Yesマンはいい人じゃなく、悲惨な人

Yesマンはいい人じゃなく、悲惨な人

自分は以前にYesマンだったことに気づきショックを受けたことがある。

何でもかんでもYes、Yes、Yes!ばかりを言っていたので、

一見、人が良さようで話しやすい。

と思われがちだけど、それはNo!を言えない

薄っぺらい関係性になってしまう。

この思想は、こうだ。

「みんな違って、みんないい」

「そのまんまでオッケー!」

「全てをありのままで受け入れる」

などなど。

そういったステキ思考が実は・・・

フラットな関係性を作ることを妨害する。

それはどうゆうことかと言うと、フラットな関係性って「何でも言い合える関係性」に他ならない。

何でも言い合える関係性だから、正しい、間違いがない世界。

つまりは、Yesも、No!も、どっちでも言っても大丈夫な世界になる。

なので、「みんな違って、みんないい」という思考で「違い」に対して、いいね!Yesマンしか出来ないコミニケーションでは、

そこに固定されてしまっていることになる。

フラット、何でも言い合える関係性とは、

◯✖️、いい、悪いがない世界。

だから、怒りが悪い、不平不満がよくない、自己否定はダメ、というものない。

相手に対して、怒りたいのに、怒らない。

相手に対して、不平不満言いたいのに、言えない。

自分に対して、自己否定したいのに、しちゃダメだ!と押さえつける。

これって、言いたいことを言えず、やりたいことを出来ず。

凄く我慢して、ストレスがたまり、

疲れますよね?本当に。

なので、一見、素晴らしいな♪と思われるような倫理、道徳も、

それを徹底すると、我慢する、疲れてしまう、という心が健康な状態ではなくなる。

自分の場合も以前は、自己否定、他者否定、環境否定は、しちゃダメだ!

怒り、文句、不平不満は、言っちゃダメだ!と強烈に思い込んでいた。

なので、それを言わずに人の意見を全部、全て、素晴らしいんだ!と思い込むようにしていた。

その結果、何が生まれたのかと言うと、

我慢、疲れ、めんどくさい、だった。

人といると、我慢して、疲れて、めんどくさくなるので1人でいるほうが楽ちんだ、と思うようになってきた。

なので、自己否定、他者否定、環境否定をしない選択をして生きてきたので、

マイナス感情を出すイメージがなく、その結果、プラスの感情も出せなくなってしまった。

その嫉妬かどうかは知らないけど、

感情を出す人を見るとバカにしてしまう傾向にあった。

プラスも、マイナスも。

そもそも、プラスもマイナスもないのに、

勝手に、これはプラスだ、あれはマイナスだ、と決めつけて、

いつのまにか、感情を出さない人生を過ごしてしまっていた。

思ったこと、感じたことを言えない自分。

そう。

感じた感情を出す前に、これ言ったら嫌われるな、と自己防衛が働いていた。

さらに、その「嫌われる」という判断の奥には、自分の根本アイデンティティーがあり、

それが「どーせ自分は嫌われるんだ」という強烈な思い込み。

そのアイデンティティーがあるので、相手から何言われても、実は自分で自分をどう思うのか?

というアイデンティティーによって、自分の感情は決定されてしまっている!

そのアイデンティティーである、「どーせ自分は嫌われる」という固定から、

するりと一旦抜け出ないと、ずっと苦しむ。

それが実は人類共通の課題、限界である因果、カルマと呼ばれるもので、

そこから抜け出せない強烈な諦めもある。

それを突破できる道が明確にあるので、それをお伝えしたいのがあり

こうしてブログを書いている。

では、ちょっと話が長くなってしまったので、

このアイデンティティーから、一旦抜け出せる技術については、次回に語りたいと思う。

では、また次回ー。

ps

Yesマンはいい人じゃなくて、

我慢して、疲れて、悲惨な人だ。