否定、ダメ出し、ムカつく現象は自分の責任だとは言うけども・・・

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昨日、友人に、

「お前ちゃんとしてないからちゃんとやれよ、はぁ。。」

とガッカリされたので、イラッとしてしまった。

そしてさらに道をブラブラ歩いていたら、

工事現場の警備員さんに横断歩道を渡るときに「ダメダメ!何やってんだ、本当にもう。。」と言われ、

これまたイラッとしてしまった。

こんな状況になった時に、あなたは

相手に問題があると思いますか?

それとも自分に問題があると思いますか?

どっちですか?

「ちゃんとやってない。」

「何やってんだ。」

「お前は1人では何も出来ないね。」

この言葉を聞くと、あなたはどんな気持ちになりますか?

「あぁ、自分はダメ人間だ」と思うのか、

もしくは、否定してくる奴に対して、何かしらの攻撃をしたくなるのか?

自分の場合は、

「お前が1人で出来ないから、俺がアドバイスする」というそんな人に対してはイラっとするパターンがあります。

アドバイス = 否定

という方程式が頭の中にガッツリ組み込まれているんですね。

だから、ダメ出し、出来ない、と言われたイメージ来たときには、自己否定か、もしくは他者否定という形で反発してしまう。

なんで今日はブログを書いているのかと言うと

「全部思い込みだった」というハッとする大きな気づきがあったからです。

( それにしても最近ブログ書くのは気づき帳になっていて、自分の頭の中を整理するために書いていることが多くなってきたな。。)

その思い込みの気づきは、

相手が自分にダメ出ししてきたと思っていたけど、

実は「それが思い込みだった」ってことに気づいた。

単刀直入に言うと、目の前の存在は存在しない。

存在しないものを空想、妄想して、自分で作り出した夢をみている映画館のような感じが

今の現実になります。

なので目の前に現れている存在は、自分が投影している過去の情報データベースになります。

外から情報が入ってきて、それを受け取るという

行為が「見る」ということが一般的な常識になっているけど、

外から情報が入ってきて、それを脳の中で

編集、デザインして外に出したモノを見て、それを「こうだ」という解析をしている。

これが現実の正体です。

なので、言い方を変えると・・・

お酒をガブガブ飲んで酔っ払い、そして思わず

苦しくなり吐いてしまう。

そして、吐いたモノをみて、誰だこれ吐いたの!

汚ねえなぁ。。ふざけんな、バカ!

と怒り狂っている。

こんな感じです。

ん?

どんな感じなんだ一体?と訳が分からない人もいると思いますが、何はともあれ、

自分でゲロ吐いて、ゲロを汚い、臭い、と否定し攻撃している

それはそれは、頭大丈夫か?と心配してしまうぐらいの妄想、虚言癖が人間の実態であり、本当の姿なのです。

つまりは、この世界のあらゆる全ての存在、現象、条件、状況は、

自分が作り出していて、100%自分の責任なんですね。

自分以外は誰も責められないし、究極のことを言えば、自分も責められない。

話を元に戻すと・・・

友人や警備員のおじさんに指摘された!と思い込んでいたけど、

それは思い込みであって、

もともと、純粋な混じりっけなしの目の前に起きる現状、条件は、

言葉という音と、目でみる顔の表情、手足が動くという変化だけみていて、そこに自分なりの

「解析」が入るだけの世界なんだな、とふと

気付いた。

解析は無限に出来るので、怒鳴られ大きな声を聞いたときに、

1.元気な人だな、羨ましい

2.うざっ。こいつ家庭環境が腐ってるな

3.自分と真剣にに向き合ってくれてるな

4.何で怒っているんだっけ?怒りの感情って美しいな。

5.いい声してるな、何かバンドのボーカルやってるのか?

などなど。

1〜5のどの解析していいので、どれを選択します?

人から怒鳴られた時は?

さっきも言ったけど、自分はアドバイス=否定された、というパターンがあります。

そのパターンを知っているということは、

アドバイスされて、否定されたと思い込むことも出来るし、

アドバイスしてくれてありがとう、と感謝することも思い込むことも出来る。

なので、パターンを知ることは、選択できる自由を得ることになりますね。

けれども、そのパターンというのは、無意識に作られたもので、普段の日常生活の中では、

ほぼ気づかなくて、その無意識のパターンにある意味、支配、束縛、拘束、コントロールされてしまっている。

なので、その支配、コントロールから自由になるために、まずは、それを知ることが重要になりますね。

なので、日々、イラッとしたり、ムカついたり、

怒鳴り散らしたくなった怒りが湧いてきたら

大チャンスです。

大きな気づきのチャンスですので、それを逃さず、

真剣に向き合うことで、パターンに気付けます。

自分の場合は、イラっとしたときに、

何でイラッとしたんだろう?と自問自答し

その原因を紙に買います。

それを何回か繰り返していると、自分の怒りスイッチのパターンが見えてきます。

そうすると、目の前の人の存在自体がムカつくん

じゃなくて、こんなパターンが来たらムカつく、

と、ただ、反応しているロボットだったんだ!

