令和哲学カフェは怪しい宗教?
- 2020.07.18
- 悟り(本当の自分)
2人参加すれば無料で、令和哲学の真髄を体験できます。怪しいか、怪しくないか確認したい方はこちらから。https://peatix.com/event/3059439/view
令和哲学カフェ。
実は自分は宗教を10年以上やっていて、しかも、そこで飯を食ってました。
職業が宗教ってことですね。
で、この令和哲学カフェ。
深いことを言っているし、リードしているのが韓国人ということで、
パッと感じて、ふっと思い「宗教?」「怪しい?」という考えてしまうのは分からないではないですね。
実は、令和哲学カフェでは、思い込みの主体という認識が世界を作っているということを伝えてます。
なので、あなたが、「宗教」と思ったら、「宗教」だし、
「最高の学びの場だ」と思ったら、「最高の学びの場」になります。
自分の観点では、ずっと宗教を10年以上やってきて、宗教の限界を明確に感じてもいるし(今は宗教は辞めてしまいましたが。)
宗教とは何か?そして、なぜ人は分からない存在に出会い恐怖を感じると宗教と感じてしまうのか?
それも明確に説明できます。
なので、もし、あなたが令和哲学カフェが宗教だ、と思い込む選択をするのならば、それは宗教になってしまいますね。
令和哲学カフェに参加して気づいたこと
宗教の話をしましたが、
ここで宗教じゃないという言い訳がましいことを伝えるのが、ちょっと勿体ないので、令和哲学カフェに参加して自分が気づいたことを語ります。
それは、一言で言えば、日本の涙に出会えたことになります。
日本の涙?
なにそれ?と意味が分からない方もいるかもしれませんね。
順を追って説明しますね。
まずは・・・
自分の中で常に、恐怖、不安があり、そして行動が全てが「焦り」で
満ち溢れてました。
常に時間がない、焦る、やばい!というのが口癖で、瞬間瞬間を全然楽しめませんでした。
それが令和哲学カフェに参加して、ずっと視聴していると、自分の中で変化が起きました。
令和哲学カフェでは、こんな説明があります。
解析の主体、事件の主体、思い込みの主体。
と、この3つで整理するんですが、思い込みの主体というのが、「私は存在しているんだ」「私は人間だ」「私は男だ」「私は生きているんだ」という無意識に
絶対正しいと思い込んでいること。
つまりは、私と思い込んでいる主体は実は、偽物であり、錯覚である、「思い込みの主体」と言っているんです。
そんな説明を聞き、自分の中で整理が起きました。
常に不安、恐怖の背景には、怒られたくない、責められたくない、という自分がいます。
怒られたくないから、責められたくないから、正しい判断、正しい行動をすることで、それを回避しようとします。
でも、それは、行動レベルの話しなので、実は全然解決されません。
思い込みの主体である、自分という「私が存在している」というアイデンティティーが思い込みであり、錯覚であるということを明確に理解、納得、確信することが、根本的な問題解決になるのです。
自分の感情を整理すると・・・
「自分が存在している」という固定されているところから、さらに、自分の感情、考え、アイデンティティーを整理してみると
こんな感じです。
バカで間違って、要領が悪くて、惨めで情けない自分
→ 完璧で正しくて、要領がよく、かっこいい自分になりたい!
けど、根っこにあるアイデンティティーが、「私はバカだ」と思い込んでいるので、一生、完璧で正しいことなんて出来るわけありません。
なので、無意識にある自分に気づかない「バカな自分」をまずは意識化することがとても大事なんですね。
そして、さらに・・・
バカな自分を演じることで、母親に「大丈夫?」と心配され、愛情をたっぷりもらえる、という飴玉があったのにも気づきました。
なので、無意識の自分は、この人生をバカで、ドジで、間抜けで、そして要領が悪くて、なにやっても失敗する。
それが、意識化では、すごく嫌で何とかしたいと思っていても、無意識の自分は
大成功!ってわけです。
無意識の自分を発見しても幸せになれない理由
と、ここまで文章を書いてみて、無意識にある自分が分かったので、それを
書き換えればいい、と思った人もいるんじゃないでしょうか?
実は、さっきも言ったように令和哲学カフェでは、3つ整理していて、
解析の主体、事件の主体、思い込みの主体。
これです。
この3つの中で、さっきもお伝えしたように無意識の自分も結局は思い込みの主体になり、偽物になるんですね。
じゃぁ、この「私がいる」という思い込みの主体が作られている背景には、
事件の主体があります。
この事件の主体とは一体なんでしょう?
