朝起きて罪悪感に苛まれるのは、戦後教育に関係している

朝起きて罪悪感に苛まれるのは、戦後教育に関係している

■朝起きたら罪悪感。

朝、起きた。時計を見たら10時過ぎ。

あー、朝6時に起きたら1日をもっと充実できたのに

何で10時過ぎに起きちゃったんだ・・・

と、罪悪感に苛まれる。

これって個人の問題?

いやいや、これは個人の問題じゃなくて、

日本が戦争に負けてアメリカの教育を7年間、受けたから。

それが原因です。

ん?

そんな歴史的な背景と、朝寝坊と関係ないじゃん、と思いがち。

でも、歴史と感情、そして人生は1本の線で繋がって、

立体化してこの世界を映し出す。

今この瞬間の日常の些細なことと繋がっている。

それを紐解いてみよう。

■ご当地キャラクターズ

戦後、ウォーギルトインフォメーションプログラムという

「日本人は悪いことしちゃったね。」教育は大成功に終わり、

見事に世界中に戦争犯罪国家として認知されるようになった。

これって?

自分は、ありがたいことに、仕事の関係で全国各地に住んだ経験があるので、

地域というのは、そこに住んでいる人たちのキャラを創り出す。

例えば、大阪は、お金の話をする人が多いし、福岡は建前する人や、

または、北海道は、人と人の関係性を大事にする。

さらに、海外にも何度か足を運んでいるが、

日本と韓国にも大きな違いがあって、韓国では、建前で人と付き合わず、

相手を指摘し、喧嘩することで仲良くなるというスタイルの民族だったり、

南アメリカの人たちは、常に、どんな時でも、人生を楽しむスタイルで、

あるスピ系のセミナーでインドに行ったときに、

南アメリカ系の人たちは、瞑想している静けさを楽しむときでも、

ぺちゃくちゃと、おしゃべりをしていた、というビックリショックを受けたことがある。

話せば、いろいろあるけど、

中国なんかは、よく嘘をつく、という人が多いけど、これも、中国では政権が

コロコロ変わり、前の政権の生き残りなどは全員、抹殺されてしまう。

だから、「お前、前の政権の生き残り?」と聞かれたら、「いや、違う」と

嘘をつかないと、殺されてしまうので、

嘘をつく文化が染みついている、とか等々。

その国、その地域によって、そこに住むキャラが決まってしまう。

ご当地キャラクターが、その土地に住むキャラがあるのを
自覚したことがありますか?

■「さぼり」は、よくないね、も洗脳か!

日本人のキャラは、たった一言でいえば、

「すみません」と要約できる。

海外に住む、友人に聞かれたことがあるが、日本人は「すみません」という

言葉しか言わないね、と言われた。

あぁ、そうだ、確かに。

ありがとう、と感謝するときに、すみません。

そこどいてくれませんか、も、すみません。

コーヒー飲む?と聞かれても、あ、すみません。

喫茶店で料理を注文するときも、すみませーん。

すみませんを1日何回言うんだ?

今度、数えてみようかな。。。。

このすみません文化は、もちろん、日本が終戦後に、

罪意識を植え付けられてしまった、罪悪感。

つまりは、存在して「すみません。」という文化、教育が染みついている。

だから、日々、日常生活の中で、

罪悪感や、申し訳ない、という気持ちを感じてしまったら、

あなたが悪いんじゃなくて、罪深いんだ、と思い込まされた教育によって

そう思ってしまったんだ、と思うのがいい。

支配する権力者たちの使う常套手段で、それはまるで、「さぼる」と

罪意識が生まれることで、やらないと!と、やりたくもないのに、動いちゃう。

という反応してしまうことと似ている。

「さぼる」のは、よくない、というのはある意味家畜的な思考回路であって、

労働に従事させるように、教育された、もっとも効率のいい奴隷教育になる。

■すみません、すみません、すみません。

日本人は気づいてないかもしれないけど、

日本人全員が、罪深き自分たち、というアイデンティティーがあるので、

「すみません」の一点張りで、と今この瞬間にも

世界中に言い続ける。

「罪深い私」というアイデンティティーがあるので、

人に褒められ感謝されることがあっても、

いやいや、私ごときが・・・ 目立ってしまって、すみません。

という最終着地地点が

「すみません」になってしまうことが多い。

なので、褒められたら、そうだよね、俺って最高だから、もっと行ける!

だから、自分のもっと素敵なところをアピールして、バンバン、ネット空間に

発信してよ、とお願いし、

それが拡散され、その結果大きなビジネスチャンスに繋がる、なんてこともある。

なので、実は、日本人は特に、自分で意思決定してない。

罪深き私、私ごときが・・・と そこに固定されてしまっているので、

私は最高だ!という感情を選択できないってことは、

ある意味、奴隷。

(本来の自分は、自分は最高だ!も、罪深き自分だ、も両方選択できるから)

自分はダメだ!と思い込まされてしまっている教育に

従うだけの思考をし、行動している。

だから、そこの罪意識という教育を受ける前の、

本当の自分というものには、蓋をしてしまっている。

本当の自分に蓋をし、本当の自分を

1ミリも、1秒も、出して生きてないことになる。

ただ、動物のように反射的に反応してしまうクセ、パターンによって生きる、

まさに、従順な奴隷になりさがってしまっている。

自分で判断し、自分で選択し、自分で選んで実践行動してないなんて?

一体全体、本当に生きてるのか?

と問いたい。

話は大きく発展してしまうけど、

これは、実は、日本人特有とかではなくて、

人類全体が、実は、ただ、反射、反応しているだけなんだ、という

ことを今回は、お伝えして、筆を置こう。

と思う。

急に日本人から、人類に飛躍したぞ、と思うかもしれなけど、

もう、今から、カフェ会に出るので、時間がなく、すみません。

また、続きは、明日書こうと思うので、よろしくです。

 

では、では、今日は、このへんで。

あー   。。  今日は、

中途半端に、ブログを終わらせて、

すみません。。

本当に、すみません。

すみません。