嫌われている私は人に合わせて我慢する

嫌われている私は人に合わせて我慢する

私の根っこにある自分に対する認識は

「私はどうせ嫌われる」が深く奥底に

突き刺さっている。

だから、嫌われないように、相手の意見、行動に

対して全てが「Yesマン」になってしまう。

もうそれは、それは、超プロフェッショナルで、

相手が喋り出した瞬間に「そうだね、うん、うん。」と反射で全肯定してしまう。

そしてベースが嫌われている私だから、

嫌われない作戦として、惨め、哀れ、バカ、

ドジなことをして、好かれようとする。

それが意識せずとも無意識でやっているので、

意識朦朧としたボクサーが無意識にジャブのパンチを出すように、意識化すらされてない状態になっていた。

「どーせ、嫌われるんだ」という感情は

おそらく、母親から愛情をもらっていたのに、

1つ下に弟ができて、そこに愛情を持っていかれた。

という微かな記憶があるけど、そこで感情の

スイッチが入ったと思う。

だから、仲のいい友達が出来ても、無意識で

「どーせ嫌われるんだ」「どーせ裏切るんだ」という毎試合が反応して、どーせ嫌われて、裏切られるんなら、あらかじめ深く関わらないようにしよう、と距離を置く。

■愛されてない私

どーせ私は嫌われている、という感情の

スイッチが入ってしまったので、そこからは

もう抜けられない。

けれども、嫌われる、裏切られる、仲間ハズレにされる、という恐怖の感覚があるので、

それを何とかクリアしたいと思い行動する。

それが、バカになる、アホになる、ドジ、間抜けになり、クスッと笑ってもらう。

これが自分にとってのご褒美なので、そればっかりやる。

ちょこっとだけ整理すると・・・

私はどーせ嫌われる

嫌われないようにバカになり笑ってもらう

大人になりバカになると、バカ!と怒られる

バカ!と怒られ嫌われると思い込む

バカにされないように完璧にミスをしないようにする

けど根底には、どーせ嫌われるから

嫌われないために、

バカになって笑ってもらうか?

完璧にこなして嫌わられないようにするのか?

この矛盾が生まれる。

バカと、バカじゃない、と同時にやろうと

するから、どう選択していいか分からず

いつも迷っていた。

この、どーせ私は嫌われるんだ、という感覚は

本当に厄介だ。

この厄介モノを残してクリアしないまま

嫌われないための行動パターンが、たくさん

出来上がる。

それがこんな感じ。

・相手の意見は全ていいね!と反射で言ってしまう

・自分が何かを自主的に発信できない

・遠くで誰かが盛り上がって楽しんでいると

自分は盛り上がってないから、嫌われると思い込む

・まじめに、我慢してやることで嫌われないように

努力する

・正しいか?間違っているか?の判断は

目の前の人に嫌われないか?しかない。

などなど。

全ての行動が「嫌われないようにする」という

恐怖のエンジンで人生を走ってきたように思う。

けど、この嫌われないようにしようという

行動をすれば、するほど、

「どーせ私は嫌われる」という認識の固定が

強烈にあるので、何を行動しても

一切、何も解決してない。

無駄な努力になる。

解決するべきは、「どーせ私は嫌われる」という

自分に対する認識に固定されていることに

気づき、それが生まれる仕組みを理解することで、

その感情からするりと、抜けることが出来る。

このことは、有名な詩人だか誰が言ったか

忘れましたが、

人は変化出来ないことを変化しようとし、

変化できる事を、変化しようとしない。

という言葉を思い出した。

変化するべきは、

自分の無意識の自分に対する「こうゆう人間だ」ということ発見して、

その固定から、自由になること。

それが出来る技術がnTechになるので、興味のある方は、ぜひ調べてみてください。

では、今日は「どーせ嫌われてる私」という

テーマでお届けしました。

ありがとうございましたー。