植松努さんの伝えたいメッセージの背後にあるものは?

植松努さんの伝えたいメッセージの背後にあるものは?

■植松努さんの伝えたいメッセージとは?

「どーせ無理が世界を不幸にする」というメッセージを伝えるために

2014年かな?TEDxSapporoで登壇されて話されています。

 

 

植松努さんは、ロケット開発事業に携わり、講演会、テレビ出演、などなどで子供たちに「あきらめない」と

いうメッセージを発信し続けています。

講演会の内容を聞いたけど、涙が出ました。

あぁ、人間ってこんなにも可能性を殺されている教育を毎秒、毎秒

叩き込まれているんだな、とヒシヒシと感じた。

学校の先生や、大人の口癖は、「どーせ無理」

その「どーせ無理」が子供の可能性を閉ざしてしまう。

それが問題だ、と植松さんは言っています。

■「どーせ無理」が発生する元凶は?

では、植松さんがなくしたいその「どーせ無理」は、一体どこから来るんでしょうか?

どこから?

「どーせ無理だ」と思い込んでいる人に、プラス思考で、出来るよ!可能性だよ!と伝えても、

無意識には、やっぱり「どーせ無理だ」という諦めがある。

その根底にある諦めは、一体なんだろう?一体・・・?

それが、人と人が分かり合うことができない。

その諦めだと思う。

■人と人がなぜ分かり合えないのか?

人と人

分かり合えれば、争い、摩擦、衝突、戦争がなくなる。

分かり合えさえすれば。

じゃぁ、分かり合えない原因が分かればいいことになる。

人が自分の可能性を分かってくれる。

もちろん、自分も全ての人の可能性が分かり、何でもできるんだよ!と

力強く、伝えることができる。

じゃぁ、人間は無限の可能性なのに、できない、できない、無理、できない。。

を連続して続けてしまう、その原因は一体なんでしょうか?

伝えても、伝えても、相手は自分のことを理解してくれない。

その原因とは?

■人と人が分かり合えない仕組みがある

人と人が分かり合えれば、争い、紛争、戦争がなくなる、とさっき伝えたけど、

その原因を明確に定義した人はいないように思う。

分かり合えない原因、それは・・・

人間は同じものを見ていると、ずっと思い込んでいたから。

そう、自分の見ている世界と、相手は一緒の世界を見ている「はず」だ!と

強烈に思い込んでいる。

それが、人と人が分かり合えない原因になる。

そもそも、人と人が分かり合えない、理解しあえないようになっている。

■なぜ人と人が分かり合えないようになっているのか?

なんで、人と人が分かり合いたいのに、

人と人が分かり合えないようになっているんだろう・・・

ありえない、不思議だ、なぜ?という疑問が頭をもたげると思う。

まず、1段階目として人と人が分かり合えないことを語ってみる。

例えば、あなたが生まれ育った環境が、男の子は女の子に優しくするべきだ、という家庭環境だったとしよう。

 

重たいものは、男子がささっと気を聞かせて運ぶのは当たり前。

そんな家庭で育ったと想像してみよう。

そして、友人である相手が、なぜか、パプアニューギニアに住んでいるパブさんという男性とする。

そのパプアニューギニアに住むパブさんは、

目の前にある、めっちゃ重たい衣装ケースを、近くにいる女性に

運んで、と言ってしまう。

その瞬間に、あなたは、どんな感情が芽生えるだろうか?

どうですか?

男性が女性に優しくする、だから男性が重たい荷物を運ぶのが当たり前という

常識なので、おそらく、イラっとすると思う。

パブさんに対して。

けど、パフさんは、何も気にすることなくケロっとしている。

そして、ますます、あなたは、女性をこきつかいやがって!と怒りが出てくる

かも?しれない。

どうでしょうか?

■その環境がその人を作る

こんな場面をなぜ作ったのかというと、昔にTVを見ていて、

パブアニューギニアに住む女性が重たい荷物を頭の上に乗せて、

こう言っていたのを思い出したから。

「重い荷物を持つのは、私たち、女性の仕事よ」と。

そのときに、重いものは男性が運ぶものだ、という思い込みが破壊されたのを

思い出したからだ。

と、話を元に戻すと、あなたは、重いものは男性が運ぶものだ、という思い込みがあり、パブさんは、重いものは女性が運ぶものだ、という思い込みがある。

この2つの観点が出会うと、一体どうなるのか?

おそらく、意見と意見が衝突する、してしまう。

このように、個人がいいとか、悪いとかじゃなくて、その生まれ育った

環境が違うという、ただそれだけのこと。

個人は何も悪くない。そう思ってしまっているから。

だから、いい、悪い、と否定、ジャッジするべきは、環境になる。

■環境を否定しようキャンペーン

では、環境が人と人を衝突させる原因になるので、環境を否定しようキャンペーンを繰り広げるのがいいと思う。

いいと思うが、いかがでしょうか?

環境も誰かが作ったものですよね?

誰かが、そう、誰かの「教え」「こうだ」というルールが作れらている。

歴史がそれを創っている。

今の時代には、こうしたほうがいいね、という倫理、道徳のようなルールによって

この世界は、秩序化されている。

と、話がだいぶ脱線してしまったが、人と人が分かり合えないのは、環境の違いいより、無理やり、「こうだ」というルールに縛れている人間社会が問題って

ことになる。

そのルール、規律、によって、人は考えたり、行動したりするので。

そのルールというものは、例えば、学校教育だったら、

◯×採点方式だから、×をつける、あんたダメね、と×を付ける教育。

それが問題になり、人間の可能性が殺されてしまう、ということがある。

なので、植松さんが懸念している「どーせ無理」というのは、

学校教育によって創られてしまったので、その学校も実は、

国という環境によって創られている。

ここでは端折るけど、日本の国から教育が生まれているので、戦後の日本の教育をしたアメリカのGHQのような教育が今の日本を創っているので、

その日本という環境から生まれた教育、という立ち位置になる。

 

なので、植松さんが言っている「どーせ無理」は、戦後のアメリカの日本人骨抜き教育が原因なので、

まずは、そこの現在地があることを、確認する所から。

それがまず第一歩だと思う。

「どーせ無理が世界を不幸にする」という植松さんのメッセージ。

そうなってしまった原因が、戦後のアメリカの日本骨抜き教育から

生まれた。

という原因を知り、そして、第2段階目に突入できる。

まずは、何か問題が発生したときに、そうなってしまった原因を見極めて、

そして、次に解決策に向かう。

そのプロセスがスムーズに、問題を解決する流れになるのでは、と。

そう思ったので、今日はそんなテーマでブログを書いてみました。