お金、政治、既得権力から「支配されない」「我慢しない」生き方は本当にできるんだろうか?
- 2018.12.10
- 我慢しない生き方
■ルールが生まれる仕組み
人間がたくさんいるので、バラバラと意見、考え、行動が違う。
なので、それをまとめる、秩序化するために
神様という絶対の教えや、王権の暴力や、お金などの力を使って
人々を秩序化してきた人類史がある。
今では愛だ、優しさだ、という倫理道徳で秩序化している現状があると思う。
日本ではいつ頃かは分からないけど、自由というのが憧れになってきている。
それは「あるがまま」「そのまんまの自分」「やりたいときに仕事をやる」というもの。
個人がそれぞれ自由に何でもやっていい、という考え方は、今まで束縛、自由じゃなかったから
「そうなりたい」という願望が生まれると思う。
けど、もともと、秩序化する、ルールを作る、組織を束ねる、ということを
なぜしてきたのかというと、無秩序だと、ヤバいから。
人間は基本的には動物的な凶暴な存在なので、ルールを作らないとヤバい。
ルールがないと、強盗、殺人、暴力、姦淫、盗み、破壊、などなど、積み上げてきた創造をいとも
簡単に破壊してしまう。
例えば、せっかくコツコツと積み上げてきたブロック塀を、ハンマーでぶち壊されたら、たまったもんじゃない。
けど、ハンマーでブロック塀を破壊した自由人はこう言う。
「別にいいじゃん、スカッとするんだから。」
これは極端な例ですけど、自由に何でもやることで、誰かが不快な思いや、被害をこうむっていることだって
あるんです。
だから、秩序化するために、ルールや、規則などを作ったという背景がある。
聖徳太子の17条の憲法や、モーゼの十戒などを見ると、盗みはだめだ、とか、今となっては
幼稚園生に教えるような内容が書かれている。
これは、盗みや暴行などが当たり前の日常茶判事だったことから、そういったルールを作ったんだな、という
ことが察することができる。
なので、人間が自由に我儘に何でもやってしまうと、無秩序化するので、人類史は、
暴力や、お金、倫理道徳などを使って、秩序化してきた歴史とも言える。
■力による秩序化は我慢するしかない
こういった暴力、お金、倫理道徳などというものは、無理やり力によって秩序化することしか
やってこなかったように思う。
今ではお金という資本主義社会だから、お金によって嫌な仕事を我慢してやる、という人が
とても多いと思う。
好きなことをして仕事をしている人からすると、何やってんの?自分の好きなことすればいいのに?
会社の組織の奴隷みたいな生き方なんて選択して、バカじゃないの?
と思う人がいるかもしれない。
けど、好き好んで、奴隷みたいな生き方をしているわけじゃない。
今までの人類史が抱えてきた痛み、涙、悲しみ、限界を代表して感じているだけだと思う。
こういった暴力、お金などの力によって我慢して生きる、という人類史がずっと
続くけど、それに対して何とかしたい!という人も少ない。
そういった支配する側と、支配される側に分かれて、人々は管理され、コントロールされ
我慢して生きなくちゃいけない。
と、諦めて、支配する側の人たちに文句を言って、しょうがないね、とため息をしながら
生きる人が本当に多い。
というかそんな人しかいないんじゃないかと思う。
なぜ、そんなことが起きるのかというと、それは支配する側と、支配される側が
なぜ生まれるのか?
その仕組みが分からないからだと思う。
自分はその仕組みがみえてきたので、それをこれから話そうと思う。
■暴力、お金、倫理道徳などによる力の支配の仕組み
まずは、なぜ上下関係が生まれるのかというと、それは人と人が違うから。
違うから、それを融合しようと思って、ぶつかり合い、そして、どちらかが折れて、
どちらかの意見に従うようになる。
これが上下関係が生まれる簡単な仕組みですよね。
目の前の人との関係性でも、それは起きると思います。
家族で旅行に行くときなどでも、ディズニーランドに行くのか?公園でピクニックに行くのか?
という意見が出た時に、力の強い、権威のある母親だったら、母親の意見が採用される。
「公園でピクニックにしましょう。お父さんの稼ぎが少ないから。」
という力のある人の一言で、意思決定されてしまう。
母親(上) 父親(下) という上下関係。
これが大きく会社になったり、国になったりするだけなので、上下である支配する側と
支配される側は、意見の食い違いから生まれる。
■意見の食い違いを何とかしようということを今までなされなかった
意見の食い違い。
これを今までの人類はどう解決してきたのか?
それは、無理やり意見を融合する、建前でどちらかが合わせる、という
どちらかが譲って我慢するしかない、ということしかしてこなかった。
双方が合意して納得し、100%お互いがメリットになる結合はほとんどないと思う。
なので、暴力、お金、倫理道徳などを使って、無理やり秩序化してきた人類の歴史がある。
だからこそ、これからは、違いをどう融合していくのか?
違いをどう認め合うのか?
それが課題になっていると思う。
この違い。
この違いというのは、かなり厄介で、違うを認め合いましょう、とか言っているけど、
そんなに簡単じゃない。
違いというのは、まったく違うということになるので、そうなると
何が生まれるのか?
「違う!」というものに出会ったときには、怒りという感情が爆発する瞬間になる。
違いに出会ったよ♪とかいう生易しいものじゃない。
違いというのは、自分が全否定されたような感覚になるような出会いが、違い、になる。
共感できて、何とかその違いが面白いね♪と、違いを認め合えた、という人が
いるかもしれないけど、
それは、違いじゃなくて、一緒、共有できるというベースの元に「違い」を認め合えた。
ということになる。
違いを認め合う、ということの本質は、あなたが一番むかつく、絶対許せないこと。
それが違いになるので、
そんな怒りの現場に出会ったときに、それを認め合い、融合し、応用活用できるのか?
これができれば、人類の歴史から違いがぶつかり合い、
そして、それを無理やり力によって、抑え込み、誰かが我慢して生きる。
そんなことがなくなる。
あなたが一番、むかつく瞬間はどんなときですか?
あなたが、一番、許せないときは、どんなときですか?
あなたが、絶対に、これだけは違うだろ?というときは、どんなときですか?
その瞬間に、あなたはその「違い」を認め合うことができますか?
本気で、
お金、政治、既得権力から「支配されない」「我慢しない」生き方がしたいし、
そんな社会、世界が作りたかったら、
目の前の「むかつく現象」に対して、向き合い、それを突破することで
実現すると思います。
自分もまだまだトレーニング中ですが、今まで、ぐちぐち文句を言う人が超むかついたけど、
それが母親から愚痴をグチグチ言われても、その背景に涙、痛み、苦しみ、が見えた時に、
その違いがむかつく!という感情に囚われなくなりました。
どこまで深く相手と出会えるのか?
それがカギになりますので、ぜひ、目の前の人の一番深いポジションと出会い、
違いに対して、むかつくんじゃなくて、
仕組みとして、そうだったんだね、と共有、共感して、違いを融合し、
今の現代だったら、お金により支配する側と、支配される側という構造を突破していきましょう。
まずは、あなたから。
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