自分で人生を決められず相手に合わせて我慢する生き方卒業
- 2019.01.10
- 我慢しない生き方
自分で自分の人生を決められず
他人の意見に従う。
そんな我慢した生き方をしていました、私も。。
なぜ、そうなってしまったのかを
振り返ってみます。
■人間とは?
あなたは人間ですか?
もし人間ならば、全ての存在である、鉱物、植物、動物などと人間の違いは何ですか?
他の存在との違いは?
人間は、他との違いは「考えること」が出来る存在だと、ここでは定義します。
「考える。」
動物も考えて行動しているよ、という意見が
ありますが、動物は反射、反応しているだけで
考えてないという観点もあります。
それと動物は自我という「私は一体誰?」という
自己がなく「自分を殺す」という概念がないと言われてます。
つまりは動物は、自殺は出来ないけど、
自我の概念がある人間は、自殺できる。
人間は自分で自分の人生を終わらせることが
出来る存在だ、とも言えます。
このように人間の「考え」は苦しみ、悲しみ、悩み
を生み出しますが、
なぜ?そもそも?考えというものが存在するんでしょうか?
■考えとは?
考えは、
これが欲しい、あれがやりたい、こうなったら嫌だな、などなど色々な考えがボコボコ生まれてます。
これらの考えに対して「なぜ?」と問い深掘りを
していくと「生きるため」という答えが出てきます。
例えば「美味しいランチに行きたい」という欲求が
あるとすると、なぜ?を問うと・・・
「お腹すいたから」となる。
さらに、「なぜお腹すくの?」と問うと・・・
「お腹空いて食べないと死んじゃうから」となる。
つまりは、「生きるため」に欲求が存在する、ということになる。
■なぜ生きるのか?
このように考えは、生きるために存在している。
と、まずは一段階定義できるんじゃないでしょうか。
じゃぁ、次の質問ですが、
「何のために人間は生きてるんですか?」
どうですか。
この質問をすると人によっては「楽しむため」と
答える人がいます。
じゃあ、「楽しむため」「楽しみたい」という欲求があるってことは
その背景には「楽しんでない私」というのが確実に存在していますよね。
欲求の背後には、悩みが必ずある。
つまりは、悩み=欲求
ということになる。
例えば、プロ野球選手になりたい、という欲求がある場合は、
私はプロ野球選手じゃない私、というものが存在しています。
このように「こうなりたい!」という欲求の背後には
「そうじゃない私」が確実に存在しています。
楽しみたい、感動したい、快楽を得たい、という願望があるのが人間なので、
必ず、その背後には悩みである
人間は楽しめない、感動できない、不快な気持ち、を持っている存在ということも定義出来ると思います。
なので、本質的には、人間は苦しい、悲しむ、悩みを抱えて生きている存在ということになります。
欲求があるってことは悩みも存在するので。
なので、「人間とは何か?」ということを徹底的に追求している人の共通点は、
人間とは悩む存在なので、その悩みを解決するためにエゴ欲求を拡大する
地球上のガン細胞だ、という
ウィルスのような忌み嫌われる存在だ、と定義している人もいます。
人間とは、争い、紛争、戦争を起こす私利私欲のエゴの塊なんだ、と。
それを見ないように、表面的に「そうじゃないよ」プラス思考で、
「人間とは素晴らしい、無限の可能性だ」と誤魔化している人も多くいます。
人間の定義は、エゴの塊であり、人に優しくする行動も、最終的には自分が「よく思われたい」という自己保身のエゴの塊に、なってしまうのにも関わらずに。
今まで語ったことを受け入れるのも、受け入れないのも自由ですが、
未だに世界では争い、紛争、戦争が起きていることからも、人間はエゴの塊ということを明確に受け入れて、そこをどうするのか?
という根本解決に向かう道を作るために、
人間とはエゴ拡大欲求をし続ける存在だ、ということを一旦受け入れる。
そのことは重要ではないでしょうか?
■私は一体誰?
人間とはエゴの塊だ、ということをお伝えしましたが、
なぜ?人間とはエゴの塊なんでしょうか?
なぜ?人は、争い、紛争し、戦争を起こすような
存在として生まれたんでしょうか?
争い、紛争、戦争はよくないから辞めましょう、とかじゃなくて、
なぜ、人は争い、紛争、戦争をする存在なのか?
その根本原因が分からないで、戦争辞めようと努力しても、根本解決にはなりません。
本気で人類から、争い、紛争、戦争をなくしたいんだったら、
人間がなぜ?争い、紛争し、戦争を起こしてしまうのか?
その根本原因を知ることが重要だと思います。
単なるプラス思考で解決は出来ないですよね。
改めて質問させて貰います?
なぜ、人間はエゴの塊で、争いを起こしてしまう
ような存在なんでしょうか?
■主体とは?
最初の問いに戻ります。
全ての質問の背景には、生きるため、ということに
繋がると最初に言いましたが、
生きるために行動しているんだったら、
「人間とは何のために生きているのか?」という質問をしたくなりますよね。
全ての行動が「生きるため」に集約されるんだったら、
「なぜ生きているのか?」を知りたくなるのは当然です。
ではちょっと、くどいようですが
「人間とは何のために生きているんでしょうか?」
どうですか。
実は・・・
まずは「人間とは何か?」という人間が分からないことには、「何のために生きているのか?」
も分かりようがないんです。
生きることの主体が誰なのか?で、生き方が変わるので当然ですよね。
例えば、ハサミが主体だったら、紙を切るため。
トンカチだったら、釘を打つため。
手だったら、ものを掴むため。
などなど。
このように「何のために?」いう質問の前に、
主体である存在が「何者なのか?」が分からないと、何のために存在し行動しているのかが
分からないのです。
■まとめ
人間は考える生き物であって、
その考えとは、
「人間とは何のために生きているのか?」に答えるために存在している。
けど、その質問に答えるためには、
生きている主体である「私は誰?」という質問に答えれないと無理。
だから、人間であるあなたは、
「人間とは?私とは一体誰?」という質問を
無意識深くにし続けている存在です。
その質問に答えることが出来れば、
「何のために生きているのか?」それも分かり、
日々、毎日、何を選択し、何を行動すればいいのかが明確に分かり、
人に何を言われようと「私はこれをやる!」と決断し、周りに翻弄されず、誰かの意見に従い我慢して生きる人生から
明確に卒業できます。
あたなは、誰で?何のために生まれましたか?
それを知り、他人に従う人生を卒業しましょう。
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