Yesマンはいい人じゃなく、悲惨な人
- 2019.02.24
- 悟り(本当の自分)
自分は以前にYesマンだったことに気づきショックを受けたことがある。
何でもかんでもYes、Yes、Yes!ばかりを言っていたので、
一見、人が良さようで話しやすい。
と思われがちだけど、それはNo!を言えない
薄っぺらい関係性になってしまう。
この思想は、こうだ。
「みんな違って、みんないい」
「そのまんまでオッケー!」
「全てをありのままで受け入れる」
などなど。
そういったステキ思考が実は・・・
フラットな関係性を作ることを妨害する。
それはどうゆうことかと言うと、フラットな関係性って「何でも言い合える関係性」に他ならない。
何でも言い合える関係性だから、正しい、間違いがない世界。
つまりは、Yesも、No!も、どっちでも言っても大丈夫な世界になる。
なので、「みんな違って、みんないい」という思考で「違い」に対して、いいね!Yesマンしか出来ないコミニケーションでは、
そこに固定されてしまっていることになる。
フラット、何でも言い合える関係性とは、
◯✖️、いい、悪いがない世界。
だから、怒りが悪い、不平不満がよくない、自己否定はダメ、というものない。
相手に対して、怒りたいのに、怒らない。
相手に対して、不平不満言いたいのに、言えない。
自分に対して、自己否定したいのに、しちゃダメだ!と押さえつける。
これって、言いたいことを言えず、やりたいことを出来ず。
凄く我慢して、ストレスがたまり、
疲れますよね?本当に。
なので、一見、素晴らしいな♪と思われるような倫理、道徳も、
それを徹底すると、我慢する、疲れてしまう、という心が健康な状態ではなくなる。
自分の場合も以前は、自己否定、他者否定、環境否定は、しちゃダメだ!
怒り、文句、不平不満は、言っちゃダメだ!と強烈に思い込んでいた。
なので、それを言わずに人の意見を全部、全て、素晴らしいんだ!と思い込むようにしていた。
その結果、何が生まれたのかと言うと、
我慢、疲れ、めんどくさい、だった。
人といると、我慢して、疲れて、めんどくさくなるので1人でいるほうが楽ちんだ、と思うようになってきた。
なので、自己否定、他者否定、環境否定をしない選択をして生きてきたので、
マイナス感情を出すイメージがなく、その結果、プラスの感情も出せなくなってしまった。
その嫉妬かどうかは知らないけど、
感情を出す人を見るとバカにしてしまう傾向にあった。
プラスも、マイナスも。
そもそも、プラスもマイナスもないのに、
勝手に、これはプラスだ、あれはマイナスだ、と決めつけて、
いつのまにか、感情を出さない人生を過ごしてしまっていた。
思ったこと、感じたことを言えない自分。
そう。
感じた感情を出す前に、これ言ったら嫌われるな、と自己防衛が働いていた。
さらに、その「嫌われる」という判断の奥には、自分の根本アイデンティティーがあり、
それが「どーせ自分は嫌われるんだ」という強烈な思い込み。
そのアイデンティティーがあるので、相手から何言われても、実は自分で自分をどう思うのか?
というアイデンティティーによって、自分の感情は決定されてしまっている!
そのアイデンティティーである、「どーせ自分は嫌われる」という固定から、
するりと一旦抜け出ないと、ずっと苦しむ。
それが実は人類共通の課題、限界である因果、カルマと呼ばれるもので、
そこから抜け出せない強烈な諦めもある。
それを突破できる道が明確にあるので、それをお伝えしたいのがあり
こうしてブログを書いている。
では、ちょっと話が長くなってしまったので、
このアイデンティティーから、一旦抜け出せる技術については、次回に語りたいと思う。
では、また次回ー。
ps
Yesマンはいい人じゃなくて、
我慢して、疲れて、悲惨な人だ。
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