私の人生は「人の顔色をうかがう」対人恐怖症の奴隷でした①

私の人生は「人の顔色をうかがう」対人恐怖症の奴隷でした①

私の人生は「人の顔色をうかがう」対人恐怖症の奴隷でした。

自分の行動パターンは、とにかく人に嫌われないようにしよう。

ただ、それだけ。

「嫌われている」という状態は顔の表情が「しかめっ面」「イライラ顔」ということになる。

それを確認した時点で、「ヤバい、まずいことになったぞぉ。」と思い、

自分が間違った判断をしてしまった!と恐怖を感じ、なぜそうなったのか?と

原因を一生懸命探し、

二度と嫌われないようにしようと思い、決断する。

なので、自分の中での「正しさ」は、人に嫌われない、そのための行動になる。

そんなパターンがあったので、人に嫌われないためには、人を笑わせることをしよう、という行動パターンを編み出した。

ドジ、間抜け、バカなことをして「クスっ」と笑わせる、それに大成功したので、

そのパターンが飴になり、それを繰り返し、繰り返し、やってしまうことになる。

しかし、大人になり仕事場でミスしちゃいけない現場でも、ドジ、間抜け、バカなことをやり、失敗という結果を招いてしまう。

仕事上で失敗という結果を出すということは、つまりは、怒られて、嫌われる、という現状を生み出してしまう。

そこで、飴が通用しなくなり、困り果ててしまう。

バカ、ドジ、間抜け、惨め、ダメな自分を演じることで、「クスっ」と笑ってくれて、嫌われないということを一生懸命努力してきたのに、

仕事上では、怒られ、嫌われる!

どーしよう?

自分が小さい頃から繰り返し、繰り返し、「嫌われないため」に反復してきた人とのコミュニケーションのパターンなのに、

そのパターンを使っても「嫌われてしまう!」

どーしよう?

笑ってくれるためにドジをしても、仕事では笑ってくれない。。。

無意識に繰り返してきたパターンは強烈だ。

自分は嫌われないために、しっかりと失敗するぞ、と決断しており、

それが意識化にならないけど、「失敗する自分」というアイデンティティーを確立してしまう。

意識では、仕事で怒られるので失敗する自分は絶対に嫌だけど、無意識では失敗を望んでいる。

というか無意識のパワーは強烈な蓄積によって作られているので、無意識が勝つのは火を見るより

あきらか。

なので、自分の人生は、失敗する、惨めになる、そして、資本主義社会の中では敗者、弱者として

生き、そして、奴隷のように働き、自分の意思もなく、そして死んでいく人生。

こんな惨めで、情けなくて、最低の人生だと思うけど、これも自分の無意識が思い描いていた通りに

なっている。

あぁ、全部、思い通りになっている人生だ。

ただ、意識できないだけで、無意識では大成功なんだ、と思った。

無意識では失敗しようと思っているのに、意識では失敗したくないから完璧にこなそう、と思っている。

矛盾。

車のブレーキとアクセルを同時に踏んで、疲れ果ててしまう、そんな人生。

その矛盾を解決する方法が見つかった瞬間は、歓喜でしかなかった。

それを次回、お伝えしますね。