なぜ人と人は分かり合えないのか明確な根本原因を知ってますか?
- 2019.04.07
- 悟り(本当の自分)
人と人は分かり合えない。
と、分かっていても、どうしても人と分かり合いたい、と思ってしまう。
じゃぁ、なんで人と人は分かり得ないんでしょうか?
そして、分かり合えた、という状態とは
一体どんな状態なんでしょうか?
共有共感し合えた、分かり合えた、繋がった、などなど。
そんな分かり合えた感覚とは、状況とは一体???
まずは自分のことをわかってくれた、という状態はこんな感じではないでしょうか?
自分の考えを分かってくれた。まぁまぁ、分かってくれたな、うん。
自分の感情を分かってくれた。お、結構自分のことを分かってくれたな、おぉぉーっ。
自分のイメージを分かってくれた。なかなかここまで分かってくれる人はいないぞぉ!凄く嬉しい!
自分のアイデンティティーを分かってくれた。
自分でも気づかない無意識にある自分に対する認識を分かってくれた!感動!!!
と、自分のことや、相手のことを分かる、知るためには表面的な考え、感情を理解するだけじゃなく、考え、感情をも作り出しているイメージ、そのイメージをも作り出している
アイデンティティーまでもが分からないと、分かり合えている、とは言えないんじゃないでしょうか。。。
表面的な建前の自分と、同じく建前の目の前の相手と出会っても・・・
分かり合える、はずもないですね。
じゃぁ、本音の感情を出し合えば、分かり合える関係性になるんでしょうか。
試しに本音を言ってみれば分かりますが、相手を傷つけることになる場合だってあります。
人間の本音は、自己否定からくる他者否定をする存在が人間なんです。
なぜかと言うと、人間はらこの身体の範囲が人間である私なんだ、と選択してしまうことで、
閉ざされた鳥籠に窮屈に収まっているストレスバリバリの苦しい、悲しい、絶望を感じてしまう不幸な存在なんですね。
何か感じませんか?
無意識深く眠っている「得体の知れない」不安感や、焦土感、あせり、イライラ、恐怖を。
それが本来の人間であって、その「嫌な感じ」を解消、クリア、無くそうとしてきたのが人類史になるんですね。
その恐怖があることは隠しようもありませんね。
例えて言えば人間は、その恐怖が強烈にあるので、骨折、手足が腐って動かすことも出来ず、苦しすぎて声も出せない。
そんな悲惨な状態で、人のことを愛することはかなり難しいですよね。
自分が満たされてないのに、相手のことを考えられるわけありません。
もし、相手のことを考えれるような人がいたとしたら、それは、相手のことを考えることで、
「素晴らしいね」と賞賛されたり、褒められたりした過去の記憶とオーバーラップして、
相手のためのことを考えるパターンの傾向にあります。
つまりは、無意識深くにある恐怖を「賞賛、褒められる」ことで癒し治癒していることが多々あると思います。
ということで、人間の実存を知ると本当に悲惨、残酷なんです。
だから人類はずっと500万年間戦争の歴史なんですね。
なので、繰り返しになるけど、人間は自分という範囲が自分と思い込んだ瞬間に、
もうドンパチ戦争している状態なんです。
ニコニコして笑顔でステキな人。
そんな人がいたとしても、人間という範囲が自分と思い込んだら、即戦争状態です。
それほど人間というエゴの塊は強烈に自己否定、他者否定、環境否定をする存在なんです。
なので、そんな愛を感じる、満たされるという状態じゃないので、余裕がなく、
相手のことも思えず、もちろん相手のことも分かり合えない、ということになります。
とにかく、人間には余裕がないし、その背景にはこの世界、社会と自分は分離しているという
脳の癖、機能で、寂しさ、孤独をセッティングされているのです。
その真理のメカニズムを知ることで明確に
人と人が分かり合えないのが分かり、そこから
人という枠を超えた人類が今までにイメージしたことのないイメージである「1つの世界」
そこに出会うことで本当の意味で、人と人が出会えることが出来るようになります。
天才になるためには、自分がバカだ、と気づかないといけないように、
人と人が分かり合えないと気づくことで、初めて、人と人が分かり合える新しい道の開発、開拓が出来るようになります。
なので、今日のブログは人間であることは脳の癖によって人と人が分かり合えないんだ、と。
明確に挫折、絶望することをオススメします。
何事も現在地を明確に知ることから、全てはスタートします。
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