「危機感がない危機感?」デジタルリーダーシップ研修6期後半に参加してみて(1日目)

「危機感がない危機感?」デジタルリーダーシップ研修6期後半に参加してみて(1日目)

■デジタルリーダーシップ開始

今日から10日間。JeiGrid株式会社が主催しているデジタルリーダーシップ6期の後半がスタートしました。

デジタルリーダーシップ7期の開催のお知らせ (jeigrid.co.jp)

(※デジタルリーダーシップ7期に興味ある方は、こちらから。)

デジタルと聞くとIT、パソコン、電気信号などカクカクしたロボットのような人間の肌の

ぬくもりのようなものを感じられず、無機質な感じがするのは自分だけでしょうか。

そして、AI、コンピューターのような頭脳をもって、カシャカシャっと、超スピードでデータをもとに計算し、答えを導き出す、みたいなイメージもあると思いますが、

ここで言っている「デジタル」というキーワードは、

宇宙の作動原理でもあり、人間のいつもやってしまう人間関係のパターンの認識の作動原理のことにも繋がりますが、詳しくは今日は説明できませんが、今日、初日1日目に感じたことをブログに書こうと思う。

■デジタルorアナログ

デジタルを知るには、その対義語であるアナログという概念をも理解する必要があるので、

ざっと説明しますが、

デジタルには、デジタル時計に見られるように、いったん消えて、また文字版が、表示されるという
「文字がない」「文字がある」という、「ない」「ある」という2つの概念が存在します。

けど、アナログというのは、「文字がある」というか、アナログの時計なので、長針、短針がずっと

存在していて、それが「文字がない」という消えるようなことはなく、
ずっと目でみた状態では、存在が存在としてあり続けている。

当たり前すぎて、なんのこっちゃ分からくなる人もいるかもしれないけど、
最先端の脳科学や、ミクロの科学を扱う量子力学の世界などでは、

素粒子という小さい粒のような存在が、急に消えたり、または、急に現れたりするという
魔訶不識が動きをすることが当然のように学ぶことができる時代になっています。

そういった存在が「消える」という概念を学ぶのがデジタルリーダーシップにも含まれますが、
素粒子が消えて、生まれているという事実は、

人間は素粒子の塊でもあるので、私という人間が今、この瞬間にも消えて、生まれている、という

ことに他ならないけど、

「それがなに?」

「で?」

と、訝し気な質問をし返すという、日常生活にクソ役に立たないようなイメージを持つ人が大半だと思いますが、
クソ役に立つどころの話しじゃない。

役に立つ、立たない、じゃなく・・・。

■作り出した「側」と作り出された「側」

資本主義社会では、効率、役立つ、スピード、大量生産みたいなイメージが自分にはあるんですけど、
さっきも言ったけど、
役立つ、立たない、とかいう次元じゃなく、デジタルというキーワードには、

もう、「そのものだから」と言いたい。

そのもの?

んー、と言ってもよく分からないと思うので比喩表現をしてみよう。

例えば、ノコギリが木の枝を切る道具というように、ノコギリのギザギザの歯をみて
歯磨き粉つけて、歯を磨くヤツはいない。

なので、ノコギリの使命、ミッションは、木の枝を切ったり、木材をぎーこぉ、ぎーこぉ、と

工作用の道具として使用する、ということになる。

このように、それぞれの存在には、それぞれの用途、機能があり、それにそった活用をする。

私、という人間ももちろん一緒であり、人間という用途、機能が

まさか、ただ、飯食って、寝て、起きてという動物と一緒じゃないよね、
と薄っすらと感じている人も多いはず。

人間という存在がどんな存在であり、何をするために生まれてきたのか?

そんなことを考えるのは、人間として生きる上でとっても大事な質問。

だけど、、、。

その質問に対する答えの定義がいまだに、誰もが納得できる形で伝えられている教育は
この世界には、まだない現状なので、ほとんどの人たちは、諦めている。

(言い方がちょっと違うけど、あるけど、それがまだ広がってないというニュアンスの方が正しいかも)

真理や、悟り、真実などはない、と諦めている人の、このような論理は、実はこの定義自体が「真理がある」と無意識に言っていることになる否定できない論理になっちゃっているが、ここで話すと、ちょっと

長くなるので割愛しますが、話を元に戻して。

ノコギリや、歯ブラシなどは、その必要性を感じた、「作り出す側」の人間が作ったので、

いつの間にか、気が付いたら生まれちゃった、、とか「作り出された側」の立場だと人間が分からなくて、

人間を「作り出した側」に回らないと、人間は何か?何のために生きるのか?何をするべき

存在なのか?が分かりようがない。

分かるわけがない。

■本当の自分の出会い方


どうも人間とは何か?どこからきて、どこに行くのか?みたいな話をすると、神?宗教とか、ハイヤーセルフのスピリチャルだ、とか思われそうだけど、
どちらかというと、この話は科学を本来は超えているはずの哲学のジャンルになるとは思う。

