五稜郭の「溝」をみて

五稜郭の「溝」をみて

函館の五稜郭に行ってきた。

昔、大阪城の歴史ツアーをした時に、お城の美しさは、

敵から身を守るために石垣が作られた所から

生まれている。

その事をふと思い出した。

どんな所をみて、そう思ったのかと言うと、

五稜郭の「溝」をみて。

そう、溝を作ることで、敵からの侵入を防ぐ役割をしているなぁ、と思った瞬間に、

人類史とは、敵、味方に分かれて戦争をしている。

ただ、その歴史だな、とも思った。

最近は、その自分と相手を分けて、敵、味方になり、分離から、争い、摩擦、衝突、戦争が生まれている。

そして、戦争に負けた方は、勝った側から、支配される。

そう、つまり、勝った側が上部に君臨して、下部に上から下に水が流れるように、

命令や指示が降りてくる。

それを無条件に、抵抗することもなく、我慢して受け入れ、奴隷のようにこきつかわれてしまう。

なので、その敵、味方の区別が、思想、哲学になり、

仲間意識やグループが生まれる。

そうやって違いと違いが生まれ、違いと違いが出会う。

その問題意識がずっとあって、人間の認識が自分と他者を別けるんじゃなく、

自他共に、全部繋がっているという認識に変わらないと

戦争の歴史はずっと終わらない。

なので、全ての問題は現実ではなく、人間がどうこの世界を認識するのか?

その一点になる。

だから、人間が全ての世界が繋がっているという

認識に変化することが何よりも、あらゆる問題を

解決する鍵になる。

そんな問題意識があるが、実は、それが問題だ、というイメージだったのが、

逆転した、ひっくり返った。

それが函館の五稜郭の「溝」をみた時に、起きた瞬間だった。

どんなイメージにひっくり返ったかというと、

もし?この世界が全てが繋がって、分離のない平和なフラットなイメージを人間が最初からしていたら?

全てがフラットな、それは真っ白なキャンパスが最初からずっと続いていたら?

多様性が1つもない世界。

それがずっと続くとしたら?

これは、人間が分離して、自分と他を分けて、争いが起きている歴史が前提にあるから、

その分離と比較対象して、

フラットで全部が繋がっている状態が最高に安心な世界で◯だ、とはならない。

分離、紛争、戦争が生まれる個性、個人が存在している認識があっての、

フラット、全部が繋がっている状態か最高であって

◯である。

それが生まれている。

なので、分離から、全体の認識に変化して、

そして全体から、分離にもう一度戻る。

行ったり、来たりすることで、

留まらない、固定しない、縛られない。

そんなイメージが必要になる。

その分離と、全体を両方みれるイメージになったときに、

分離、対立が争いのイメージから、

芸術、美しさ、という出会いに切り替わる。

その認識によって、人類が始めて平和になるイメージが来た。

ここで余談だけど、その行ったり、来たりするイメージを得ることで、

誰にでも、何にでもなれる無限の可能性もイメージできるようになる。

例えば、自分が失敗して怒られたときに、怒られた自分が自分に固定していたら、冷や汗、苦しみ、嫌な感情を生み出して、悩みが永遠と続く。

けれども、何にでもなれるイメージの本当の自分だと、怒る人も実は自分だった!ということが理解納得出来て、

怒る人も、怒られる人も、自分であって、それは分かりやすく伝えてると

「怒る人」「怒られる人」その演出、映画監督をしているのが、本来の自分ということになる。

そう。

この皮膚の内側の、頭、手、足、が自分だ、という人類がうん百万年してきた認識から、

全ての存在が本来の自分で、この世界を、宇宙を演出、コーディネイトしているのが、

 

私。

 

となる。

 

私です。

 

全ての宇宙、自然、世界、目の前に起きる、全ての現象を演出している監督は。