それが、宇宙、自然、歴史、文明が事件の主体になります。
宇宙がないと、私も存在できないし、歴史、人類史がないと、もちろん私も存在できません。
なので、事件の主体が実は、宇宙が生まれて、地球が誕生し、人類史が脈々と書き連ねられていますが、
日本という特殊な民族が、大きな時代のパラダイム転換を起こすキーワードになることが分かりました。
それはどう言ったことかというと、日本がアメリカの占領下にあった7年間で、自虐史観を学ばされました。
そのことによって、日本人が自己否定文化が生まれという歴史学者が多数あります。
そして、日本のプライド、誇り、素晴らしさを発信している人が多く見受けられるようになりました。
しかし、日本が素晴らしい、というのもまだだだ、事件の主体どまりであって、
事件の主体を作り出している「解析の主体」があります。
この「解析の主体」は、宇宙を作った神とも呼ばれていますが、この神の概念もホモデウスという本を読めば分かりますが、
人間が作った概念でしかありません。
なので、神をも超えた本当の自分が、「解析の主体」になります。
ということで、令和哲学は、神、宗教とは違うどころか、神、宗教をも作っている側のことを伝えている学びなんですね。
こんな話をするとスピリチュアル的だとか、精神論っぽく見えると思いますが、
最新の物理学、数学と繋がる話で、際限があるので、誰もが客観的に理解、納得、する技術になります。
と、話がちょっと飛びましたが、日本の涙というのを解析してみたいと思います。
日本の涙とは?
日本の涙と聞き、あなたはどんなイメージをしましたか?
日本の涙というのは、時は人類の涙とイコールになります。
なぜかというと、戦争体験が人類にとっては大きなトラウマレベルになっているのですが、最も恐ろしいとされている原爆を2つも日本は落とされています。
原爆を2つ落とされてる。
これが、日本の涙に繋がります。
なぜかというと、よく考えてみてください。
もし、今、この瞬間にどこかの国で原爆が落とされたとしたら、どうでしょうか?
一瞬でなん十万人の人間が死んでしまう。
コロナウィルスで多くの方が亡くなっていますが、それ以上のパニックが
世界中で起こると思いませんか?
人間が絶対に使っちゃいけない殺人兵器を超えた、原爆。
この原爆を落とされている国は、唯一、日本だけです。
だからこそ、世界平和を唯一、全世界に発信できる国なのです。
一番の究極の苦しみ、究極の絶望を体験している民族が日本なのです。
その究極の苦しみ、絶望をぎゅっと圧縮し、点の中に入れて、さらに、その点の中の点に入れる。
その究極の圧縮の間から、一挙にビックバンのように大爆発し、世界に希望を
発信していくのが日本の使命になります。
いちばん、低くしゃがんで、一番高く飛ぶ、というイメージですね。
なので、かなり今日は話がごちゃごちゃしてしまいますが、自分が
惨めで、情けない自分を演じ、いちばん低くしゃがむ選択をしたのは、
いちばん高く飛ぶためだったんですね。
日本はアメリカの占領下の時に、自己否定を植え付けられたと思い込んでいる解析をする人が大多数だと思いますが、違います。
わざと、日本は、アメリカの自己否定文化を受け入れたのです。
わざと。
なぜか?
それは平和を作るミッションがあるので、わざと自己否定文化を受け入れて、アメリカが日本弱体化政策をすることを
余裕を持って、受け入れたんです。
(これは、意識化では理解できない話ですよね。)
日本のサムライ感覚である、肉を切らせて骨をたつ。
そのやり方です。
なので、日本は想像を絶するぐらいの大きな、大きな器があり、これから日本が全世界に境界線のない世界平和を発信していくタイミングなのです。
まとめ
自分の感情と、日本の涙が繋がったので、簡単にまとめます。
常に不安、恐怖、焦りがあった。
それは、怒られたくない、責められたくないがあった。
さらに、それは、
怒られる自分、間違った、効率悪くて、責められる自分があった。
さらに、さらに、それは、
怒られる自分、間違った、効率悪くて、責められる自分には「大丈夫?」と心配され愛情がもらえるイメージがった。
さらに、さらに、さらに、それは・・・
日本人が罪意識である「責められるべき存在」ということをわざと選択した。
さらに、さらに、さらに、さらに、それは・・・
日本人が無意識深くに罪意識の十字架を背負う覚悟、決断、世界平和を実現するために、
自ら選んだ使命だった。
そして最後に・・・・
そんな日本の涙の覚悟、使命、決断も・・・。
映画の中のスクリーンだった。
それを解析している映画監督のような存在。
それが、解析の主体。
そんないちばん、深いポジションから、この世界をみれるようになる
令和哲学カフェは、宗教ですか?という質問に対しては、
逆に「宗教とは何ですか?」と質問させてもらいますね。
宗教とは何か?をちゃんと調べて確認すれば、その質問は出なくなると思いますので。
(解析の主体にポジションが移動できることを説明している令和哲学カフェ)
PS:
宗教と哲学の違いは、
宗教は盲目的にただ「100%」信じる世界であり、
哲学は、盲目的にならずに自分で理解、納得、整理していく世界です。
令和哲学も信じなくていい、ただ理解、納得、確信するだけの世界になります。
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