自分の行動はすべて「怒られたくないから」という情けない人生でした。
- 2018.12.09
- 対人恐怖症・人間関係
結果を出さないと、と焦る理由とは?
結果を出す
これが自分の認定欲求を満たす条件になる。
それだと、たとえ、結果を出したとしても、嬉しくない。
昔の自分は何をするにも、常に焦っていた。
そのプロセスを楽しむわけでもなく、結果だけを得る、それが勝利の道だと思っていた。
では、そもそもなぜ?結果を出さなくちゃいけないんでしょうか?
結果を。
■何もしない自分に対する認識
何もしないし、結果も出せずに、何も残らない。
そんな状態だったとするならば、自分の自己肯定感もなく、自分に自信がなく
イライラしてくる。
何もしないと、自分に価値がないと思い込み、何かしらのアクションをし、
そして「やっている」ことにより、自分が存在している感じがする癖が自分にありました。
次から次へと、何かしらのアクションをして結果を出す。
このイメージの背景には一体何があったんでしょうか?
■なぜじっとしてないことが罪悪感なのか?
じっとしてないで、次から次へと、行動して何かしらの結果を得たい、という衝動。
なぜ、結果を出さないとダメなんでしょうか?
それが無意識深くになる自分で思う自分像とつながります。
無意識深くには、全体と切り離された人間、自分というアイデンティティーがあります。
自分が存在している、という思い込み。
その思い込みから、自分は愛されてないんだ、という思い込みが生まれる。
そんなプロセスを整理してみましょう。
1、私は人間だ、という存在していると思い込んでいる自分
2、私は存在していると思い込み、そして愛されてないんだ、という思い込み
3、私は愛されてないんだという思い込み、そして、バカなことをして笑ってもらうことにより、愛されているという
思い込み
4、バカなことをして怒られ、どなられ、そしてバカなことをすると愛されなんだという思い込み
5、バカなことをしたくなく、自分ができる自分になりたいと思い行動する
このように1~5の順番で、自分ができる自分になる、そのために一生懸命、行動する。
行動するけど、無意識には自分はバカだ、と決めているので、結果は、バカなことをした自分になる。
そして、もっと完璧に、もっと要領のよい自分に、もっと、もっと、と自分を高めることばかりを
実践、行動をするけど、結局は、できない自分という決断が無意識にあるので、
いつまでたっても、できない自分を選択していることに気づかずに、何とかできる自分になりたい!と強烈に思い、
さらに、実践、行動をする。
だから、実践、行動をしても、常にイライラしている、できる自分になりたいのに、どうしても出来ない自分に
なってしまう。
そんな焦り、そんな苛立ち、そんなイライラがあるので、結果のない結果のために、行動しているのです。
この焦り、苛立ち、イライラする背景には、無意識に「どうせやっても無駄」「また失敗する」という
恐怖、不安でいっぱいになっている。
何をしても、失敗し、怒られ、否定される。
そんな恐怖、不安を抱えて、ずっと生きてきました。
自分がやっている行動が正しいのか?間違っているのか?それを常に考えて生きてきました。
そして、自分の行動は間違っているという結論を持って、行動するので、イライラするのは当然ですよね。
表面的には自分の行動は正しく、意味、価値あるものだ、と思って取り組んでも、無意識では
自分の行動は間違っている、そして否定される、という恐怖が内在している。
■正しい判断、正しい行動って何?
では、昔の自分は常に無意識深くに自分の行動はすべてが間違っていると思い込み、自信がなく、恐怖、不安で
いっぱいでした。
その恐怖、不安というのが2重構造になっていて、それは表面的な自分がバカになることで笑われ愛されると思っていたけど、大人になり仕事をするようになり、そのおバカキャラが通用しなくなったときに、
あぁ、バカになると怒られ、否定され、愛されないんだ、と思うようになった。
だから、自分は必至こいて、バカにされずに、否定されずに、怒られないように、一生懸命努力してきた人生ともいえる。
けど、無意識には、自分はバカになるほうが、愛されるというイメージが根っにあるので、結局は、おバカな行動をして
怒られ、否定され、愛されずに嫌われた、というショックを受け続けることになる。
これが表面的な恐怖、不安であって、もっと無意識には、自分が存在しているという全体から切り離された分離の
自分を選択した瞬間に、不安、恐怖になるという人類共通の限界になる。
基本、人間は自分という個を存在させた瞬間に、恐怖、不安が生まれる仕組みになり、その結果の行動が
自己否定、他者否定になる。
なので、人間共通のこの自分がという我を選択した瞬間に、恐怖、不安が発生するので、そこのポイントに
変化のアプローチをする必要があるけど、どうしても人間って、
表面的な行動の変化をしたがる。
■表面的な行動の変化をしたがる癖とは?
