「正しさ」がなぜ生まれるの?
- 2018.10.24
- 神々のメッセージ
■正しさって考えたことありますか?
正しさって何でしょう?
よく、正しいも間違いもないよ、という人がいます。
けど、正しさが必要だから、正しさという言葉があるんだと思う。
不必要な言葉はない、と思うので。
だから、今日は、正しさについて語りたな、と思う。
そもそも、正しさがなぜ必要なのか?って議論をしたいです。
正しさがなぜ必要なんでしょう?
■正しさが必要な理由は?
正しさが必要な理由は、それは人間は行動するからだと、思います。
行動?
誰でもするよね、そりゃー、と当たり前じゃんとう突っ込みが
入ると思います。
そう、行動。
人間は、生まれてから、ずっと何もしないで、じっとしていたら
植物人間のような病気ですが、人間は何かしら動くことをしている。
そう、行動。
その行動は、何も考えないで行動していたら、夢遊病者で、これも病気ですね。
人間は何かしらの判断をし、そして行動します。
例えば、人が怒っている、これは逃げた方がいいな、と
スタスタと、歩き去る。そんな行動をする。
行動をする前に、判断がある、そして、判断には、基準がある。
そう、自分の中でこれが正しいんだ、という判断の基準が。
これが、正しさ、だと思う。
「無難に生きる方が賢い人生だ」という正しさがあれば、
人が怒っているのをみた瞬間に、スタスタと、その場から立ち去るし、
「どんな人とも親身になって関わる」という正しさがあれば、
人が怒っているのをみた瞬間に、どうしたの?何があったの?と質問して
関わるという行動をすると思う。
このように、正しさとは、自分が人生を選択する際の基準になるモノサシに
なりますね。
なので、正しさとは、自分が行動するときに必要なものになりますね。
■正しいも間違いもないよね?
よく正しいも間違いもないよね、と言う人がいます。
そんな人は、「正しいも間違いもない」という正しさが存在しています。
そう言ってくる人にはこう言ってみましょう。
「正しい、間違いは、世の中に存在しているんだよ、お前のその考え間違っているよ!」と。
激怒して頭ごなしに否定してみましょう。
どう答えが返ってくるのかは分かりませんが(笑)
「正しい、間違いは、ない」という考えを否定された、と思って
怒るかもしれませんし、イラっとするかもしれないです。
けど、それは矛盾していて、「正しい、間違いは、ない」を否定する
その考え自体も
正しさ、間違いじゃないので、
怒ったり、イライラする必要もないですよね。
本当に「正しさ、間違いはないよね」ということだとするならば・・・
■人間には正しさ、間違いが存在している
なので、本当の意味での正しさ、間違いはないよね、という人は、
別の切り口からすると、
人生で、判断、選択、行動することを放棄していることにもなります。
判断がある意味正しさになり、選択が、その正しさの基準に照らし合わせ、
行動がその結果体になる。
つまりは、正しさ、間違いがないって人は、行動に主体性ではなく、
誰かが言ったこと、誰かの行動に、従うような形の人生を送ることになります。
正しさというものは、必ず人間にはあります。
でないと、判断できず、選択もできず、行動が1つも出来ない。
さっきも言ったけど、「正しさ、間違いない」という正しさがある人の
選択肢は、「正しさ、間違はある」という人に対して、
否定するという選択をし、そしてスタスタと歩き去る、という行動になります。
■では、あなたの正しさは何ですか?
では、では。
あなたにとっての正しさとは何ですか?
自分という個から飛び出して、
超客観的にみたら正しさなんてないんですけど、人間として生きている以上、
必ず、行動するから、何かしらの正しさを内在していますよね。
その「正しさ」が実は・・・
喧嘩、争い、戦争の元になっている、と聞いたら、どう感じます?
自分の判断自体が、実は、戦争を起こしているなんて、まさか・・・
って思いますよね。
ちょっと軽くまとめますね。
「情報」→「正しさの基準」→「そこから判断」
→「そして選択」→「最後に行動」
というように、何かの情報に触れたときに、自分の判断を司る何かしらの
「正しさ」が内在しているので、それが分かると自分が明確にわかり、
そして目の前の相手も分かります。
これは、一挙に深い話になってしまいますが、
「正しい」と思っているのは、部分情報で、超客観的にみたら、
絶対正しい!という思込みに固定されている。
それが、ガチガチと、目の前の人と喧嘩してしまう根本原因だ、というのが
みえてきます。
喧嘩ってシンプルに言えば、
「俺が正しい!」 VS「私が、正しいわ!」
この構造です。
お互いが正しさを主張しているだけ。
なので、正しさというのが、部分情報であって、思い込みであり、そこに固定されていることに気づけば、
その自分の正しさを一旦、手放すことができます。
すると、相手が何で、その正しさを振りかざすのか?
それが、よくよくみえてきます。
そうそう、正しさを知るためには、「強烈な怒り」の裏に、それが
隠されているので、そこをみていくと、いいかもしれませんね。
その怒りの背景には、必ず「俺が正しくて、相手が間違っている」が
存在しますからね。
ということで、
今日のまとめとしては、怒ったときに、自分の中で、どんな
「私が正しい、相手が間違っている」が存在しているのか?
それをチェックして、そこから自由になりましょう。
それが戦争、争いの種になりますので。
正しさは、自分の判断の基準になるけど、それは、固定すると
戦争になる。
という、まとめ、で今日のところは、いかがでしょうか。
では、では、また次回。
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