人間とは何か?が分かることで、もちろん、私という存在は人間なので、何をすれば
いいのか自動的に分かるようになるが、

人間とは何か?を知るには、どこからきて、どこに向かうのか?という質問の、まずは

「どこから来たのか?」という疑問に対する答えを知る必要がある。

人類は900万年前には存在しなかったので、約800万年前に、なぜ、人間という姿、形をしている
存在が存在たりうるようになったのか。

それを知る必要があるし、それを知るには、例えば、900万年前の「人間を作り出した側の意志みたいな」ものに聞くとちょっとは人間とは何か、が分かりそうなもの。

「作り出す側」だから分かるはず。

なので、どこからきて、今に至るのか?という観点で考えると、人類史という観点ではないけど、
さっき話した、量子力学的な観点だと、

「ない」という存在しない場所から、「ある」という存在に至る動きが働いている、という
ことが整理できる。

通常の人間の認識では、存在あり、その存在が動くという思考だけど、
その逆で、動きによって、存在が存在している、という思考がデジタル認識方式にもつながる。

その動きが、存在を存在させるという整理になるけど、当然のように人間も同じで、動きの元?という(神?)から、
存在である人間が存在していることになるので、

「動き」という「人間を作り出している側」が、人間の起源、始祖のようなものだから、

その「動き」がなにか?を知ることは、人間を知る上では重要な手がかりにもなる。

(※起源、始祖という言葉を使うと新劇の巨人の始祖ユミルを思い出すかもしれないけど、それは、それでイメージしやすいかも)

なので、今までは、長針の針と、短針の針がある、という、存在がずっとある状態の
世界が当たり前だったけど、

「ある」という世界に、量子力学的な観点の「ない」という元になるような期限?始祖?から「ある」を生み出しているので、
「作り出している側」の概念を付けることで、デジタル認識がスタートすることになる。

そのデジタル認識は悟りの初期の段階という定義になっているけど、そのデジタルの認識方式を使って、

本当の自分に出会う、つまりは真実を知る旅に出かける10日間(DLS6期研修の後半)ということにもなる。

■無関心=戦争の危機感のない危機感

・・・と、かなり話が脱線したようにみえるけど、「人間を作り出した側」起源、始祖?でもある神でも、真理でも、悟りでも言葉の定義は何でもいいけど、

それが特別な修行を積んだお坊さんとか、何かの特殊能力持参みたいな人にしか対応してないとしたら、それは、それでおかしい。

おかしすぎる。

なぜならば、人間は真理を求めるし、その答えが出るタイミングの時代にもなっていると思うので。

今の時代、今のタイミングでは。

それと、自分はセミナーに参加した後に「どーしても気になることがあり。」

ブログを書きたくなったけど、そのきっかけになったのが、デジタルリーダーシップのメイン講師をしているNoh Jesu氏の、この言葉。

「ロシアがウクライナに対してジェノサイトをしているのに、

日本人の平和ボケ、無関心が、戦争だ」と。

無関心が戦争?

この言葉を聞いて、何も感じない人が日本人には結構、多いだろうな、と思いながらも

言葉化してみたけど、

自分も実は、この言葉を聞いても、ピンとこなかった派の人間。

その後に無関心という言葉に「ピンとこない」こと自体が、恐ろしいとも思った。

だって、ロシアがウクライナに戦争をしかけていることが無関心ってことは、戦争を容認していることでもあるし、
今後は、中国が、北朝鮮が、日本に攻めに来ても「何もおかしくない時代」なのに、

それが起こらないと思い込んでいる思い込みが、なんか恐ろしくなった。

それに、

ウクライナの女性、子供、何も罪のない人々が無慈悲に殺されているのを知っているのに、

無関心ってことは、

次に、日本が戦争をしかけられて、友人、知人が、いきなり目の前で殺されても、何も感じず、

「無関心」になっていると、=(イコール)だから、とも繋がった。
(このイメージについては、おや?と思う人もいるかもしれないけど、全体からこの現実を解析するとそーなってしまうので、これも機会があれば次回またブログで書こうと思う。)

そして、さらに思ったことは、

日本人があまりにも、世界情勢のことを考えなさすぎるし、戦後のGHQの7年間の占領下の時に、

「何も考えられない」日本人の大量生産をしてしまった、とも感じる今日この頃なので、

アマゾンで、ベンジャミンフルフォードさんが書いた「暴かれた闇の支配の正体」の本を買って、今読んでいる。

その本の帯には「目覚めよ、日本人!」と書かれているが、ほんとぉ~に、マジで日本人という人種は、へんてこりん。

世界から見ると、か・な・り・特殊な日本人という人間を研究すれば、するほど、
不思議すぎて、それでいて、なおかつ、

日本人の精神崩壊っぷりの異常さに、かなり驚きを隠せないショックが、コツコツと積み上げられていく。
(今の日本人って生きているけど、心が死んでるなぁー、しかし。)

どーしたもんかなー、自分も含めて、日本人、。と、世界情勢に対してあまりに無知であり、
危機意識がないという危機意識に

戸惑いながらも、明日は、

デジタルリーダーシップ2日目になるので、しっかり、デジタル認識を学ぼうと思う。

その学びが、実は、世界平和にとって、荒唐無稽な理想論じゃなく、もっとも速く、もっとも確実に、もっとも誰もが求めてやまない学びだと直感で感じる。

では、また明日も、何か感じることがあり、文字を書きたくなったら、書き込みをするので、
よろしくです。

PS:

「世界平和の認識を得る」というキーワードに興味のある方は、こちらから。

デジタルリーダーシップ7期の開催のお知らせ (jeigrid.co.jp)