札幌で「心の仕組み」を活用した婚活、合コンをやりたいな。

札幌で「心の仕組み」を活用した婚活、合コンをやりたいな。

いきなりだけど人間の「分かり合えない」その仕組みを

語ってみる。

これは婚活、合コンパーティーにも最終的につながるので語りたいと思う。

さらに・・・

歴史を語ることが理解の幅がぐーっと広がるので退屈?かも

しれないけど、そこから語らねばならん。

歴史を知ることで人間を知り、その人間同士の関係性である出会いにも通じるので語る、ということになる。

昔は中世時代には全体主義と言われる個という概念がなく

王様の為に自分が存在しているという存在意義になっていた。

なので個人と言うエゴ、個人という欲を持つことができずに、今の資本主義社会とは全く違う世界になっている。

そしてフランス革命というきっかけによって、個人主義という概念が発生した。

個人が自分という概念。

その概念が何を生み出したのか?

そう。孤独、寂しさという感情を作り出した。

昔は、全体主義だったので、個人という分離した自分というのが存在してなかった。

それが全体から切り離された個人という分離した存在を存在させる

教育によって、孤独、寂しさという感情を作り上げた。

なので、頭、体、手足という自分の所有している自分という個人がある、という教育によって、欲望というものが別の次元に変わる。

それが個人の欲を満たすという資本主義社会の原動力になる。

分かりやすく言うと、宇宙自然全てと繋がっている自分なのに、個人を強調する教育によって、全体と分離され、孤独、寂しさを感じてしまうので、

常に満たされない状態になってしまう。

特に食欲があるわけでもないのに、満たされない不安、恐怖から

チョコレート、ポテトチップスなどを口の中に入れてしまうように、

満たされないと、何かを購買し、それで自分を満たそうとする。

けど、満たせない。

何故ならば、もともと、自分というアイデンティティーが個人を選択してしまっているので、孤独、寂しい、不安、恐怖を感じるようにセッテイングされているのが、

個人主義、資本主義社会の構造になっている。

満たされない、だから、外から何かを得て自分を満たそうとする。

それが資本主義社会の構造になっている。

それがお金を刷ってそれを消費するために、何かを購買して経済が循環すると言う仕組みになる。

なので、もしも今ここ満たされている状態で「あぁ、空気を吸えるだけで幸せだ」と車、家、家電製品、などなど物欲や、心を満たすための何か目に見えないカウンセリングなどのサービス商品を購入する必要がなくなる。

つまりは、経済が回らない。

だから資本主義社会というのは、孤独、寂しく満たされない人間を大量生産し、それを満たすための商品が存在し、その商品を買わせるのが資本主義社会になる。

だから絶対的に個人主義を作り出した資本主義社会の仕組みでは

人間は幸せになれないようになっている。

だっても、そもそも、始めから孤独、寂しい、不安、恐怖が設定されている状態だから仕方がない。

その個人主義、資本主義社会の限界を感じてなんとかしようとしている人たちもたくさんいるけど、そもそも、個人主義、この体が自分だ、という分離意識が問題だ、と思える人がほとんどいないので、

