心験ストーリー
- 2019.02.15
- 日々の気づき
自分は支配する側と、支配される側の社会の構造が死ぬほど嫌だ。
人はもっと平等であり、人はもっと自由であり、もっと、もっと、もっと。
こんなもんじゃない!!! ・・・・はず。
と思っていた。
だからストレートに言うと、上下関係が本当に嫌だ!
だから昔、フラットで平等な生活をしていると思われるアメリカのインディアンに会いに行ったりしたんだ、とふと思った。
(けど、インディアンは文明の息がかかっていてジープを乗って登場してきた。。涙)
そして話は戻るけど。
自分は上下関係の下のポジションを取り、上の人の指示に従う、嫌だけど建前で、ニコニコ愛想笑いをしながら我慢して、
相手の言うとおりに行動をずっとしていた。
相手に合わせて建前で我慢するのが本当に嫌だった。
そんな時に、ふとなぜ?という質問が出てきた。
なぜ、相手に合わせないで、思ったこと、感じたこと、自由に好きなときに、好きなことをしないんだ?と。
わがままに相手のことを考えずに、自由に行動したら、
「何も問題ないじゃん。」と。
なんで思ったこと、感じたことを言わないんだろう?と疑問がまた浮かんだ。
思ったこと、感じたこと、素直に言うと、どうなるんだろう?
そんな疑問。
なぜ、思ったこと、感じたこと、自由に、好きな時に好きなことをすれば問題ないのに、
それをやらないんだろう?と。
その答えが・・・
好きなことを自由に我儘に、相手のことを考えずに行動すると、
怒られて嫌われる、という感情が無意識に存在していることに気づいた。
端的に言うと好きなことをすると、自分が幸せになる、楽しくなると、人から嫌われる、と思い込んでしまっている。
だから、人から嫌われるから嫌なので、人から嫌われないように「しよう」「しよう」と思い続けてきた。
なので、自分の人生は人から嫌われないようにする。
という人生だったことに気づいた。
でも。
人から嫌われないようにしよう、としても、その願いは叶わないようになっている。
なぜなら、人生は思い通りにならないようになっているから。
嫌われないようにしよう、という背景には、
「私はどうせ嫌われる存在だ」というアイデンティティーがある。
そのアイデンティティーは人間には気づかれないようになっている。
その自分で自分をどう思うのか?というそのアイデンティティーが全ての人生を決定づけてしまうのにも関わらずに・・・。
なので、自分の場合は、どんな優しい、嬉しい、有難いような場面に出会ったら、
「どーせ人から嫌われるんだ」という現実が立ち上がる。
だから、人生とは周り、環境などは一切関係ない。
自分で自分をどう思うのか?そのアイデンティティーで、イメージ、感情、言葉、行動が決まってしまう。
だから、自分で自分をどう思うのか?が決定されているので、
それを因果、カルマ、宿命という名前で捉えている場合もあります。
なのである意味、自分の人生は、全部自分で決めている。
ということが言えると思います。
けれども、考えや、辛うじて感情は何とか変化しようと人類はたゆない努力をしてきましたが
アイデンティティーを変える方法は実はなかったんです。
アイデンティティーは、個人もあれば、個人が作られた親もあります。
さらに親をも作っている例えば日本人というアイデンティティーもあります。
日本人から、こんどは地球人。
さらき地球を超えて世界の人、さらに宇宙の人。
さらにさらに、今度は宇宙が生まれる前のポジション。
このポジションに行かないと本当の自分に出会えません。
アイデンティティーとは、自分で自分をどう思うのか?という質問とイコールですが、
個人の背景には地球人、宇宙というバックボーンが存在しています。
なので、アイデンティティーを変化させるのは、個では無理で(繋がっているので)
全部の繋がりを、つまりは全体を変化させることで、勝手に、オートで個人なんかは簡単に変化が出来るようになっています。
つまりは、宇宙が生まれる前である、神様、サムシンググレート、真空エネルギーからみた世界から、個という存在の繋がり関係性をイメージしていく必要があります。
そのイメージを持てるようになると、アイデンティティーの変化が出来るようになります。
どうですか?
アイデンティティーを変化させたくないですか?
-
前の記事
ダンス、ギター、演出、何やっても満たされない・・・ 2019.02.12
-
次の記事
「効率」は人間の尊厳を殺してしまう。 2019.02.17
コメントを書く