なぜ宇宙は存在してないのに、存在するようになったのか?
- 2019.06.04
- 悟り(本当の自分)
ドイツの哲学者の「なぜ宇宙は存在しないのか?」という本がバカ売れみたいですが、
哲学の本が現代で売れるとはどういった意味が
あるんでしょうか?
その著者のガブリエルは、こんなことを言っています。
このポールペンは何個ですか?とポールペン1本を持ち、投げかけます。
通常は1本と答えますが、ポールペンの先端をくるくる回して取り外して、2つに分かれたポールペンを見せて、1つですか?とさらに問いかける。
さらに量子力学的な観点からみたら、このポールペンは無数の粒子から成り立っている、ということも言っている。
彼は、みるスケールの違いによって、存在が1つのポールペンで見えなくなる。
見るスケールによって、存在がコロコロ変わるから、じゃあどっちが本物なの?と問いかけたら、どっちも本物じゃない。
そのようにみているから、そのように見えているだけで、
そのように見えているのは、ある部分だけをみているのであって、
人間がみている世界と、量子力学的な見え方と、両方を同時に含む全体像は見ることは出来ない。
つまりは、人間は全体をみることが出来ない。
ということを伝えている。
全体というのは、全ての存在の根源である、呼び方は様々かもしれないけど、神、サムシンググレート、空、悟りなどと呼ばれているものだ。
なので、ガブリエルは、人間は全体である神を見ることは出来ない、と言っていることになる。
これは、物理学者の全体を知りたいという欲求に対して、無理だ!という否定を意味することにもなる。
どうでしょうか?
人間は全体を見ることが出来ない。
この限界。
つまりは、人間の脳の認識、フィルターを通した世界しか見ることが出来ず、
ほかの動物、植物、存在がみている世界は、人間の脳とは違う観点なので、それを共有できない。
それを共有出来ないことは、全体をみることは出来ないことと、イコールになる。
それに加えて、人間の脳は単にる電気信号を送り、それにビビビッと反応している機械でもあらことを理解する必要がある。
それはどうゆうことかと言うと、映画マトリックスでモーフィアスが言っているセリフにあるように人間は、単なる電気信号に過ぎない、ということでもそれを示唆している。
どんな電気信号なのかというと、ふっ、ぎゅっ、心臓が鷲掴みにされたようないわゆる「苦しい」「悲しい」その感覚。
死にたくなるようなその感覚を避けるために人間は生きてきた、と言っても過言ではない。
その苦しみの感覚を避けるのが、人間の本能であり、欲求になる。
それがあまりに当たり前すぎて空気のようなものになり、脳の電気信号のビビビッという刺激が嫌で、それにただ、ただ、反射的に反応しているだけになる。
その反応を分かりやすい表現にすると、愛されてない感覚、認められたい感覚、眠たい感覚、性的欲求感覚、お腹空いたという空腹感覚、というのがロボットのように反応している
感覚になる。
そういった人間の本能、欲求というのが脳の単なる電気信号のビビビッという刺激に反応しているだけなんて誰も信じたくないし、理解すら出来ない。
けど、そのロボットのような単なる反射によって、人間は思うようにならないという、
思い通りになっているプログラムにもなっている。
人間はお互いに否定しあうようになっている。
戦争を通して平和を学ぶプログラムになっている。
そして、人間であることに限界を感じて、人間を超えた存在に進化するようにもなっている。
では、人間を超えるにはどうすればいいのか?
それが、人間を含めた存在がある、という大前提を否定すること。
つまりは、さっき言った部分しか人間は認識することが出来ないが、
人間が認識できない領域である、「存在しない」「ない」という新しい認識を得る必要がある。
話がとっちらかってきたように見えると思うけど、脳の電気信号に翻弄され奴隷化された人間が、そこから脱出するには、
脳を超えたまったく新しいイメージが必要になる。
それが脳の中にある情報、データで認識する世界ではなく、脳の機能を超えた新しいイメージになる。
それが、この世界は存在してない、と明確に理解、納得、確信する今までにないイメージになる。
そして、人間も含めて宇宙が存在してないのに、なぜ、存在しているんだろう?という質問をすることで、
何もないところから、存在している、その神秘、神聖に心が躍るようなワクワク感覚を感じられるようになる。
その感覚を常に常にイメージするには、ない、をイメージし、そして、ない、から、
ある、が生まれたイメージをするだけ。
ない、ある。
ない、ある。
ない、ある。
この、ない、から、ある、をイメージできるのが言葉通りイメージ言語になる。
この悟りをイメージできる、イメージ言語に興味のある人は、検索して探してみて下さい。
この、ないのに、あるって不思議?という感覚はまるで、
存在しているのに、存在していないって不思議?という感覚と一緒になる。
では、では、話がかなり支離滅裂になってしまったかもしれないけど、
今日はこのへんで。
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