【悟り認識】が語るカントの純粋理性批判を世界一簡単にわかりやすく解析する(超入門編)
カントの純粋理性批判って難しですよね。
自分は昔、チャレンジして3行読んで挫折しました。
カントがなぜ難しいのか?それもnTechという認識技術を活用することで明確にわかりやすく理解できるんですね。
では、今日は世界一簡単なカントの純粋理性批判を解析してみたいと思います。
カントのパラダイム的な認識革命って何?
カントの純粋理性批判を理解する前に、今までの哲学、つまりは
人間が幸せになるためにこう考えればいいんだ!というのがざっくりとした哲学だと思うので、今までの人間が当たり前になっていた考え方を理解する必要があります。
では、カント以前の今までの考え方とは一体なんでしょうか?
それは、こうです。
「目の前にコップがあるね。だから、そのコップを見ている自分がいる。」
こんな考え方です。
超当たり前ですよね。
でも、その超当たり前を破壊したのがカントなんです。
今までは、コップという存在がある。それを認識している私がいる。
という考え方でした。
それが、どうひっくり返ったのかというと・・・
私がいる。そして私が認識するから、コップがある。
こんな感じです。
もっと詳しく伝えると、私が目をつぶっているときは「コップはない」と
いうことになります。
私が目を開けた瞬間に、今までなかったコップが目の前に現れるという
魔法のようなことを言っているのがカントなのです。
これを聞いて、よく分からないって人もいますよね。自分が見る前からずっと目の前のコップはあるじゃん。
なんで、コップが消えたり、現れたりするの?
意味がわかんないじゃん!と思う人もいますよね、きっと。
分からない人は量子力学を学んで理解、納得してみてください。
↓
(漫画が一番分かりやすいですよね)
それと、カントが生きた時代背景も掻い摘んでお伝えすると、宗教の教えに支配されていたとも解析できます。
自分も昔、宗教やっていたのでよく理解できるんですが、神様の教えは
絶対だ!と窮屈になり、自由がないと思ってしまう。
そんな神様の教えに束縛された苦しみから、人間はもっと自由なんだ!という叫びで生まれたのが、カントの純粋理性批判だと、
自分は解析しています。
それが、今まで神という存在から受け身の人間。
神がいるから、人間がいるというように、自分という存在より先に、神、存在、物質(コップ)があり、人間があと付になる。
人間が先じゃなく、後回し、みたいなイメージです。
それが、
いやいや、神に従うだけが人間じゃないよ。
人間が認識するから存在が認識するよ、という人間が先になる。
人間が先になり、私が先になり、そして、存在(コップなど)があるんじゃい!
という大逆転が起きたのが、カントの純粋理性批判になるのです。
このように哲学というのは、人間とは何か?人間はどこからきて、どこに向かうのか?どのように生きればいいのか?
という人間が幸せになる学問なので、人間が何に苦しんでいるのか?という時代背景を知ることは結構大事ですよね。
カントの言う善の行動とは?
では、今まではコップがあるから、私がそれを見る。
と言う認識から、
私がいて、私がコップを見るからコップがある。と言う認識に
変化したのが、カントということをお伝えしました。
では、カントは何を実践するように人々に説いたんでしょうか?
それは、簡単に言うと、「善を行いなさい。」と言うことを奨励しました。
(奨励した、って言い方が現代チックでどうかな、とは思うけど)
じゃぁ、その善という基準は何だったのかというと・・・
「人間の理性じゃない善」と定義してます。
ん?
人間の理性じゃない善って・・・
ここがカントの理解がよく分からないポイントでもありますよね。
これはnTechの認識技術を使えば、超簡単に解析できるんですけど、
カントが言っている理性というのは、人間の5感覚脳の観点という
ことになります。
人間は、5感覚で情報データをインプットして、アウトプットする
存在です。
なので、基本的には、「人間の理性(5感覚脳)じゃない善」というのは、
そもそも人間には認識不可能なんです。
人間の5感覚で見る、聞く、臭う、触る、味わう、という5感覚以外の
感覚が、善と定義しているのです。
だから、カントの純粋理性批判は難しい、よく分からない、とされているのです。
この純粋理性批判という言葉は、「純粋」に「理性」という人間の5感覚脳で見る世界は、真実じゃないよね。
と言っているのがカントなんですね。
もっと言い方を変えると、
「人間が見ている全ての世界は真実じゃないよね。」と、軽く悟っているのがカントになります。
じゃぁ、善、つまりは良い行いって、その基準は一体何?
と、疑問だらけになりますよね。
その善であり、良い行いが自分の中にある「直感」とカント言っています。
ここがかなり曖昧ですけど、直感で自分が善だと思ったら、何が起きても
全てが善になる。
例えば、甘いものが大好きな人がいて、その人にカスタードたっぷりの甘いシュークリームを食べさせることが良い行いだと直感で感じたとします。
そのシュークリームを食べさせたところが、その人は糖尿病だったので、血糖値が上がりそれが原因で死なせてしまったとします。
その行為の結果がどうあれ、良い行いをするという前提だったので、それは、善。
良い行い。
「俺、良いことした!」
ということで、かなり極端だけど、自分が善だという直感(ここが曖昧だけど)で動けば、全てが善である、とカントは言っています。
現代から見ると、自己中で傲慢に見えるけど、あくまでも自分の中にある直感という善が中心軸になり行動することが人間形成には大事だとカントは言っています。
カントの悩み
ここまで書いてきて、カントが何が分かって、何が分からなかったのか?
それが明確に整理されました。
カントは人間を超えた存在(神というか、善というか)がある。
それが自分の中にある。だから理性という欲求のような行動じゃなく、
その善で動くべきた。
と説いたけど、世間一般の人々はカントの言っていることがよく分からない。
だからカントは人と共有、共感できずに孤独だったんだろうな・・・。
そんなカントの悩みまでが理解できるようになりました。
でも、どうでしょうか?
カントが言っている哲学の内容がよく分からないのに、
カントの名前が有名だったり、いまだに純粋理性批判の本が読まれているのが不思議じゃないですか?
それは、カントの純粋理性批判の中に、「真理」が隠れているからじゃないでしょうか。
じゃぁ、真理とは何でしょうか?
まだ現代では真理の定義が明確になされてませんが、実は令和哲学というカフェ会で
カントの純粋理性批判がスッキリ整理され、真理が明確になりました。
(令和哲学カフェ)
真理を探究する人類に哲学は今後必ず必要になるので、ぜひ令和哲学カフェに参加してみてください。
それと自分個人の感想ですが、令和哲学カフェは
真理の驚異的な「傾聴力」を生でみれるレアなカフェ会だと思っています。
最後は宣伝みたいになってしまいましたが、
カントの純粋理性批判の本を3行読んで挫折した自分が、
悟り認識を得ることで難解とされているカントの純粋理性批判を簡単に
解析でき、
それをしかも日常生活に実用、活用できるまでになりました。
(日常に実用、活用することについてはまた別の機会にお伝えします。)
興味ある方は、ぜひ悟り認識であるnTechと検索して調べてみてください。
では、では。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
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