人間の定め、パターン
- 2019.04.25
- 悟り(本当の自分)
人間は自己否定、他者否定、環境否定をするようになっている。
それは何を意味するかというと、脳のクセによって分離する認識になってしまい、孤独、寂しさを感じる存在に設定されている。
孤独、寂しさを感じてしまう感情を携えてしまうので、何をやっても、何を考えても、「寂しい。。。」「悲しい・・」という感情を拭えない状態になってしまう。
自分の場合は、孤独、寂しいという言葉よりも、「恐怖、不安」という感情の方がしっくりくる感じですが。
そんな「孤独、寂しい」心の状態を持っている人間だから、人と出会う時の心の叫びは、
「孤独、寂しさを埋めたい」つまり、愛を欲しい。
という愛をクレクレ星人になっている。
けど、もちろん、人間はお互いが愛をクレクレ星人だから、愛を貰えるわけもなく。。。。
玉砕されて、悲しみを感じ、そして相手を不信するようになる。
自分の場合は、悲しみ、不信は、「どうせ嫌われる私」「共有共感できない」という単語だとしっくりくるイメージになる。
次に悲しみ、不信が続く、蓄積することになるので、その蓄積された凝縮された存在が「怒り」になる。
自分は昔は「怒り」が嫌いで、嫌いで仕方がなかったけど、怒りの背景には悲しみ、不信、そして孤独、寂しさ、それが隠されている。
しかし目で見るビジュアルでは、それを確認することは難しい。
怒りに出会った瞬間に怒りの背景である、悲しみを感じるんじゃなくて、自分が怒りに触れた時の「恐怖」という内側にベクトルが向かう。
なので人間として生きる上では怒りに出会うと、その相手の怒りの背景を見る余裕などなく、
怒りに対応するべく、自分の恐怖、不安の感情に着目をし、そしてその処理をすることに精一杯になってしまう。
だから結論としては、人と人は分かり得ないようになっている。
その事実を人は受け入れない。
受け入れない。
人と人は分かり得ないような仕組みになっている。
それは、人間が脳という機能を備えた瞬間に自分と他者を分けるように設定されているから。
これは分離という認識方式が人間の観察方式とも言える。
なので残念ながら人間は人と人がわかり合うことができない。
その絶望を感じたところから、初めて、絶望の一点集中した間を通して人と人が分かり合える世界に出会える。
限界を感じた時には、変化が始まる。
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