植松努さんの伝えたいメッセージの背後にあるものは?
- 2018.10.26
- 北海道の開拓魂
■植松努さんの伝えたいメッセージとは?
「どーせ無理が世界を不幸にする」というメッセージを伝えるために
2014年かな?TEDxSapporoで登壇されて話されています。
植松努さんは、ロケット開発事業に携わり、講演会、テレビ出演、などなどで子供たちに「あきらめない」と
いうメッセージを発信し続けています。
講演会の内容を聞いたけど、涙が出ました。
あぁ、人間ってこんなにも可能性を殺されている教育を毎秒、毎秒
叩き込まれているんだな、とヒシヒシと感じた。
学校の先生や、大人の口癖は、「どーせ無理」
その「どーせ無理」が子供の可能性を閉ざしてしまう。
それが問題だ、と植松さんは言っています。
■「どーせ無理」が発生する元凶は?
では、植松さんがなくしたいその「どーせ無理」は、一体どこから来るんでしょうか?
どこから?
「どーせ無理だ」と思い込んでいる人に、プラス思考で、出来るよ!可能性だよ!と伝えても、
無意識には、やっぱり「どーせ無理だ」という諦めがある。
その根底にある諦めは、一体なんだろう?一体・・・?
それが、人と人が分かり合うことができない。
その諦めだと思う。
■人と人がなぜ分かり合えないのか?
人と人
分かり合えれば、争い、摩擦、衝突、戦争がなくなる。
分かり合えさえすれば。
じゃぁ、分かり合えない原因が分かればいいことになる。
人が自分の可能性を分かってくれる。
もちろん、自分も全ての人の可能性が分かり、何でもできるんだよ!と
力強く、伝えることができる。
じゃぁ、人間は無限の可能性なのに、できない、できない、無理、できない。。
を連続して続けてしまう、その原因は一体なんでしょうか?
伝えても、伝えても、相手は自分のことを理解してくれない。
その原因とは?
■人と人が分かり合えない仕組みがある
人と人が分かり合えれば、争い、紛争、戦争がなくなる、とさっき伝えたけど、
その原因を明確に定義した人はいないように思う。
分かり合えない原因、それは・・・
人間は同じものを見ていると、ずっと思い込んでいたから。
そう、自分の見ている世界と、相手は一緒の世界を見ている「はず」だ!と
強烈に思い込んでいる。
それが、人と人が分かり合えない原因になる。
そもそも、人と人が分かり合えない、理解しあえないようになっている。
■なぜ人と人が分かり合えないようになっているのか?
なんで、人と人が分かり合いたいのに、
人と人が分かり合えないようになっているんだろう・・・
ありえない、不思議だ、なぜ?という疑問が頭をもたげると思う。
まず、1段階目として人と人が分かり合えないことを語ってみる。
例えば、あなたが生まれ育った環境が、男の子は女の子に優しくするべきだ、という家庭環境だったとしよう。
重たいものは、男子がささっと気を聞かせて運ぶのは当たり前。
そんな家庭で育ったと想像してみよう。
そして、友人である相手が、なぜか、パプアニューギニアに住んでいるパブさんという男性とする。
そのパプアニューギニアに住むパブさんは、
目の前にある、めっちゃ重たい衣装ケースを、近くにいる女性に
運んで、と言ってしまう。
その瞬間に、あなたは、どんな感情が芽生えるだろうか?
どうですか?
男性が女性に優しくする、だから男性が重たい荷物を運ぶのが当たり前という
常識なので、おそらく、イラっとすると思う。
パブさんに対して。
けど、パフさんは、何も気にすることなくケロっとしている。
そして、ますます、あなたは、女性をこきつかいやがって!と怒りが出てくる
かも?しれない。
どうでしょうか?
■その環境がその人を作る
こんな場面をなぜ作ったのかというと、昔にTVを見ていて、
パブアニューギニアに住む女性が重たい荷物を頭の上に乗せて、
こう言っていたのを思い出したから。
「重い荷物を持つのは、私たち、女性の仕事よ」と。
そのときに、重いものは男性が運ぶものだ、という思い込みが破壊されたのを
思い出したからだ。
と、話を元に戻すと、あなたは、重いものは男性が運ぶものだ、という思い込みがあり、パブさんは、重いものは女性が運ぶものだ、という思い込みがある。
この2つの観点が出会うと、一体どうなるのか?
おそらく、意見と意見が衝突する、してしまう。
このように、個人がいいとか、悪いとかじゃなくて、その生まれ育った
環境が違うという、ただそれだけのこと。
個人は何も悪くない。そう思ってしまっているから。
だから、いい、悪い、と否定、ジャッジするべきは、環境になる。
■環境を否定しようキャンペーン
では、環境が人と人を衝突させる原因になるので、環境を否定しようキャンペーンを繰り広げるのがいいと思う。
いいと思うが、いかがでしょうか?
環境も誰かが作ったものですよね?
誰かが、そう、誰かの「教え」「こうだ」というルールが作れらている。
歴史がそれを創っている。
今の時代には、こうしたほうがいいね、という倫理、道徳のようなルールによって
この世界は、秩序化されている。
と、話がだいぶ脱線してしまったが、人と人が分かり合えないのは、環境の違いいより、無理やり、「こうだ」というルールに縛れている人間社会が問題って
ことになる。
そのルール、規律、によって、人は考えたり、行動したりするので。
そのルールというものは、例えば、学校教育だったら、
◯×採点方式だから、×をつける、あんたダメね、と×を付ける教育。
それが問題になり、人間の可能性が殺されてしまう、ということがある。
なので、植松さんが懸念している「どーせ無理」というのは、
学校教育によって創られてしまったので、その学校も実は、
国という環境によって創られている。
ここでは端折るけど、日本の国から教育が生まれているので、戦後の日本の教育をしたアメリカのGHQのような教育が今の日本を創っているので、
その日本という環境から生まれた教育、という立ち位置になる。
なので、植松さんが言っている「どーせ無理」は、戦後のアメリカの日本人骨抜き教育が原因なので、
まずは、そこの現在地があることを、確認する所から。
それがまず第一歩だと思う。
「どーせ無理が世界を不幸にする」という植松さんのメッセージ。
そうなってしまった原因が、戦後のアメリカの日本骨抜き教育から
生まれた。
という原因を知り、そして、第2段階目に突入できる。
まずは、何か問題が発生したときに、そうなってしまった原因を見極めて、
そして、次に解決策に向かう。
そのプロセスがスムーズに、問題を解決する流れになるのでは、と。
そう思ったので、今日はそんなテーマでブログを書いてみました。
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