ダンス、ギター、演出、何やっても満たされない・・・

ダンス、ギター、演出、何やっても満たされない・・・

昔、ギターの弾き語りや、ダンス、スターウォーズのパロディの脚本などなど。

そうだ。

陸上をやっていたから地区大会の100メートル走で優勝したときも・・・

達成、優勝、みんなから「良かったね」と言われても心の奥底には虚しさが空虚に佇んでいた。

「む、む、虚しい。」

この感覚。

だから高校時代にハードルの選手をしていたけど、大会に出場すれば、必ず優勝出来るのに、

肉離れをした、と嘘をついて大会には出場しなかった。

今にしてみれば、優勝しても気持ちが嬉しくなく「虚しさ」の終着地点が分かっていたからだと思う。

では、その虚しさの終着地点は一体何だったのか?

これが人類、日本人、そこからくる個人の

因果、カルマから抜けれない挫折、諦め、苦しみ、悩みになる。

どんなに億万長者になろうが、地位名誉を得ても、素敵なパートナーに出会えようが、

こころは虚しい。

それは、個人の問題じゃない。

そのように人間が設定されている。

自分の場合は、無意識深くに「わたしはどうせ嫌われる」という諦め、挫折、涙があった。

あったけど・・・

それが宇宙の生まれる仕組みとして理解、納得したときに、

虚しさから永久に解放された。

永久に。

この永久に、というのがミソであって、

それは何を意味しているのかというと、理解不可能とされていた絶対世界を理解できた瞬間になる。

その瞬間から自分のミッションにスイッチが

入って、自分は宇宙をクリエイトする、つまり

宇宙を創ったり、破壊したりする創造主をも

大量生産する案内人なんだ、と。

宗教をやっていたせいもあり、人間は神様をも超える存在であり、その神越えプロジェクトを立ち上げたことになる。

宇宙をクリエイトする人を大量に作り出す案内人。

もっとストレートに言えば、悟りを伝えて、悟りを人に伝える人を大量生産する役割のために、生まれた。

という使命、ミッションのために生まれたんだ、と腹に落ちた。

なので、どーせ私は嫌われるという自分を選択したのは、

本当の愛を知るために、自らが「わざと」嫌われる私という選択をし、

嫌われる感情をたくさん感じ、それを涙のエネルギーに変えて、人の心を動かすために仕組んだ自作自演の映画の中の、

俳優さんだった、ってことに気づいた。

もし、この文章を読んで気になった方は

ぜひ、メッセージ下さい。

それでは、今日は何やっても虚しいのは?

というテーマでお届けしました。