人類は全員対人恐怖症だから「こそ」悟れる

人類は全員対人恐怖症だから「こそ」悟れる

■人類は全員対人恐怖症だ、と言い切れる訳とは?

実は、人類みな、対人恐怖症です。

なぜならば、「考え」があるから。

考えは、何をしているのかと言うと・・・

「バカかっ!」「アホぉ!」「間抜け!」「死ね!」「何やってんだぁタコぉっ!」

と、毎秒、毎分、毎時間、自己否定、他者否定、自己否定、他者否定・・・・。

これを繰り返しているのが、人間です。

なぜ、そう言い切れるのかと言うと、

「感謝しなさい」「人に優しくしなさい」「愛を人に与えなさい」という

教えがあるから「に他ならない」

なぜ、こんな教えがあるかと言うと、

「感謝できないから」

「人に優しくできないから」

「愛を人に与えることが出来ないから」

それがベースにあるからです。

いやいや、自分は日々、感謝に満ち溢れているよ、愛がいっぱいで

とっても人生が充実してるよ。

という人がいるかもしれません。

けど、この地球上で戦争、争い、飢餓、貧富の格差、環境問題など、

様々な問題が山積されてます。

その問題に対して、「悩み」「苦しみ」「悲しみ」「絶望」している人も

たくさんいます。

そんな環境にいて、私は幸せというのは、ある意味、異常事態です。

地球という運命共同体の船に乗っている乗組員である75億人の人類が、自分と繋がってないなんて人は一人もいないのに、

自分と他の存在を分けて「違う」と思い込み、自分だけが、自分の国だけが

幸せになろう、幸せだ、という思考は、

本当に異常です。

超異常です。

ムカつく上司の人も、文句悪口ばかり言う母親も、引きこもってTVゲームばっかりする小学生も、

全部がビックバンから、生まれて、今、この時代を生きている仲間です。

ビックバンから宇宙が生まれ、地球がうまれ、今の人間がある。

ビックバンと関わりのない人間は誰かいますか?

うん。

まずもっていないので、人間はみんな元々繋がっていると言えますよね。

繋がっているから、宇宙に存在するすべての存在は、

自分の身体の一部でもあるんです。

だから、自分の国が豊かで、ほかの国が貧しい、この現状に対して

私たちは幸せだ、というのは、

右手を突き指して骨折しているけど、両足が歩けるから、私たち両足は

幸せだ、素晴らしい人生を過ごしている、と言っているようなもんですね。

全部、繋がっているから自分の身体の一部である指が骨折していて

歪があっても、それを無視する、してしまう。

この世界、この国、この社会の今の在り方は、ある意味病気です。

人類全員が、この世界に対する見方(みかた)が病人なので、誰も病気になっていることに気付くことも難しいんです。

人間全員、病気。

この世界の見方(みかた)が、異常なくらい病的になっている。

それは、自分と他人を分けて考えるという2分法の教育が何百年も前から

当たり前のように、教えられてきたので、

自分という範囲が、「皮膚の内側」だけ、という個人主義、そこから発展して

全ての学問、科学、資本主義、拝金主義、などに発展して、

今、地球上では様々な問題が起きてしまっている。

なので、人類が「自分」という個を選択した時点で、エゴという暴力が生まれ、

自己否定、他者否定、をしてしまう。

仕組みがある。

そんな仕組みが人間には備わっている状態で

生まれてしまったんですね。

人間つまり、人間の脳が、この世界を見る、その見方。

「見方」が病気だと理解、納得すれば、そこから初めて

治療しようという概念が生まれます。

その自分と相手が「違う」という分離病をまずは受け入れる。

そして、自分と相手は繋がっているという「つながり」の治療をする。

繋がっているということは、すべてが繋がってみえる「観方」に

変化する必要がある。

観方(みかた)という感じは、観音様の「観」を使っているが、

この観方が、観音様がすべての宇宙自然、神羅万象の仕組みを知る、

悟り知る、という意味でもある。

対人恐怖症という病気は、実は人間は全員持っていて、

それを隠しているか、それとも暴露しているか。

ただ、それだけだと思う。

なぜ、じゃぁ、人間は対人恐怖症なのか?

それは、恐怖、不安という「ぎゅっ」という圧縮と共に、

ところてんを出すように、

「ぬるっ」と、何かが出てくるからです。

その、出てきたものが「悟るため」というものであって、

それが、スッキリした、すべてが繋がっている差が取れた、さとり。

悟るために、人間は自ら対人恐怖症になり、自己否定、他者否定をしてしまうという機能を備えて、この世に生まれてきたんですね。

なので苦しみ、悩み、悲しみ、絶望は悟る為の愛そのものである、

ギフトになります。

ということで、今日は、

対人恐怖症だから「こそ」悟れる、という話でした。

・・・と、ここで終わっても納得いかないのは当然分かります。

苦しみ、悩み、悲しむは、愛だ、ギフトだ、と思えないから困ってるんじゃん!

それを無理やりプラス思考で変化させようとするんじゃなく、

仕組みでパターンで、理解、納得できるイメージを得ることができる

それが出来るならば、「そのイメージ」は欲しいですか?

もし欲しいのでしたら、こちらから確認できますので

興味のある方は、ぜひ。

http://www.nr-japan.co.jp/industry/index.html