏教での限界は、自分が、自分が、自分我、自分我、悟りたい!という欲求によって、「我」を余計に膨らませてしまう。

つまりは、悟ろうとする自我によって「自分我」というエゴを拡大させることになるので、そんな限界を感じたから「こそ」大乗仏教が生まれた背景が見えてきた。

目の前の相手を悟らせることで、自分が、自分我、という「我」「エゴ」が

なくなる。

なるほどー。

なるほどー、と思ったけど、相手に何を伝えることで悟りを得られるんだ?

と疑問に思ってしまった。

仏教をやっている人に聞いたら「真理」を伝えること、とは言っていたが。

待て、まて、待て、マッテー!

それって真理を知らないのに、どうやって真理を伝えるの?

という疑問も浮かんでくる。

矛盾。

やはり悟りの道は険しいのか。

ずっと人類は、カルマ、因果、苦しみ、絶望、そこから来る、戦争、未来不安に苛まれて生きなきゃいけないのか?

・・・・・・・

こうして「悟った人」というタイトルでブログを書いているけど、よくよく考えたら、悟りという言葉を聞くと、仏教とか宗教のイメージが来るのかな?

と思って今、文章書いているけど、自分が伝えたいメッセージは、

仏教の悟りじゃない。

仏教の悟りの限界を感じて、それをバージョンUPさせることができる

侍の悟り、現実に活用、応用できる21世紀の最先端の物理学と繋がった悟りを伝えたいと思って、こうしてブログを書いている。

どうですか?

この悟り、物理学、という組み合わせは。

自分の勝手な思い込みかもしれないけど、悟り、物理学、という2つの存在は

現実に使い勝手が悪いというか、全然、使えないじゃん、と思っていたシロモノ。

けど、この2つが自分の中では融合している。

言ってみてば、マイナス(使えないイメージ)×マイナス(使えないイメージ)=プラスになる。

そうマイナスとマイナスをかけることで、数学上では、プラスになる。

これは悟りとはインドにみられる東洋と、物理学とは物質主義に見られる西洋。

この東洋と西洋の融合された「悟り」を日々、日々、伝えていきたい意思が

自分の中にある。

全体のぼんやりした東洋の悟りを、明確に再現、実用化できる西洋と組み合わせた「悟り」

それを伝えれる技術、世界を大きく変化させるパワーのあるイメージがあるので、こうして文章を書いている背景がある。

今後は、今までの「悟り」に対するイメージをぶっ壊して、

現実に応用、活用できる悟りの技術(nTech)を発信していこうと思う。