「へっぽこ」タイムマネジメントからの飛躍

「へっぽこ」タイムマネジメントからの飛躍

タイムマネジメントが超苦手だった。

それは、まるで時間に縛られることで

不自由になるから、時間管理を全然やらなかった。

そうこうしているうちに、自由の定義が

おかしくなっていたと思う。

時間管理をしないで、自由な時に自由なことをやる。

その繰り返し反復してきて、実はそれがおバカなピエロのように不自由な人生を選択し続けてきたことに、びっくりする事件が起きた。

それが、自分と自分が見ているこの世界の全てが消えてなくなってしまったときに・・・

この感覚は、自分という存在も、自分が見ている世界も全てがホログラムであり、偽物だった。

そんなことが分かった瞬間に自分はずっと不自由を選択し続けてきたことが明確に理解出来た。

それはどうゆうことかと言うと、時間、タイムマネジメントは、自分で自分が使う時間を

自分で決断する、と言うことになるから。

時間、いついつまでにこれをやる、というタイムピリオドをやらないと、

この現実では、物質化、現実化しない。

本当の自由は、不自由をも選択できること。

時間に縛られる、時間に支配される、という実際の現実ではなく、

そう思っている考えが、すでき時間に縛られているし、時間に支配されてしまっている。

これは、ある意味、自由になりたいんだ!

と心の叫んでいるけど、この叫びの背景には

「私は自由じゃない」を無意識に選択してしまっている。

自由じゃないから → 自由になりたい

が、生まれる。

もう、暗闇があり、光がある。

存在があるから、非存在がある。

という因果、カルマに人間は掴まれるように

なっている。

これが相対世界であって、人間が作り出している世界になる。

神や、宇宙をも作り出した大いなる存在を知りうることは、

神や宇宙をも作り出した大いなる存在「すら」

も超える絶対世界、絶対領域に到達する可能性が生まれる。

その境地からイメージすると、

存在が存在する「だけ」で奇跡そのものだから、時間に縛られる、支配されるという感覚も

1つの奇跡の出会いになる。

時間に対するイメージの破壊が起きた時に、

時間に「わざと」縛られる、「わざと」支配されに行く。

というゲーム感覚で、時間と向き合える。

そんなイメージを獲得したので、昔は

時間から逃げていた「へっぽこ」タイムマネジメントだったけど、

時間に向き合うんじゃなくて、時間を自分自身で自ら選択する。

そんな主体性、自主性が縦横無尽に発揮されるので、

因果、カルマから抜け出た新しい時間の付き合い方を

ぜひ、多くの人に伝えていきたいです。