悟った人は死にたくなる絶望を何度も体験している。
- 2019.06.05
- 悟り(本当の自分)
悟った人。
自分も悟った人として、こうしてブログに書き込みをしているけど、
「悟り」のイメージが、どんなことがあっても怒らない、悲しまない、苦しまない、というものが以前の自分にもありました。
けど、インドに行った時に、喜び、感動の感覚しかない人に出会った時に・・・。
あ、違う、と直感で思った。
その通称、悟った人というのは、悲しみ、苦しみ、悩みの感情がないので、いつもヘラヘラしている。
ニコニコしている。
そして、痛みがないのか、人間として何か違う・・・。何か電信柱に頭をぶつけて、頭がおかしくなった人みたいだ、と人間味を感じない、変だ、おかしい、とその時に感じた。
それ以来、インドの悟りは、本来の人間の幸せには到達できないとある意味、悟り知る。
そうして、今現在、悟りとは、怒り、悲しみ、苦しみ、その感情も楽しめる境地になった。
つまりは、外から見たら、本当に悟ってるんだか、悟ってないんだか、よく分からない状態になったと思う。
けど、いくつか質問をすれば、その悟りが明確になっていることに気づけると思う。
という前ふりはここまでにして、今日は自分の体験を通して人間の仕組みを紹介したいと思う。
■人間とは?
人間とは、根本には、生存欲求がある。
自分の場合というか感覚レベルで感じる世界では、「愛されたい」という欲求。
これは、赤ん坊が母親から、へその緒を切られて、分離させらた瞬間から始まる。
赤ちゃんの時には、しゃべれない、1人で歩けない、1人だと食事もできずに「死んでしまう!」。
そう、1人では何もできなく、死んでしまう。
ここで自分に対する自己否定スイッチが人間の誰もが入れられてしまうプログラム化されて、
この世に生まれたのが人間になる。
だから、鬼塚ちひろの月光の歌詞に人は惹かれる。
「この腐敗した世界に産み落とされた」という言葉に。
実はこの腐敗した世界はなくて、腐敗した世界と自分が認識するように、ある意図によって仕組まれて生まれるのが人間なんですね。
なので、悟った人も、現に悟ってない人も、
自己否定を必ずして、苦しみ、もがき、絶望して、それを通過して今日に至っている。
自分だけが苦しい・・・と思いやすいけど、人間の機能上、誰もが自己否定をするようになり、自己否定するということは、イコール他者否定でもあるので、人類史は戦争し続けている現状がある。
ということで話を元に戻しますが、人間は苦しむ存在。
そのメカニズムを自分の体験を通してお伝えしますね。
■中西のメカニズム
私、中西は、さっきも言ったように無意識深くに、愛されたい、が強烈にある。
そのイメージが母親の「しかめっつら」の顔が鮮明に浮かぶんですね。
どんな場面だったのか分からないけど、兎に角、母親のしかめっつらの顔によって、
嫌われた!と無意識深くに反応してしまう自分がいる。
愛されてない私、という人間の根源にある欲求、本能、機能、プログラム化されたもの。
そこから愛されるための行動を研究、開発をすることになる。
人それぞれ、それが個性とかキャラとか言うけど、自分の場合は、おバカになる、という選択をした。
そう、おバカになることで「クスっ」と母親に笑われたという成功体験をしたので、
そのキャラ、そのアイデンティティーを選択することになる。
だって、それもそのはず。
愛されてないというスイッチが赤ん坊の時に入っていて、愛されてないということは、
もしも、愛されずに母親が自分という子供を育児放棄をしようものなら、
食事もできず、死んでしまう。
死に直結するので、必死こいて、愛されるための策を練るわけだ。
なので、自分の場合は愛されず死ぬのは嫌だから、愛され生きるために、おバカになるという生き延びる道を選択した、という背景がある。
ちなみに、おバカとは、「何やってんのよぉ〜」と笑われて、可愛がられるイメージ。
だから、昔は、怖くないのに、観覧車に乗って、ぎゃー、きゃー、泣きわめいたり、
わさびの塊を、わざと、まんじゅうと間違えて食べて、笑われたり。
野球をしているときに、わざと、ボールを取るふりをして、草むらの中に飛び込んで怪我をしたり。
わざと、間違えて、笑いを取る。
道化師、愛されるために必死に笑いとる悲しいピエロのような自分。
それが無意識深くに眠っている。
そのアイデンティティーが全ての人生に繋がっていて、大人になると、おバカなことをすると、叱られ、怒られる。
なにせ、この社会は効率、手際がよくないと生きていけない資本主義社会。
