日本人が世界平和の鍵になる根拠は?①

日本人が世界平和の鍵になる根拠は?①

日本人が世界平和の鍵になる根拠は?

日本人が世界平和を創り出す。

そのきっかけ、爆発を作ることが出来る

唯一の希望ということを語りたいと思う。

世界平和を語るには、その真逆、反対である戦争というイメージを共有する必要があると思う。

戦争。

ドンパチ、ガンガン大砲を打ちまくる目に見える

分かりやすい戦争はイメージしやすいと思うけど、

今の現代では何を戦争しているのか?

それが、お金中心の資本主義社会の象徴、シンボルである

経済戦争になる。

つまりは、お金儲け戦争。

お金が儲かっている人は自由で好きな事が

出来て、幸せになる。

お金が儲かってない人は貧乏だから何も買えず、

好きなことが出来ないから、不幸になる。

そんな幸福論の黄金のルールが存在している

ようにみえるけど、

これは本質的じゃない。

経済戦争の本質を見極めると、そこから

世界平和のビジョンがみえてくるので、そのことを語ってみよう。

 

■経済戦争の本質とは?

お金儲かるの?

お金儲からないの?

これが今の現代の思考パターンに無意識に

なってしまっている。

そして、次に派生する考えが、

2つあるので紹介するが、まず1つ目。

1.お金を儲けることをして自由になろう

これ。

この考え方は、ネットビジネスや、個人事業主、ビットコインなどのFXの投資なとに繋がり、

お金さえ手に入れば自由になるという思考パターンになる。

一般的にはほとんどがこの考え方。

2.お金を儲けなくても自由になろう

もつ1つが、これ。

この考え方は、お金に依存しないで自給自足の生活をしよう、自然回帰だ、というナチュラルな思考をする人たちのパターン。

この2つの考え方、生き方は、素敵♪素晴らしい!グレイトぉ!と今のところ思われている。

今のところ・・・

そう今のところ。

この2つの思考パターンの限界に気づいている

人はまだ全世界で0.00001%ぐらいだろう、きっと。

おそらく。

■今の幸福論の限界を語ろう

ついさっき紹介した、2つのステキな思考パターンからくる、行動。

その行動をすることで幸せになる、幸福論が

まかり通っている。

その証拠に夢が叶いました!と笑顔たっぷりの人が

語る内容をみえみると、単純に

お金をいっばい稼いだぜ、という内容。

夢=お金を持ちになる

この幸福論が未だに、幸せなると思い込まされてしまっている。

ここで必ず飛び出してくる、しゃしゃり出てくる思考が、

「お金は悪いもんじゃなくて、ただの手段だよ。」

と。

ここでは、お金を儲ける、儲けない、について語りたいわけじゃなくて、

お金がいっぱいあったら、幸せ。

お金がなくても幸せ。

その両方にも、ある限界が潜んでいる、ということが言いたいんです。

■何が限界なのか?

では、お金を儲ける生き方、お金を儲けない生き方

その2つの生き方の何が一体限界なのか?

それは、そもそも、お金という枠に掴まれていることが限界。

なぜなら、この社会はお金を稼ぐ資本主義社会だから。

そのルールの中で、こちゃ、こちゃ、やっているのが人間になる。

お金儲け、資本主義社会を、ぶっ壊そうぜ!と言っている人も残念ながら、

資本主義社会の枠の中から一歩も出てない。

じゃあ、あなたは資本主義社会、お金儲け主義のこの社会の枠から出たのかよ?

とツッコミを入れられそうなのですが。

枠から出たか、どうかを判断する材料として、お金がなぜ存在するのか?

その質問に答えられることで、枠から出ているとも言える。

それが、お金の本質にもつながる。

このお金の本質でよく出てくるのが、お金は価値そのものだ、お金はそもそも存在してなくて、

問題解決したことによる感謝のエネルギーだ。

と言う人もいる。

それは、それでお金の本質に近いと思うけど、

本当の意味でのお金の本質ではないと思う。

お金の本質とは、人間の価値観、生き方、思考パターン、信念、ポリシーなど、

バラバラの多様性をまとめる、秩序化するための

道具である。

これが究極の本質だと思う。

つまりは、人間が個性があり、価値観がバラバラだから、お金という力によって秩序化する、ということになる。

バラバラな価値観だから、意見が食い違い、争いあわないようにルールが生まれた。

そのルールをスムーズに秩序化するために、お金がある。

昔は、そのルールを守るために、神の天罰が下るぞぉーと脅してみたり、

または、暴力によって無理やりルールに従わせたり、などなど。

今は、お金や、または倫理道徳などを使って、

無理やり従わせ、秩序化しているという、そんな現在地があると思う。

つまりは、バラバラな価値観があり、それを無理矢理、お金という力によって、

バラバラなんだけど、一緒の行動をするために、こうした方がいいよね、とルールを作る。

そして、いやいや、そのルールっておかしくねぇ?

嫌だよ、やりたくないし。

という我儘と言われる人がいては困るから何をするのか?

それが、こんなセリフ。

「ルール守らないの?だったらお金あげない」

お金が欲しい従業員である立場の人は、

「わ、わ、わ、分かりました。ルールを守ります。だから、お金ちょーだい。お願いします。」

と。

これは極端だけど、お金という力によって、ルールを、秩序を保っている。

資本主義社会は。

だから、お金を稼いで、ルールに従い我慢する人生から脱出したい!

と言ったニーズが爆発して、ネット空間などでは

お金持ちになって自由になりませんか?

という広告だらけ、という現状。

ここまで話してみて整理してみると、

ルールに従い、我慢するのが嫌だ!という叫びがあり、そんなルールを作るのは、

人々のバラバラな価値観を秩序化するため。

なので、お金をたくさん儲けても、お金に縛られない生き方である、お金をまったく使わないで、

大自然の中で自給自足生活をする。

などという生き方を選択している人たちがたくさんいる。

が。

が、残念ながら根本が解決されてないので、どっちを選択しても自由になってない。

問題は、バラバラな価値観を、どう秩序化するのか?

という所に行き着く。

バラバラだから、意見がまとまらないし、あぁ言えばこう言う、そう言えば、こう言うという、

まるで話が解決策に発展しない朝まで生テレビの討論のみたいになる。

バラバラな人間の違い。

この「違い」問題をクリアしない限り

自由には絶対になれない。

え?

違って、いいじゃん?

何が問題なの?

何も、違いをそのままにして、一緒のルール作らなくてもいいじゃん。

なんでルールにしたり、秩序化する必要あるの?

と、疑問を持った人もいるかもしれない。

では、次回は、

何でルールが生まれたのか?

何で秩序化しないといけないのか?

それを語りたいと思います。

では、また次回ー。