自分と自分の宇宙は実在していることを証明してみよう

自分と自分の宇宙は実在していることを証明してみよう

自分と自分の宇宙は実在していることを証明してみよう

自分はある。

と思い込んでいる。

強烈に。

自分というものを見ているのは、まぎれもなく、脳が作り出す5感覚。

見る、という行為。

見るから、あるじゃん。

ないって何?という考えが瞬時に働く。

眼で見る情報は、たくさーんある電磁波の中から、わずかな、わずかな、可視光線という

「特定の範囲」でしか見ることができない。

人間の脳みそ、ってヤツは。

なので、全体をみている、完璧にこの世の中を見ている、と思がちだが、ところがどっこい。

ドッコイ。

どこに行く? 部分ならまだしも、その可視光線という限られた範囲で見る、という行為も

条件の中でしかない。

それが人間の脳で見る、という条件。

人間の脳ではなく、電子顕微鏡で見ると、可視光線という守備範囲とは違う世界がみえてくる。

目の前にある、田中君の顔の表情、手足、透き通るような真っ白のグンゼのTシャツなど、それら全てが一遍してしまう。

全てが「ツブツブ」の粒の原子でみえてしまう世界になる。

ここで思うのが、人間の5感覚で見る世界が絶対正しい、というガッチガッチの考えの強烈な固定がある。

絶対、絶対、絶対、絶対!絶対に人間が見ている世界が正しい。

と無意識深くから、そう思い込んでいる。

だから、電子顕微鏡というフィルターを通した世界は、偽物で、人間の見る世界が全ての世界だぜ!

と北斗の券に出てくるバカでかいケンシロウにすぐに殺されてしまうキャラのように、

粋がっている。粋がってブイブイ言わせている。

人間という輩は。

実在とは、実際に、存在しているよ。

どんな条件、状況でも。真実は常に、変わらない。

実のところ・・・ かくかく、じかじか。。。という世界。

ずっと変わらない。

火事になろうが、天地がさけて、落雷がとどめき、地球がぱっかーん、と割れても

変わらない世界。

それが実在している、という定義になる。

この条件だと、こんな形。

あの条件だと、そんな姿をしている。

と、形、姿がコロコロ変わってしまう世界は、本物じゃない。

今日は田中君で、明日は、佐藤君。

だったら、佐藤君に対して、あなたは絶対に田中君ね、間違いなく!と断言できないし。

つまり実在とは、どんな条件でも変わらない真実の世界のことであって、

人間の脳で見るという行為のフィルターを通した世界は、ある特定の範囲の条件つけ

された画面になる。

だから、電子顕微鏡でみると、原子のつぶつぶの世界になり、レントゲンの骨でみるフィルターだと

骨骨、骨骨ロックの世界になる。

キン肉マンに出てくるキン骨マンだらけの世界と、つぶつぶの電子の世界と、今の当たり前の

現実世界と。

この3つのうちの、可視光線のわずかな、わずかな、部分であり、絶対じゃない世界の現実世界。

これを絶対に実在している、と証明できる?

まぁ、まぁ、実在していると言い切っている人がいたとしても、脳のフィルターが違う機能を持ったときに、

目の前の世界も、もちろん違う世界になる。

黒のサングラスかけると、世界が黒くなる。

オレンジのサングラスをかけると、世界がオレンジになる。

じゃぁ、黒か、オレンジか?

どっちが正しい?

どっち?

うん。

どっちも正しくないし、間違いもない。

黒いサングラスなら、黒い世界で、オレンジのサングラスならオレンジの世界になっちゃうね、というだけ。

じゃぁ、実際は?実在は?本体は?真実は?

黒い世界?オレンジの世界?

どっち?

実在、真実っていうのは、コロコロ変わったらおかしいですよねぇ?

「これ」って決めたものが、今日は真実、明日は真実じゃない、っておかしい。

コナン君も言っていたけど、真実は1つ。

黒い世界が真実だ!と言って、次の日にオレンジの世界が真実だ!と

2つが生まれたら、真実の定義には当てはまらない。

なので・・・

ここまで、しつこく、しつこく、文章を書いているのは、なぜか?

何回も、何回も、口をすっぱくして言い続けても、

人間が見ている世界が絶対に正しい!と無意識深くから、思い込んでいるから。

まるで、かたいブロック塀の壁に向かって、水鉄砲でぴゅっぴゅ、と穴を開けようとしている

ぐらい、まるで歯が立たない。

いくら、人間の脳が見せる世界は、絶対じゃなくて、条件で変化するニセモノだから。

と言い続けても、いやいや、私が見ているこの現実世界は、実在していて、真実だから。

という考えの固定に穴を開けるのが難しい。

だから、こんどは実験的に、見る世界を1日違う認識画面にしてみたら、きっと見ている世界観が

変わると思うので、そんな実験体感ワークをやってみたいな、と

思う今日この頃。

人間の脳で見ている世界が、実在していなくて、条件によって絶対に変わらない真実の世界じゃないよ、とショックを入れる、穴を開ける。

そんな体感ワークを。

世界が真逆に見えてしまう、逆転メガネ。

https://www.3bs.jp/physics/geometricopt/u8476730.htm

この道具を使ってセミナーしてみたいな。

と、ふと思った。

と、話は元に戻り。

自分と自分の宇宙が実在していることを証明してみよう。

と言う言葉は、

自分があって、自分がみている世界がずっと変わらず真実である、そのことを証明してみよう。

という言葉に入れ替えることもできる。

そして、

人間の脳で見ている世界じゃない世界を見る、その体験をすることで、

固い、堅い、硬いコンクリートブロック塀の壁に穴を開けて、

真実の世界の間をみつけることができるのか?

そして、この人間の脳が見せている世界が真実じゃないとしたら、

一体真実の世界とは何だろう?

と、この質問がニョキニョキと沸いて出てきたら、しめしめ、だと思います。

なぜならば、質問によって人は勝手にオートマティックに考えてしまい、そしてその考えによって

納得、理解し、その結果、確信のもとで力強い実践行動ができ、

その実践行動が、人生そのものになるから。

だから、

人生が真実で生きれるのか?

人生がニセモノで生きるのか?

 

その2つの取捨選択ができる、大事な質問なので、

「一体真実とは何なんだろう?」という質問を促す

文章を書いてみましたー。

では、では、今日も一日、いってらっしゃーい。