人と人が分かり合えないと「諦める」「理解する」ことから平和は始まる
- 2019.04.29
- 悟り(本当の自分)
人と人が分かり合えない。
その恐怖、不安、寂しさから全ての争い、摩擦、衝突、戦争が起きる。
と・・・・。
そんなことを聞いてあなたは何を感じますか?
じゃぁ、人と人がわかり合うために話し合ったり、相手の背景などを理解して自分とは違う、ということを確認する?
そんな風にして相手のことを分かり合おう、分かり合おう、としても残念ながら・・・・。
人と人は分かり得ないんです。
本当に残念ながら。
それは400年前のデカルトの心身二元論という認識に人間はガッツリ掴まれているから、という観点から解析もできます。
精神と物質(肉体)は別物、という2つにバッサリと断絶、分けてしまった思考方式なんですが、
分けてしまったということは、ビックバンが生まれた瞬間は全ての存在は1つだったのに、それを分断、分けてしまったことを意味します。
だから、精神も物質もない、ビックバンから宇宙が生まれる、その前は、
全てが繋がっている世界だとするならば、
精神と物質が分かれて、別物で存在するというデカルトの2元論という認識方式は人間が勝手に独断と偏見で作られた宇宙全体を捉えてない認識になります。
つまり人間的な主観的な認識方式なので、宇宙全体を捉えた客観性がない認識方式になります。
文章を書いていて、これは人に伝わるかな、とちょっと不安になってきました。笑
これからもっとシンプルに文章を書こう。
シンプルに分かりやすく伝えることが本当に難しいな、とつくづく感じるこの頃。
今は物質というのは、人間の認識(精神)が影響を与えているという量子力学的な学問に進化しているのに、いまだに、人間の認識(精神)と、物質(肉体)は関係ない!という認識に固定をガッツリされているのが人間の現在地だと思います。
人間の認識が物質に影響を与えているという量子力学的な発見があるにも関わらずに、人間の認識が例えば、物質である太陽には影響はない。
という常識がまかり通っています。
なので、デカルト認識方式から、量子力学的な認識方式に切り替えた時に
一体何が見えるのでしょうか?
それは、物質という誰もがみている世界と、誰もがバラバラである、それぞれの認識の宇宙画面がある、ということですね。
同じものをみているようで、実は・・・
全く違うものをみている。
という世界観です。
同じものをみているんだ、という強烈な思い込みが、「俺はこう思っている」だから相手も「こう思っている」に違いない。
と、大きな勘違いをしているので、
自分の正しさを、相手も同じように正しい、と思い込んでいるのです。
だから、え?なんで分かってくれないの?
と不信、不安になり、人間関係が傷だらけになってしまうんですね。
なので、人間関係は、期待しない、分かり合えない、意見が食い違う、自分が
正しいと思っていることも、相手はそうじゃない。
だから、人間関係は分かり得ないと明確に理解することで、争い、摩擦、衝突、戦争に終止符を打てる。
そのきっかけになるイメージの入り口の扉を開ける鍵を手に入れた状態になるんですね。
あくまで、きっかけ。
人と人が分かり合えない、という絶望を明確に理解し、そして、それを突破するイメージを受け入れる準備ができた、ということですね。
では、続きは、人と人が分かり得ない絶望を感じ、そこから本当に人と人が
分かり合えるとは、どういうことなのか?をお伝えします。
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