なので、自分が愛されるための「おバカ」キャラは通じなくなる。
そこで、自分はこんな考えが浮かぶ。
「え?おバカキャラが通じない、おかしい、笑われて愛されるはずなのに、怒られて嫌われる!」
そんなやばい!というスイッチが入り、今度は、効率よく、手際よく、完璧な自分にならないと、愛されないんだ、と思い込む。
そして、何事も失敗しないように、間違えないように、一生懸命頑張る。
頑張るけど、根っこのアイデンティティーは、「おバカ」な私があるので
無意識に、バカなことをして、間違えて、やはり怒られる。
意識はバカは嫌で間違えたくない、怒れたくないけど、無意識は、バカで間違えてたい。
という矛盾が生まれる。
その矛盾というものに苦しめられて、昔は、いつもいつも死にたいと思い、自殺願望を持ち何とか生きていた。
ここで中西の仕組みを整理してみる。
1.母親との分離(実は脳の機能でも整理できる)
2.愛されてない私という人間のメカニズム
3.愛されたいという欲求
4.愛されるためのアイデンティティーの構築(おバカキャラ)
5.アイデンティティーが通じない限界
( 根っこには愛されてない私という人間の本能、機能があるので、どんなアイデンティティーを選択したとしても、必ずそうなる。)
6.愛されない私 → 愛されたい私。
という人間の因果、カルマが作られる。
なので、人間はみんな無意識ではこんなことを叫んでいる。
「私は愛されてない!」
「だから、私を愛して!」
その愛して欲しいという欲求が、結婚することで愛されると思い込み、
お金持ちになることで認めらて愛されると思い込み、
世界平和活動をすることで、素晴らしいね!と
言われて、愛されると思い込んでいる。
けど、どんな行動、死にものぐるいの努力をしてアクションしても、愛されることはない。
人間の機能、メカニズム、本能が
機械化されたロボットのように「私は愛されてない」という死にたくないという恐怖、不安、孤独、寂しさを設定してしまっているので。
もっと詳しく解析すると、この「愛されてない」という機械的な条件反射は、
電気信号にも置き換えられる。
ビビビッと脳から発信される電気信号。
嫌だ、苦しい、辛い、悲しい、という感情は脳が作っている。
脳信号によって。
昔、ロボトミーという脳のある一部分を切除す手術というのがあって、
精神病者が治るという当時は奇跡と言われていた。
それはまるで、自分が昔にインドにいき、喜び、歓喜の感情しかない人にしてしまう手術だと感じた。
苦しい、恐怖、不安などの電気信号を発信する基地にあたる脳をなくしてしまう。
そうなると、恐怖、不安にかられる症状がなくなりはするけども、
人間としてやる気、気力がなくなってしまう。
この世界の存在は全て相対世界。
苦しみ、悲しみをなくせば、喜び、歓喜だけになるかと思いきや、
実は、苦しみ、悲しみがあるから、喜び、歓喜がある。
インドに行ったときに、喜び、歓喜の感情しかない通称悟った人に出会ったときに違和感。
それが、実は、その悟った人は、喜び、歓喜、なんかじゃなかったんだ、と今では解析できる。
悲しみ、苦しみがない人は、喜び、歓喜も実は存在しなくなってしまう。
悪魔と天使は表裏一体。
堕天使ルシファーのように、天使なの?悪魔なの?とどっちかを選択したくなるけど、
実は一緒。
■まとめ
話がだいぶ脱線したけど、まとめたいと思う。
全ての人間は「愛されたい!」と叫んでいる。
そして人間とは何か?その答えは、
「愛されてない」と恐怖、不安、孤独、寂しい存在。
どうですか?
この人間という機能、メカニズム、本質を受け入れることが出来ますか?
もちろん、受け入れることは出来ない人が大半だと思います。
なぜならば、人間は「苦しみ」を避けたいというプログラムも同時にインストールされているからです。
じゃぁ、どうすればいいの?
ここでこんなことを言うのは変かもしれませんけど、
勇気を持って、人間を卒業することです。
つまりは、人間の脳の電気信号に支配されない、分離しかイメージできない脳を超えた新しいイメージを得ることです。
分離ではなく、全てが繋がっている全体。
そう、つまりは、悟ることです。
インドの悟りじゃない、現実に応用、活用できる悟りのイメージを得ることです。
今日はだいぶ長い文章になってしまったので、その悟りについては次回、お伝えしたいと思います。
では、また次回。
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