私の人生は「人の顔色をうかがう」対人恐怖症の奴隷でした①
- 2018.10.27
- 対人恐怖症・人間関係
私の人生は「人の顔色をうかがう」対人恐怖症の奴隷でした。
自分の行動パターンは、とにかく人に嫌われないようにしよう。
ただ、それだけ。
「嫌われている」という状態は顔の表情が「しかめっ面」「イライラ顔」ということになる。
それを確認した時点で、「ヤバい、まずいことになったぞぉ。」と思い、
自分が間違った判断をしてしまった!と恐怖を感じ、なぜそうなったのか?と
原因を一生懸命探し、
二度と嫌われないようにしようと思い、決断する。
なので、自分の中での「正しさ」は、人に嫌われない、そのための行動になる。
そんなパターンがあったので、人に嫌われないためには、人を笑わせることをしよう、という行動パターンを編み出した。
ドジ、間抜け、バカなことをして「クスっ」と笑わせる、それに大成功したので、
そのパターンが飴になり、それを繰り返し、繰り返し、やってしまうことになる。
しかし、大人になり仕事場でミスしちゃいけない現場でも、ドジ、間抜け、バカなことをやり、失敗という結果を招いてしまう。
仕事上で失敗という結果を出すということは、つまりは、怒られて、嫌われる、という現状を生み出してしまう。
そこで、飴が通用しなくなり、困り果ててしまう。
バカ、ドジ、間抜け、惨め、ダメな自分を演じることで、「クスっ」と笑ってくれて、嫌われないということを一生懸命努力してきたのに、
仕事上では、怒られ、嫌われる!
どーしよう?
自分が小さい頃から繰り返し、繰り返し、「嫌われないため」に反復してきた人とのコミュニケーションのパターンなのに、
そのパターンを使っても「嫌われてしまう!」
どーしよう?
笑ってくれるためにドジをしても、仕事では笑ってくれない。。。
無意識に繰り返してきたパターンは強烈だ。
自分は嫌われないために、しっかりと失敗するぞ、と決断しており、
それが意識化にならないけど、「失敗する自分」というアイデンティティーを確立してしまう。
意識では、仕事で怒られるので失敗する自分は絶対に嫌だけど、無意識では失敗を望んでいる。
というか無意識のパワーは強烈な蓄積によって作られているので、無意識が勝つのは火を見るより
あきらか。
なので、自分の人生は、失敗する、惨めになる、そして、資本主義社会の中では敗者、弱者として
生き、そして、奴隷のように働き、自分の意思もなく、そして死んでいく人生。
こんな惨めで、情けなくて、最低の人生だと思うけど、これも自分の無意識が思い描いていた通りに
なっている。
あぁ、全部、思い通りになっている人生だ。
ただ、意識できないだけで、無意識では大成功なんだ、と思った。
無意識では失敗しようと思っているのに、意識では失敗したくないから完璧にこなそう、と思っている。
矛盾。
車のブレーキとアクセルを同時に踏んで、疲れ果ててしまう、そんな人生。
その矛盾を解決する方法が見つかった瞬間は、歓喜でしかなかった。
それを次回、お伝えしますね。
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