も、それはもう大きな大きな大ショックが

起きます。

本当に人間は、目の前の人が絶対に存在していて

自分も相手も、宇宙自然も、全ては存在してなく、

自分自身が映し出した、映像をみて、

苦しい、悲しい、悩む認識になっています。

その苦しい、悲しいという悩みを解決するために、

なぜ?という原因にアプローチしないで、Howであるやり方、テクニックで解決しようとします。

なぜ?という原因にアプローチしない、するイメージすらないので、

これは、まるで船底に穴が開いてしまって、そこを塞げばいいのですが、一生懸命、バケツで船の水を海に流す作業をすることに似ています。

一時的な、その場しのぎの解決策をずっとやってきたのが、人類史とも言えるでしょう。

では、人類が今まで原因にアプローチ出来なかった理由は一体なんでしょうか?

それは原因が分からないようになっているし、

誰もそれが原因だよ、とは言う人がいなかったからです。

その原因は人間には分からない、気付けないように

巧妙に仕組まれているのです。

全ての原因は自分にある、というのは頭で知っている人はいますが、

自分の何が具体的に原因なのか?というは曖昧に

なっていると思います。

その具体的な原因というのが人間の脳機能であり、

その脳機能の何が問題なのかというと、

全体を見れない認識だ、ということになります。

これは科学、哲学の分野でも常識化されつつありますが、脳がこの世界全体を見ることが出来ない機能なので、

しょうがない。

本当にしょうがない。

全体像が分からないから、今はこのタイミングで、ここの場所だね、と自分自身の現在地が明確になります。

けど、全体像が分からないから、どこから来て、どこに向かっていくのか?

それも分からず、ただ生きているから生きている。

生きることは楽しむためだ、とか言いながら、

明確な答えがなく、モヤモヤしながら人間は生きています。

なので、人間は部分だけキャッチする脳の機能によって全体が分からず、

全体が分からないから、何をしていいか分からず

路頭に迷ってます。

だから、残念なことに脳でこの世界を見るという

今までの認識では、ストレス、プレッシャー、恐怖、不安によって、自己否定か、他者否定をするしかないことになります。

なので、通常の人間はみんな実は凶悪な極悪犯人だった、という受け入れたくもないものを受け入れたときに、

本当の意味でスタート出来ます。

人間って本当に、自己否定、他者否定しか出来ない

ようになっています。

これを受け入れずに、そんなこと無かったことにして、

そのウエディングケーキの土台、ベースの上に、ちょこんと、ちっちゃい、ちっちゃいイチゴを乗せるのうなもので、

もう、ケーキは、ケーキであって、ケーキはイチゴじゃない。

これと同じように自己否定、他者否定しかできない

凶悪な極悪犯人は、もう極悪犯人であって、

「良い人」ではない。

表面的に見繕っても、結局は、人類歴史が

戦争しかやって来なかったのも、「良い人」じゃないからだと思います。

凶悪な極悪犯人みたいなキャラが実は人間の本性なんだというのを受けれてた時に、

人間という自分の観察も客観的になります。

その客観的になった自分は、人間じゃない自分になり、

さっき言った脳の機能である部分情報しかキャッチ出来ないのもよく分かるようになります。

人間を知るには、人間じゃないポジションに移動することで、人間がよくみえて、人間である自分も

よくよく見えてきます。

その人間である自分が全て思い込みの中で生きていて、

自分自身が妄想、虚言癖であり、自分で監督し、

脚本を書いて、キャストも全部自分で選んで、

作った映画の中に入っている感覚のイメージも

出来るようになります。

全てが思い込みであるということは、自分で自ら思い込みを作り出して、そして現実を創造する

神様のポジションになることも意味します。

■まとめ

神様は人間の概念であり、神様はあなた自身である。

それに気づくには、人間とは何か?に答えれることであり、人間じゃないポジションになることで、

その意味、価値が理解出来るようになる。