我慢が0の戦争がない世界の作り方

我慢が0の戦争がない世界の作り方

我慢0、ストレスなし。

そんな人間関係、そんな組織、そんな社会って

本当に理想論なの?

と、問いを投げたいと思います。

その前に、じゃあ相手に、組織に、国に合わせて我慢して生きる。

そんな生き方がなぜ生まれたのか?

それを5つのステップで解析してみますね。

■我慢する社会の5つのステップ

1.人間は「違い」を認識する存在

2.その違いを秩序化出来ない

3.秩序化するために、お金を使う

4.お金持ちの言うことを聞く社会

5.お金持ちの言うことに従い我慢する社会

と、5つのステップになります。

秩序化するためにお金というモノを活用するので、

お金をバンバン勝手に刷ることが出来る

「お金を自由に無から作り出せる」権利の

奪い合いが本質的な戦争の原因という解析を

する人もいますね。

そういった基軸通貨発行権が今はアメリカのドルなので、実質的にアメリカがこの世界を秩序化している

権利者になりますね。

けど、こういった情報を知った一般の人は

何もアクションを出来ずに

無意識深くに、諦めてます。

なにを?

そういった権力に屈して、奴隷のように我慢して

生きる生き方に対して。

あまりに巨大過ぎる権力なので、私は無力だ、

という自分を選択して、それを見ないようにして生きています。

つまりは、お金持ちになって多少の自由を得たい、

というちっぽけな存在で満足しようとしています。

( 実はお金持ちになっても支配されている事実に気づかずに。。)

■人間は無限の可能性だと言うんなら?

そういった大きな権力に対して、なにも出来ず

無力だ、と言ってそこを無視しているのに、

無限の可能性だ!と言っている人がいるけど、

本当に無限だったら、不可能は1ミリもないと

言い切るんだったら、

資本主義社会でお金という道具を使って

支配され、我慢して、生きる生き方が

本当に無限の可能性なの?と問いたい。

それに着手しないで、そこに問題意識を

置かないで、

お金持ちになり、自分の好きなときに、好きなことをやる。

それが最高だ、それが幸せだ、それが自由だ、

それが無限大だ、と言うのが何か違和感がある。

違和感があるのは、この資本主義社会の中で

お金持ちイコール自由、幸せ、成功だ、という思い込ませることに対して。

この世界を秩序化している人達からみたら、

一番嬉しい従順な従う奴隷になると思う。

奴隷を選択しているのに「無限の可能性だ」と

言う人がいることに違和感を感じませんか?