では、自分の場合を例にして、表面的な行動の変化とは一体どうゆうものなのか?をお伝えしたいと思う。
それは、自分は、怒られたくない、から完璧になんでもやろうとする癖がある。
けど、その無意識には、失敗した方が心配され、愛されるというイメージがあるので、結局は完璧にはできないようになっている。
けど、完璧に、失敗しないようにしようと頑張る。
そんな矛盾であり、行動すべてが、実は失敗するようになっている。
なので変化するべきは、行動ではなくて、自分の無意識のアイデンティティになる。
それは具体的にはどこにアプローチするのかというと、一番の根っこである、自分という存在を存在させた
瞬間に発動する、自分は部分であり、全体から切り離されて愛されないんだ、というアイデンティティーになる。
もっと簡単に言うと、自分と存在させた瞬間に、愛されないという恐怖、不安が発動する、ということになる。
そして、愛されない自分だから、愛されるために、何かしらの行動をして変化しようとする。
その行動自体が実は、無意味であって、行動をいくら変えても、愛されない自分というアイデンティティーから
出発しているときには、ずっと私は愛されないという恐怖、不安を抱えて、行動することになる。
やっても、やっても、何かを実践、行動しても何かしら満たされないものがある。
それが、実は、人間共通のアイデンティテイーである、分離から始まる自分は愛されないんだという恐怖、不安。
なので、ちょっとくどいようだけど、自分の場合は、
愛されない自分 → ドジ、バカなことをすると心配され愛される → ドジ、バカになる → ドジ、バカをやっても
怒られる、否定される → ドジ、バカをやらないで完璧にやろう
と、なる。
なので、ドジ、バカをやらないで完璧にやろうと思って、あらゆる行動をするけど、その背景には、
たった1つの「怒られないようにしよう」というイメージが隠れている。
なので、朝起きて、紅茶を飲む、電車に乗る、人と会話する、歩く、座る、そのすべての行動の背後には、
「怒られないかな?」というビクビクしたイメージがある。
もっと言い方を変えると、自分の行動はすべてが怒られないためにしていた、ともいえる。
■怒られないために生きる人生は自分がない
こうして自分は行動パターンがすべて、「怒られないため」でしかないので、
常に、不安で、ビクビクして、正しいかな?と思って生きてきました。
自分の中の正しさとは、怒られないこと、になるけど、
怒る、怒られない、というのは、相手が存在するので、自分がどう生きるのか?には
スポットが当たらない。
だから、自分は何をしたらいいのか、分からなかった。
なにせ、相手に、人に、怒られないため、だけに生きてきた人生だったから。
けど、無意識に決断した、私はバカだ、というアイデンティティーによって、人に怒られやすくて、
そこに恐怖を感じ、人と関わるのが嫌になり対人恐怖症になってしまった時期もある。
けれども今の自分は怒られる、怒る、というイメージが変わってしまったので、
いちいち、人の顔色をうかがうということがなくなった。
なぜ、そうなったのか?それを今からお伝えしますね。
■対人恐怖症を克服したあり方とは?
自分はバカだというアイデンティティーがあり、それに気づかずに、行動すべてがバカなことをやってしまうので
怒れる、否定されてしまう。
という抜け切れない地獄を味わっている、10代、20代、30代でした。
怒られないように一生懸命行動するけど、それが怒られるという地獄のループ。
実は、そういった地獄のループの背景をみることで、そこから抜け出せることが出来たんですね。
それが怒られる自分という設定をしたのは、自分の意思。
バカ、ドジ、間抜けになる選択を自分が自らした、ということが分かりました。
じゃぁ、なぜ、それを選択したのかというと、愛されるため、でした。
バカ、ドジ、間抜けだと心配され、愛されるから、でした。
でも、それが大きな勘違いであって、バカ、ドジ、間抜けにならなくても、もともと、愛されていたんです。
勝手に、愛されてないと思い込み、愛されるために、心配かけて、気にかけてもらって、愛されるために、ドジ、バカ、
間抜けになる決断をしたのが分かりました。
なので、自分はもともと愛されているので、わざわざ愛されるために、自分をピエロ、道化師にならなくていい、という
イメージがきたのです。
■人間は愛されたい!しか行動できない
このように、自分はバカ、ドジ、間抜け、というピエロ、道化師になることで愛されると思い込んでいたので、
それを演じてましたが、そんなことをしなくても、もともと愛されていたんだ、と理解できたときに、
バカ、ドジ、間抜けな自分を選択しなくても大丈夫になりました。
人間というのは、愛されてないから、何かの行動をするというパターンしかしてないんですね。
その背景には、愛されているにも関わらずに、自分は愛されてないと思い込んでしまうという仕組みが
隠されていたんですね。
私は愛されてないと思い込むように設定されている。
だから、もともと私は愛されているんだ、という理解、納得、確信があれば、深い無意識の自分の行動パターンに気づき、
そしてそれを変化させることができるんですね。
自分のイメージ、感情、考え、そして行動パターンは、内容は違えども、繰り返し、繰り返し、同じパターンを
しているんですね。
それは私は愛されてない。というイメージです。
それが思い込みであり、事実じゃないことが理解、納得すれば、愛されてないという思い込みのブロックが外れます。
■まとめ
すべての人間は愛されてないと思い込んでいるけど、無条件で、実は愛されているということを理解することで
愛されるためにしている行動パターンがみえて、その現在地が分かることで、変化が初めてできるようになる。
何を変化させることが大事なのか?
それは、自分で自分に対するイメージである、自分は人から愛されてない、と思い込んでいることに気づく。
それが第一段階です。
自分は無条件で愛されているということが分かれば、何をやっても、何を失敗しても、それは愛されているという
強烈な安心、安全のベースがあるので、失敗を恐れずに何でもチャレンジできるようになるのです。
あなたは、すべての存在から愛されています。
第一段階から、次には、愛されている、愛されてない、という相対世界からも自由な、愛そのもの、という境地も
あるので、それはまたの機会に話したいと思います。
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