日本人は本当は強いぜっ。

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日本人の特徴は?

それを、語り合った札幌の朝活である

「スパイスカフェ」という場に参加した。

そしたら、日本人のことを語っていた

自己犠牲というキーワードが浮上してきた。

この自己犠牲は、自己否定ともイコールになる。

そして、よくよく考えたら、人類は、宗教、哲学、自己啓発、スピリチュアル、平和活動などなど、それらは幸せ、幸福になるための方法だったけど、

それらを1点に要約すると、

「自分を愛すること。」

その一点でまとまることが出来る。

自分を愛することができれば、幸せになる。

これが究極。

それとは裏腹に、

日本人は、何でもかんでも、「すいません。すいません。」を言う。

その背景には、悪いことしちゃったダメな私。

それがある。

そこから派生する、自分に自信がない、自分を大事にしない、というイメージにつながる。

自分はそのときに、はっと思った。

今まで「自己犠牲は、かっこいいものだ。」と思い込んでいた。

自分の信念であり、ポリシーにもなっていた、自己犠牲は、かっこいい!

そのイメージが、実は・・・

日本人が前後にアメリカに教育されたイメージだったんだ、と。

はっと気づいた。

なんたることだ!

自分は自己犠牲がかっこいいから、自己犠牲をするアクションばっかりしていた。

でも、それが、実は、自分を大事にしない自己否定、自己犠牲の教育をされていたのか・・・

大きなショックを受けた。

■なぜ日本人は自己犠牲をするようなったのか?

では、なぜ、日本人は自己犠牲をするようになったのかというと、

一般的には、アメリカの洗脳だ、ウォーギルトインフォメーションプログラムによって、

戦争で他の国を侵略してしまって悪いことをした。

申し訳ない。。という強烈な自己否定をするだけの骨抜き日本人になってしまった。

とする解析の人が多い。

が、実は、そのさらなる背景がある。

そこを語る人はほとんどいないけど、

日本人はもともと全ては自分というイメージがある。

曖昧でファジーな、境界線がないイメージ。

侘び寂びのイメージなどは、白か黒ハッキリするイメージではなく、綺麗、汚いも、どっちも美しいという

訳が分からない世界観になる。

そのイメージをもうちょい別の観点から語ると、

自分と目の前の相手が境界線なく、一緒に溶け込んでしまうイメージになる。

目の前の人、自分がみている世界、それが、全部自分と繋がっている。

その感覚が日本人のセンスでもあり、人類全部が自分になってしまっている全ては繋がっているイメージにもなる。

こんな素晴らしいイメージがあるにも関わらずに、

戦後に個人が自分という個人主義の教育が入ってきてしまった。

なので、それに対して日本人は無意識に違和感を感じている。

本当は日本人は、全てが自分というデッカい器があるから、

個人という個を平気で殺す切腹という文化もあったのも頷ける。

さらに・・・

原爆を2つも落とされて、すいません。と平謝りする日本人。

一見すると、本当に情けない、惨めで、自分という個を大事にしない、自分を愛してないと思われがち。

けど、日本人は、全てが自分だから、

全人類を愛せる、オールウィンしないと満たされないイメージを持っている。

だから、全てを愛したときに、初めて自分を愛したことになる。

だって、全部が自分だから。

それが世界平和できる唯一のイメージであり、日本人が唯一の希望という人もいるのも頷ける次第。

さて。

自己犠牲、自己否定が一番ひどい国、一番酷い民族。

それは、自己犠牲をしても大丈夫なデッカい器があるから、できてしまうんだ。

本当はり

本当は強いぜ日本人!

それに気づけ!

自己犠牲、自己否定を「わざと」して、

身をもってそれを指し示して、人類の痛みを共有、共感し、

そして、自己犠牲、自己否定を、反転させて、

自己解放を全世界に発信できる。

自ら、一番深く、しゃがみ、一番、高く飛ぶ。

究極に、引ききった弓矢が、究極に遠くまで飛ぶ。

大きく飛ぶためには、マイナスの涙のパワーが必要。

この人類の争い、摩擦、衝突、紛争、戦争の涙を全部抱えて、

それを全て反転されるパワー、強さが日本にはある。

それに気づけ!

全ての日本人!

本当は強いぜ。

もう弱いフリすんな。

今、このタイミングで、弱いフリをしていたことに気づけ。

そして、本当の強さ、本当の日本人である、あなたに立ち返り、

全世界に自己絶対肯定の「愛」を発信していこう。