自由なイメージがタイムスケジュール管理を妨害する
- 2019.12.28
- 悟り(本当の自分)
自由になりたい。
人間は誰もがそう思いますよね?
自由っていうイメージはそれぞれ違うので、実はそのイメージが不自由に
させているっていうのに自分は気づきました。
今までの自分の自由のイメージが時間、タイムスケジュール管理をしない。
つまりは、その時々で、何かあったら、すぐに動けるイメージが自由。
だから、いつもスケジュール表が真っ白けっけ。いつでも何かあったら自由に動ける。だから自由。
時間には縛られないぞ!俺は自由だ!というスタンスだった。
けど、時間、タイムスケジュールが何もないので、誰からか、これやらない?時間空いてる?と聞かれると、空いてるよ、と答えて、
その人のタイムスケジュールに自分の時間が割かれてしまう。
あれ?これって、自分の時間を誰かの計画したプランに組み込まれているぞ?これって実は奴隷?
自由ってなんだ?自由って自分の好きな時に、好きなことをやれる。それが自由というイメージ。
これってよく成功したという資本主義社会の成功像なんじゃ・・・。
サラリーマン生活で満員電車に揺られて会社に縛られてませんか?みたいなキャッチコピーに見られるように、
そこから自由になるために、副収入、権利収入を得て、自由になろう!というそんな情報。
そんな思いつきで、その時、その時に、瞬間的に、目標計画もないままに、それはまるで本能のように動くスタイル。
それが自由、それが成功、それが幸せ?
本当に?
そんな状態になるためには、日々、日々、仕事に努力して、一生懸命働いて、お金を貯めて、そして、そのお金をまるで直感で動いて動物のように生きる。
好きなこととは、好きな時に起きて、好きな時に寝て、好きな時に食べて、と。それはまるで動物みたいな生活だな、とふと思った。
そういった自由?みたいな動物的な生活スタイルは最初から出来ずに、最初は緻密な目標計画を立てて、それが達成されて、お金も自分で使える計画もでき、
それがあって初めて、動物的な自由を得れる。
最初から、好きな時に、好きなことをやって、という生活スタイルだったら、仕事もできず、お金も得ることもできず、お金を使い動物的な自由な生活スタイルを過ごせるわけないな、と思った。
本当の自由とは、不自由な箱に自由に出入りできるものだ、というイメージがきた。
本当の超大自由の自分だったら、超自由すぎて自由じゃない。なんでもできる、規制もなく、制限もない、そんな状態は、今の人間的観点からみると、本当に羨ましい限りだけど、本当の超大自由になってしまったら、
こう思う。
「自由すぎて嫌だ、不自由になりたい」と。
それは例えば、どこでもドアみたいに、世界中に一瞬でどこにでも旅行に行けて、無限大のお金もあり、人間関係も自分が王様のような立場で、
自分がお願いすれば、誰もがなんでもOKを出し、一切自分のやることに対して、誰もが賛同して、否定は1ミリもない。
どうでしょうか?
一切、規制や、縛り、誰からも否定されず、100%全肯定される世界であり、自分がまるで王のように、縛りが全くない生活スタイルだとしたら?
実際にイメージしてみれば分かると思いますが、かなり暇になります。
ある億万長者がお金に困らなくなり、リタイアして優雅に生活していたけど、すごくつまらなくなったみたいです。
暇すぎて、嫌だ、辛い、苦しい、と。
それはまるで、映画が最初から最後まで自由、最高、一切トラブルもなく、全てが全てスムーズに、何も苦しみも悲しみもないストーリーだったとしたら?
その映画は楽しい?
きっと、楽しくないと思います。
本当に自分が自由なポジションだったら、規定、縛り、時間に自ら縛られることが喜びであり、
自ら真っ白なキャンパスに、自分で境界線を作って、コーディネイトをしていく世界。
それが自由なんだ、と思うようになりました。
今までの自由は、おそらく既得権力という時の支配者が作った、
奴隷の自由。
本当の自由は、真っ白なキャンパスに、自分で不自由さを描き出すこと。
つまりは、時間がない、何かに縛られているという物理的な状態ではなく、
どんなに時間がなく、ハードスケジュールだったとしても、心が最高に自由なワクワクした規定、縛り、を自分で選択をしている状態。
それが本来の人間の無限の可能性である自由なんだ、と思うようになった。
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