本当の意味で「違い」と出会えて楽しめるのか?

本当の意味で「違い」と出会えて楽しめるのか?

本当の意味で「違い」と出会えて楽しめるのか?

この言葉の背景には、かなり深いメッセージが込められている。

なぜならば人は「違い」と出会い続けた歴史でもあるから。

それは、人類は500万年~700万年という長い歳月を通して、

ずっと「違い」に対する恐怖、不安を、何かしらの形で無理やり

共有、共感したフリをして、クリアしてきたフリをしてきた、という歴史がある。

それぞれ違いを活かしあい協力して助け合って生きていこう、という

立派なスローガンがあるが、

「違い」という言葉は、その言葉の通り違うことなので、この世界で

「あなた、それ間違っているよ!」と強烈に否定、非難される内容が違いになる。

どうですか?

違いに出会ったときに、どんな気持ちになりますか?

「あなた、それおかしいでしょ?治しなさいよ、バカ!」

と言われたら、どんな気分になりますか?

そんな違いに出会えた瞬間にあなたは、どんな反応をしますか?

「あなた、それ間違っているよ!」

「あなた、それおかしいでしょ?治しなさいよ、バカ!」」

と言われたときに、その否定を、活かせるためには

どうしたらいいんだろう?と考えれますでしょうか?

「バカ!」!「お前間違っている!」「治しなさいよ!」と言われて、

それらの「違い」を活かしあい協力して助け合って生きていこうー♪

という気持ちになりますか?

もし、その「違い」を活かしあおう、協力し合おうという気持ちが生まれず、

ムっとして(何?バカ?治しなさいよ、だと、おめーが治せよ、バカ!)と

心の中で思ってしまい、その違いを活かすどころか、否定、ジャッジしてしまっと、したら?

本当の意味で「違い」と出会えて楽しめてない、っとことになる。

どうですか?

ぶっちゃけ。

実は、最初に言ったけど、人類は「違い」を活かしあうことが出来ず

「違い」を「むかつく!」「こいつ!」

「俺の方が正しいんだ!」と相手をジャッジ、否定、非難してきた歴史でもあります。

簡単に「それぞれ違いを活かしあい協力して助け合って生きていこう♪」

という言葉を発信する人がいますが、

人類史上実は、誰も、この言葉の通りに実践出来ている人、団体、などは

1人もいないのです。
「違い」という言葉は、本当は「血が痛」という漢字に変換したいくらい、

血と血で、痛みと痛みで、ガチガチぶつかりあった歴史であり、

違いを融合できないんです。

趣味が違う、自分と価値感が違う、楽しいね♪っていうレベルじゃなく

自分が一番、むかつく、はらわた煮えくりかえる、そのときに、

本当の意味での「違い」に出会っているんです。

実は、違いがたのしいね♪という状況は、完璧な違いじゃなく、共有、共感にちょこっと、違いっぽいものが乗っているだけ)

ちょっとここで、プチ体感ワークをすると、

1、「あなたが今まで人生で一番、人にムカついたことは何ですか?」

2、「その時の状況を思い起こし、そのムカついた人、ムカついたことを、活かしあい協力し合うイメージを持ってください。」

と、この2つの質問に答えながら、

イメージシュミレーションしてみてください。

どうでしょうか?

「違い」を活かしあうことが本当に難しいんだと、

実感できると思います。

人類は、この「違い」を融合するために、暴力や、お金、今では倫理道徳という

教育によって、秩序化してきた歴史があります。

もし?

その違いを融合しているかのような社会だと思っていたとしても、

ベースは人間の根幹には、我慢しながら

人と、社会と、世界と、付き合っています。

その象徴になるのが、今の若者で代表する言葉に

現れています。

「めんどくせー。」という言葉です。

この「めんどくさい」の背景には、我慢して何でこんなことやらなきゃいけないの?という疑問、猜疑心、怒り、悲しみ、悩み、などが含まれている。

そんな人間を作ってきた、今までの社会、世界、教育でいいのか?と疑問を問いかけてみます。

「違い」を活かしあい協力して助け合って生きていこうー♪

ということが出来てないんだったら、

別の道、別のやり方、別の教育を受け入れて変化させていかないと、と

思いませんー?

その違いを一旦手放す、一旦、置いておき、全部繋がった状態から、

違いという個性を活かしあえる。

そんな社会、世界を創りたいんだったら、

今までの延長戦ではなく、

今までにない新しい技術、新しい教育、新しい全部が繋がった世界というものを

受け入れて、新しい生き方を創りたいと思いませんか?

自分は本当の意味での「違い」を活かしあうことが出来る人間教育をしてますので、ぜひ、興味のある方はご連絡くださいね。

それでは、また次回。