私の人生は「人の顔色をうかがう」対人恐怖症の奴隷でした③

私の人生は「人の顔色をうかがう」対人恐怖症の奴隷でした③

前回の続きから、

さらに深堀をしていこうと思う。

私は愛されてない、というのは、どうやって生まれたんでしょうか?

これは人間共通なので、人はなぜ、自分は愛されてないと思い込んでしまうのか?
その質問にもなる。

このイメージで大事なのは、愛されてない私というのは本当の自分ではなく、
作られている、演じられている自分という認識がとても重要だ。

なぜなら、「愛されてない自分」というのも、自分が創っているから。

「愛されてない自分」を作っている、自分がいるなら・・・

それを作っている自分がいる、ってことは、「愛されてない自分」というのは
演技、選択している自分であって本来の自分ではない。

言い方を変えると、映画の俳優のように、今回の映画の私の役は、「愛されてない自分」ね、OK!と
いう具合。

つまりは、「愛されてない私」を認識できるということは、
「愛されている私」が認識できている証拠になる。

愛されている私から、愛されてない私が生まれていることになる。

これが仕組みになります。

それでは、

次回は、

私の人生は「人の顔色をうかがう」対人恐怖症の奴隷でした

その最終回になりますー。

お楽しみに♪