結局は、何も解決されずに、困り果てている。

なので、これからは個人という存在を変化させていく、つまりは

全体が自分というアイデンティティーを変化していく商品が必要になる。

そもそも、満たされない、という孤独、寂しさを解消するために人間は生きているようなもんだから、

その孤独、寂しさを根本から解決してしまう商品、サービスがあれば、バカ売れをするのは当然だ。

なので、今ではSNSとか、フェイスブック、など関係性を求めて人々のニーズがそこにスポットを当て始めている。

良好な関係性を求めて、パートナーを探したり、結婚したりするニーズに繋がっている。

分離したこの体の守備範囲が私だ、というアイデンティティーによって、孤独、寂しさを感じるように設定された社会が資本主義ならば、

これからは人間が幸せになっていく社会を構築するには、アイデンティティーを変化させる必要がある。

つまりは、もう孤独、寂しいと感じる私という出発を変えてしまう、そんな全く新しい商品、サービスが必要になっている。

その賞品、サービスが全ては繋がっている私、という境界線を広げた自分になるというイメージの拡張になる。

実は、昔の日本人は個人が自分というのがかなり薄かったように思う。それが、戦争に負けて、個人主義という教育が入り、

日本人の全ては繋がっているという和という精神が亡くなってしまった。

日本は類稀なる民族で、個という概念ではなく日本人という全体の概念が強かったように思う。

今は、個人主義が当たり前になっているので、その概念は想像することも難しいが、それが武士道の死ぬここと見つけたり、という言葉に要約される形になる。

死ぬというのは個が死ぬだけであって全体を活かすことにつながる。

人生とは、何のために生きるのか?という問いにもつながるけど、

人生とは自分の命よりも大事な存在のために生きる、というのが武士道になる。

つまりは、死んでもやりたいこと、それが生きる目的、ミッションになる。

自分が死んだ後でも、その意識を引き継いで、次の世代がそれを実践し続ける。

それが生きている、ということになる。

こういった概念を伝えても、個人主義があまりに強く浸透しているので、今の現在人は全く分からないと思う。

けど、その武士道である死を恐れずに自分の命以上の存在のために生きる、その生き方は、とっても強い。

強いし、ブレないし、情報化社会の中で、これだ!と選択ができる生き方になる。

人間が一番逃げたくなるのは、死に対する恐怖なので、死をも超えた使命、ミッションに出会うことが、

生きる、ことが許された唯一の人生なんだな、と最近感じるようになった。

何故ならば、死をも超えた意思によってしか、決断、選択はできないから。

その死をも超えた決断、選択以外の、選択は、誰かがやっているから、それを選択することで自分の体裁が守られるから。

などなど、どうしても自分の体という個を守るための行動パターンになってしまう。

つまりは死に束縛されて、今を生ききれない。

言い方は悪いかもしれなけど、今この瞬間に死んでしまっている。

生きることに執着して。

そういった生きることに執着して、決断、行動できない日本人が増えてしまった。

全体のために生きるなら、個人は死んでもいいという切腹や特攻隊の精神があり生きることができている人たちは、

生きている、活き活きしている。

なので、ちょっと話が脱線したかもしれないが、昔はいろんな恋愛コンサルをしているプロの方や、キャバ嬢50人にインタビューして、どんな男性がモテるのか?ということを聞いた結果・・・。

笑顔たっぷり、余裕たっぷり、そして夢、ビジョンを明確に持っていて、そこに向かって子供のように目をキラキラ輝かせている男性。

それがモテる男性だ、ということを教えてもらったことがある。

男性目線で申し訳ないですが、死をも超えた武士道精神の男性は、

悪徳政治家みたいに、自分の利子私欲のためじゃなく、

無我、自分の命よりも大事な存在のために生きる、という侍がモデルじゃないか、と思った。

自分の私利私欲のために生きる人は、超かっこ悪いな、と思うけど、それは自分も含めて、しょうがない。

何故、しょうがないかというと、個人主義、資本主義社会の仕組みの中で踊らされているから。

その根本原因が、自分という分離した状態を自分だと思い込まされて、孤独、寂しい、感情を抱えて生きている現代人だから。

だから孤独、寂しさを埋めるため「だけ」に生きているのが今の人間になる。

ということで、婚活、合コンパーティーの話に戻るけど、そこに参加する人たちのニーズは、

孤独、寂しい。という感情をクリアするために、安心、繋がり、満たされている、というキーワードがこれからのニーズになると思うけど。

そうかぁ。

だったら、自分自身が安心し、繋がっている感覚を持ち、常に満たされる。

そんな状態の人間がいたから、そこに、孤独、寂しいという感情をクリアしたい婚活、合コンパーティーに来る人たちが求めるニーズになる。

だから、一所懸命、モテよう、モテよう、と外の外見や仕草、テクニックを磨くんじゃなくて、

自分が全ては繋がっているという認識に変化することが、婚活、合コンパーティーなどで人気ができる。

というか、もうそんな人間力があれば、婚活、合コンなどにはいかなくても勝手に人が寄ってくる。

そうなると、婚活、合コンにくる人たちに、モテる人になるためのコンサルなどもできて、そこで仕事、ビジネスが発生し、

お金からも自由になってしまう。

だいぶ話が飛んだけど、人間の現在地を知ってしまえば、人間関係がこれからはビジネスになり、人間関係が人生を決定してしまうので、

ぜひ、自分の命以上に大事な「もの」を発見し、死をも超えた

生き方をすることで、決断、選択ができる自分になれるので、

自信満々を超えて、誰の影響も受けずに、決断、選択をし続けることができる不動の意思、安心感、圧倒的な繋がりからくる愛そのものになって生きることができるようになります。

そんな壮大なビジネスを考えて、まとめるために、ブログに描いてみました。

今日は、自分の頭の中を整理、整頓することがかなり強い形の内容になりましたが、

また次回、もっと細かく人間とは何か?人間とはどう生きるべきなのか?それを語りたいと思います。

それでは、また次回。