北海道民が世界に発信できる唯一のミッション

北海道民が世界に発信できる唯一のミッション

北海道の2つのトラウマ

1、北海道に罪人として逃げてきた

2、アイヌを侵略したと思い込まされている

1の罪人として逃げてきた、というのは

人類の歴史を遡れば、すべてが罪を犯していることになる。

自分のお父さん、お母さん、その両親に、おじいちゃん、おばあちゃんがいる。

その、おじいちゃん、おばあちゃんにも、お父さん、お母さんがいる。

自分からみたら、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん。

そのひいおじいちゃんのさらに、お父さん、お母さん・・・と、

どんどん、どんどん、遡ると、人類はどうしたって原始時代になる。

そこでは、動物的な争い、略奪、殺戮などが行われていたことを

考えれば、人間はみんな罪穢れ「だらけ」

なので、わずかな、わずかな、ちっちゃい部分だけ切り取って、

「罪穢れがある」「やましい過去がある」「罪人として働かされていた」

など、など、全く気にする必要がない。

人類全員、すべての人が繋がっていて、誰もが罪を犯している、という考え方の方がすんなり受け入れられると思う。

2のアイヌを侵略したと思い込まされているということも、

誰もアイヌを侵略してないし、侵略しているとも捉えることができる。

地球が生まれたときは、国と国の境界線がなかった。

そこに、境界線が生まれたのは、戦争の歴史があるから。

今のアメリカはインディアンを侵略して、今のアメリカがあるし、

ヨーロッパでも、国が消滅し、新しい国が生まれるという歴史の繰り返し。

誰が侵略した、誰が侵略された、とか、それが歴史であり、当たり前の

流れがある。

なので、これも同じように、北海道の開拓がアイヌを侵略した、というのは、

ほんの、わずかな、わずかな、部分だけを切り取って、

「侵略」と規定しただけのこと。

誰も侵略してないし、誰も侵略されてない。

別の観点からみれば、動物の肉を食べる、植物である野菜を搾取して食べる、ことも侵略とも表現できるから。

そういった勝手に「侵略」という規定をする背景には、

誰かしらのメリットが存在している。

今では、この世界をお金という道具を使ってコントロールしている、いわゆる支配者側と言われる人たちにとっての、

「都合のよい」解析、規定になっているだけ。

なので、この世界の今の常識、ルールは、支配者側にとって、ただ、ただ

都合がいいだけ。

いい、悪い、正しい、間違いもない。

これからの時代にとって一番必要なのは全部を捨てる力

日本が幕末に、西洋の文化を受け入れて、西洋人のマネをした。

ドレス着たり、ダンスしたり、西洋の学問を学び、西洋かぶれ?

これって日本人のプライドを持った人たちからしたら、

「いかがわしい」「汚らわしい」とおもいがち。

でも、実は、この行為は、本当の勇気がないと出来ない。

それが、すべてを捨てる勇気。

サムライが命よりも大事な刀を捨てる。その覚悟、勇気。

西洋を受け入れるのは、ダサいことじゃない。

日本が世界に生き残るために、必死こいた姿。

見た目は、かっこ悪いかもしれないけど、実は、未来の日本人のために

無我になった、素敵な行動。

北海道にも「無我」が根付いている

その幕末から明治にかけて、一見情けない、西洋の猿マネだ、とバカにされがちだけど、全部を、プライドを捨てて、すべてを受け入れる柔軟さ。

ただ、西洋人みたいになりたい?贅沢、優雅にしたい?

そんなわけはない、もし?そう思っているのならば、戦後の洗脳教育で、そうなった、だけ。

全てを捨てる。これが実は、開拓の条件の1つになる。

北海道の開拓、開発は、すべてを捨てた人たちのおかげで成功した。

こんな豪雪地帯に人が本来住めるわけがない。

開拓者たちは、自分たちが住んでいた地元、自分の名前、すべてを捨てて

北海道の大地に足を踏み入れた。

だから、北海道民のひいおじんちゃんたちは、子供、孫たちに、自分たちの

やってきた開拓を多くは語らない。

語らないから、今の北海道民たちは、開拓してくれた開拓民の方たちの

ことを普段考えない。

その開拓民がいたから、今の北海道があるのに、そこに感謝できない

人間になってしまっている。

しっかり、開拓の教育を入れれば、今、歩けること、食べれること、空気吸えること、生きることに、ちゃんと感謝ができる人間になっている。

それは、開拓民たちは、生きるか?死ぬか?のギリギリの世界で毎日を

過ごしていたのだから。

その先の道 北海道

その先の道って一体なに?と問われて答えれる人はいるだろうか?

ほとんどいないと思う。

北海道の強みは、食べ物がおいしい、自然が美しい、だけじゃない。

その食べ物を作った、人間と自然が共存している、それが出来るように

なった開拓精神が一番、世界に発信していけるブランドになる。

なぜならば、すべてを捨てる、勇気、決断、覚悟ができている

北海道民のDNAが流れているから。

そのすべてを捨てるというのは、

人間が今までやってきた「幸せ」になるための教育。

その教育を全部、フルスイングで、すべてを捨てることができるのか?

ちょうど、命より大事な刀を捨てたサムライの覚悟、決断のように。

自分のプライドを持つことよりも、困難な自分のプライドを全部捨てること。

捨てる勇気。

それができる北海道の開拓精神。

全てを捨てたときに、すべてが入ってくる。

2つのトラウマを背負っている北海道民。

それはまさに、イエスが人類のすべての罪穢れを十字架という形で

背負っている姿に似ている。

その先の道はこれだ

今までの文章をまとめると・・・

これからの北海道は、今までの人類がしてきた「幸せ」になるための

知識、技術、やり方、方法、考え方、などなど、ありとあらゆる

全てのものを捨てる、捨て去る。

それが大事だ。

新しい時代を創るためには、今までの概念にない、まったく新しい教育が必要だ。

2つのトラウマは人類を代表している苦しみ。

なぜ、そんな苦しみを代表して背負っているのか?

それは、苦しみを受け入れる大きな器があるから。

他の民族、他の人種だったら、この苦しみを受けれらず、精神が崩壊してしまう。

悲惨、残酷、苦しみ、悲しみが多いのは、それを受け入れ、それを突破できる、

めっちゃビックな、デカい器があるから。

それに気づけるのか?

北海道民?