「正しさ」がなぜ生まれるの?

「正しさ」がなぜ生まれるの?

■正しさって考えたことありますか?

正しさって何でしょう?

よく、正しいも間違いもないよ、という人がいます。

けど、正しさが必要だから、正しさという言葉があるんだと思う。

不必要な言葉はない、と思うので。

だから、今日は、正しさについて語りたな、と思う。

そもそも、正しさがなぜ必要なのか?って議論をしたいです。

正しさがなぜ必要なんでしょう?

■正しさが必要な理由は?

正しさが必要な理由は、それは人間は行動するからだと、思います。

行動?

誰でもするよね、そりゃー、と当たり前じゃんとう突っ込みが

入ると思います。

そう、行動。

人間は、生まれてから、ずっと何もしないで、じっとしていたら

植物人間のような病気ですが、人間は何かしら動くことをしている。

そう、行動。

その行動は、何も考えないで行動していたら、夢遊病者で、これも病気ですね。

人間は何かしらの判断をし、そして行動します。

例えば、人が怒っている、これは逃げた方がいいな、と

スタスタと、歩き去る。そんな行動をする。

行動をする前に、判断がある、そして、判断には、基準がある。

そう、自分の中でこれが正しいんだ、という判断の基準が。

これが、正しさ、だと思う。

「無難に生きる方が賢い人生だ」という正しさがあれば、

人が怒っているのをみた瞬間に、スタスタと、その場から立ち去るし、

「どんな人とも親身になって関わる」という正しさがあれば、

人が怒っているのをみた瞬間に、どうしたの?何があったの?と質問して

関わるという行動をすると思う。

このように、正しさとは、自分が人生を選択する際の基準になるモノサシに

なりますね。

なので、正しさとは、自分が行動するときに必要なものになりますね。

■正しいも間違いもないよね?

よく正しいも間違いもないよね、と言う人がいます。

そんな人は、「正しいも間違いもない」という正しさが存在しています。

そう言ってくる人にはこう言ってみましょう。

「正しい、間違いは、世の中に存在しているんだよ、お前のその考え間違っているよ!」と。

激怒して頭ごなしに否定してみましょう。

どう答えが返ってくるのかは分かりませんが(笑)

「正しい、間違いは、ない」という考えを否定された、と思って

怒るかもしれませんし、イラっとするかもしれないです。

けど、それは矛盾していて、「正しい、間違いは、ない」を否定する

その考え自体も

正しさ、間違いじゃないので、

怒ったり、イライラする必要もないですよね。

本当に「正しさ、間違いはないよね」ということだとするならば・・・

■人間には正しさ、間違いが存在している

なので、本当の意味での正しさ、間違いはないよね、という人は、

別の切り口からすると、

人生で、判断、選択、行動することを放棄していることにもなります。

判断がある意味正しさになり、選択が、その正しさの基準に照らし合わせ、

行動がその結果体になる。

つまりは、正しさ、間違いがないって人は、行動に主体性ではなく、

誰かが言ったこと、誰かの行動に、従うような形の人生を送ることになります。

正しさというものは、必ず人間にはあります。

でないと、判断できず、選択もできず、行動が1つも出来ない。

さっきも言ったけど、「正しさ、間違いない」という正しさがある人の

選択肢は、「正しさ、間違はある」という人に対して、

否定するという選択をし、そしてスタスタと歩き去る、という行動になります。

■では、あなたの正しさは何ですか?

では、では。

あなたにとっての正しさとは何ですか?

自分という個から飛び出して、

超客観的にみたら正しさなんてないんですけど、人間として生きている以上、

必ず、行動するから、何かしらの正しさを内在していますよね。

その「正しさ」が実は・・・

喧嘩、争い、戦争の元になっている、と聞いたら、どう感じます?

自分の判断自体が、実は、戦争を起こしているなんて、まさか・・・

って思いますよね。

ちょっと軽くまとめますね。

「情報」→「正しさの基準」→「そこから判断」

→「そして選択」→「最後に行動」

というように、何かの情報に触れたときに、自分の判断を司る何かしらの

「正しさ」が内在しているので、それが分かると自分が明確にわかり、

そして目の前の相手も分かります。

これは、一挙に深い話になってしまいますが、

「正しい」と思っているのは、部分情報で、超客観的にみたら、

絶対正しい!という思込みに固定されている。

それが、ガチガチと、目の前の人と喧嘩してしまう根本原因だ、というのが

みえてきます。

喧嘩ってシンプルに言えば、

「俺が正しい!」 VS「私が、正しいわ!」

この構造です。

お互いが正しさを主張しているだけ。

なので、正しさというのが、部分情報であって、思い込みであり、そこに固定されていることに気づけば、

その自分の正しさを一旦、手放すことができます。

すると、相手が何で、その正しさを振りかざすのか?

それが、よくよくみえてきます。

そうそう、正しさを知るためには、「強烈な怒り」の裏に、それが

隠されているので、そこをみていくと、いいかもしれませんね。

その怒りの背景には、必ず「俺が正しくて、相手が間違っている」が

存在しますからね。

ということで、

今日のまとめとしては、怒ったときに、自分の中で、どんな

「私が正しい、相手が間違っている」が存在しているのか?

それをチェックして、そこから自由になりましょう。

それが戦争、争いの種になりますので。

正しさは、自分の判断の基準になるけど、それは、固定すると

戦争になる。

という、まとめ、で今日のところは、いかがでしょうか。

では、では、また次回。