人間の認識の歴史⑤

人間の認識の歴史⑤

前回、「ない」世界と、「ある」世界のどっちが

真実の世界なのか?という質問をしました。

量子力学的な観点からすると、人間の認識と物質は繋がっている、という認識方式に切り替わるべきなので。

ということも以前にお伝えしました。

けれども、デカルト認識方式の2元論という、人間の認識(精神)と物質は、違うものという論理が今の人間の常識化されているので、

人間の認識(精神)が物質に影響を与えるなんて、あり得ない!と、なかなか受け入れることができないのが、

ある意味、常識の恐ろしさでもあるわけです。

これを受け入れたら、どうなるのか?

そう、目の前の相手という対象物が、自分が作っている、自分が影響を与えている。

という人間間のコミュニケーションに大革命が起きます。

それは、例えば、殺したいむかつく相手が存在しているから、それを見ている私。

という今までのデカルト的な精神と物質は分かれているから、目の前の人は、もちろん、俺とは関係ないぜ、だから、相手がどんなヤツなのかは、

相手が勝手にそうなっただけで、自分とは関係ない。

むかつく奴は、他の人からも、きっとムカつかれるんだろうな、本当に。

こんなむかつく奴には関わらず、ムカつかない凄く素敵な人と付き合う人生を俺は送るぜ。

というちょっと長かったですが、そんなある意味、常識的な認識だったのが・・・。

むかつく奴は、実は、俺がむかつくという認識(精神)だから、それをそうやって存在させている!

目の前の人は何かしらの相互作用によって、自分とは関係しているのです!

というように、最初の質問に戻りますが、

「ある」世界と「ない」世界は、どっちが真実?

この質問の答えは、どっちも真実じゃない。

この宇宙は消滅しているということならば、

「ある」という絶対固定はあり得ないし、「ない」という絶対固定もない、という消滅、ある意味、点灯のような、生まれて、消えて、を繰り返しているのならば、

どっちも偽物になります。

だって「ある」が真実だ、と規定するならば、次の瞬間に「ない」になる。

真実の条件としては、ずっと変わらない状態、だと思うので、

コロコロと変わってしまうとするならば、

さっきまでは、真実だったけど、今は真実じゃないんだよ、とコロコロと

条件、状況によって変わってしまうんならば、変ですよね?

真実は、ずっと変わらない世界。コロコロと変わっているじゃん!

真実は誰から見ても、どの角度から見ても、動物、チンパンジー、地球、木、空、微生物などなど、あらゆるポジションから捉えても、

一切変わらない世界。

それが真実という定義ならば・・・・。

え?変わらない世界ってどこにもないじゃん、と突っ込みが入りそうですが、

真実はこの世界にはないですね、本当に。

この世界は、時間、角度、みる立場、みる場所、ポジション、火をつけたり、水をかけたり、化学変化を起こす物質。

条件、状況によって変化します。

この世界は。

だからこの世界は、真実はない、と悟り知ることが超重要ですね。

では、では、この世界には真実はないなら、人間はどうこの世界を

捉えたらいいのか?

次回はそれをお伝えします。

人間の認識の歴史⑥ へ続く