■お金の背後には政治がある

奴隷を選択しているのに無限の可能性だ、ということに違和感を感じる。

こんなことを言うのは解決策、問題発見、問題解決のイメージ、根拠があるから言えること。

例えば・・・

お金持ちになって、地位、名誉、権力があっても、政治の体制がひっくり返ってしまえば、

優雅にお金を湯水のように使い豪遊しているような

リッチな人も、一挙に、転落して乞食になってじう。

江戸幕府の重臣たちが、時代が明治になり、

政治犯として囚人として北海道の開拓の

厳しい極寒の地で奴隷のような生活を送る。

など、一気に億万長者から、お金0円にされてしまう。

それが政治によってコントロール、支配をされている。

なので、お金持ちも、政治の管理下にあり、

本当の自由なんかじゃない。

だから、本当に個人の利益に留まらず、人間として

尊厳ある生き方、そのための尊厳ある社会、世界を

作ろうとする人は政治の道に走る。

しかし、政治家になっても、大きな仕組みという

枠の中で働く従業員のような役割が政治家だった、

ということに愕然として、無力感を感じ、

いつのまにか「大きな仕組み」を変えること

は不可能だと諦めて、仕組みに依存して政治活動を

してしまう。

けど・・・

そんな政治を作っている「仕組み」に問題があるとして

そこを変えようとする人もいるけど、

この仕組みを作っているのが、この世界を秩序化している巨大な権力の存在を知り、

ここで、100%近くの人が諦めてしまう。

ちょっとここで諦めの壁4つがあるということを

軽く整理してみますね。

1.経済の壁

2.政治の壁

3.仕組みの壁

4.大きな権力者の壁

と、この4つの壁によって人は我慢して

生きる選択をしている。

人は経済の壁を突破すれば自由になると

思い込まされているけど、何かの会社、組織に

従い、そこにお金を得るためだけに我慢して生きる人も多いので、

そこから脱出できるだけでも開放感に満たされるが

やはり、政治という管理する人達によって、不自由さを感じてしまう。

お金という道具は、4の大きな権力者が自由にコントロールでき、

それを3の仕組み化し、その仕組みをちゃんと管理してくれるのが

2の政治家になる。

そして、その政治家によって経済を動かしているよに見えるけど、全部が元々、4の大きな権力者の手下が政治家になる。

けど、大きな権力は、巨大すぎるので、

到底、一般市民がどうすることも出来ない、と諦める。

けど、大きな権力者も人間であることは変わりない。

■人間を変える教育が必要

実はこの社会、世界を変えるのは簡単だ。

それは、人間を変えること。

その変わった、変化した人間が仕組みを作り、政治家を生み、経済を作り、

そしてその経済の環境の中で、人間は生きる。

ということになるので、変わった人間が

「こんな理想系の人間」という自分なりの

イメージがあるので、これも整理してみる。

1.違いを融合できる人間になる

2.違いを融合できるから、秩序化しなくていい

3.秩序化しなくていいから、支配する側、される側が我慢じゃなくゲーム感覚で楽しめる

こんな3つのステップになりますが、融合のイメージが、人間の大自由になる。

その大自由のイメージが、不自由にも、窮屈にも、

奴隷にも、どんな嫌な条件、状況でも演技してゲーム感覚で、まるで悪役じゃないのに、

極悪商会のヤクザ風の極悪人に楽しんで、喜んでなりきれる。

そんな大自由のイメージになる。

今までのニセモノ自由は、

ある意味、不自由にはなれない、という不自由さがあるので、

大自由である、不自由にも楽しんで役割を演じきれる、というイメージを持った人間に変化し、

その人間が仕組みを作り、政治家を生み、経済を作り、その中で人々は生活する、という社会を作れる。

そんな人間を変える、人間教育が必要になる。

■新しい世界秩序とは?

人間教育。

どんな人間教育なのかというと、

大自由な人間教育。

その大自由とは、不自由も楽しんで選択できるぐらいの柔軟さを意味している。

それは、どんな人間なのかというと、

悟った人、になる。

なので、悟った人が増えれば、その悟った人が

この世界を秩序化する影響力がある状況に

なれば、

無秩序じゃなく、融合した秩序化した

個人のキャラも最大限活かし合え、全体の一体感的な生き方も、できる。

それは、個人のキャラは自由になり、全体の秩序化は不自由なイメージになるが、

自由にも、不自由には、どっちの選択をしても

楽しめる人間力のある悟った人達が増えることになるので、

無秩序の自由と、秩序化された不自由の平等という

矛盾を打破出来る。

これが人類が、自由と平等がイコールにならない

ジレンマを打破できる唯一の方法になる。

唯一の方法は、悟った人間を大量生産する教育になります。

■まとめ

人間がずっと戦争し続けたのは、

違いを融合できなかったから。

違いを融合できなかったから、支配する側と支配される側が生まれ、

支配される側が我慢する生き方をするしかなかった。

けれども、

違いを融合できれば?

支配する側、支配される側の分離がありながら

楽しんで支持する側、

喜んで支持を受ける側という新しい秩序化が生まれる。

そんな完全循環型の社会、世界が

戦争が0になる社会、世界を作ることに繋がる。

なので繰り返しになりますが、

まずは悟った人を大量生産することがその第一歩になる。