怒りが生まれる仕組みが見えたら「嫌われる!」という感情に囚われなくなるよ。
- 2019.01.05
- 対人恐怖症・人間関係
- ■嫌われたくない感情
自分はいつも、いつも「嫌われたくない」という感情に掴まれて
人生をずっと過ごしてきました。
「嫌われたくない!」という感情があるってことは、その背景には必ず
「嫌われている私」というものが強烈にあるんですね。
嫌われている私 → 嫌われない私になる
こんな感じ。
その嫌われている私というアイデンティティーが強烈に固定されているので
何やっても、「嫌われた!」という感情が発動する。
「大丈夫?」と言われても「嫌われた!」と思い込み、
「愛しているよ」と言われても「嫌われた!」と思い込み、
「もっと頑張ろうよ」と言われても「嫌われた!」と思いこみ、
何があっても、どんな条件、状況になっても最終的には「嫌われた」という
感情を選択してしまう。
そんなつもりはないけど、無意識深くにそのボスキャラ的な感情の存在が、ドカっと
腰を下ろして座っている。
■「嫌われた」というのは具体的にどうゆうことなのか?
この「嫌われた!」という状況は、一体どうゆう状態なのか?
それが分かれば、実はこの「嫌わている私」という強烈なアイデンティティーから
抜け出る「きっかけ」になる。
自分の場合は、嫌われているという状況は、「怒り」に触れたときに起きる。
その怒りはいきなりは生まれないので、怒りをも生み出す背景がある。
それが悲しみ、不信になる。
何かしらの状況によって、悲しみ、不信になり、それが爆発したのが「怒り」の正体。
なので、自分が言った言葉、行動によって、
相手が「悲しみ」「不信」を抱いたときに、それを表に出すのか?出さないのか?
悲しみ、不信を表に出す人は怒として表現する。
じゃぁ、この悲しみ、不信はどうやって生まれるのかと言うと
その人の精神状態で反応するだけになる。
それが、孤独であり、寂しい感情にどっぷり掴まれているときに、反応しやすい。
それは「孤独、寂しい私なんだ」という認識によって、
その孤独、寂しさを満たしてくれる行動をしてくれる人は、いい人。
その孤独、寂しさを満たしてくれない行動をする人は、悪い人。
という分けて考えてしまう。
■人間はみんな孤独、寂しさを抱えて生きている
こういった「怒り」というのは表面的に表れている現象なので、内面には
孤独、寂しさをみんな抱えている。
なぜかというと、この世界はすべてが繋がりあって活かしあっているにも関わらずに、
いつしか、「私」という個人、エゴを膨らませることによって資本主義社会が成り立ってしまっているので、
個人主義という当然、「孤独、寂しさ」を強調して、それを補う商品を売る、という構造になって
しまっている。
本来ならば、自分たちは宇宙、地球、すべての人たちと繋がっていて、分離がない世界に
住んでいるんだ、という安心する教育、仕組み、社会を構築するべきはずなのに、
個人主義を扇動し、「あなたは、孤独で寂しいですよね?だから孤独、寂しさを紛らすために、こんな楽しい映画、TVを
みてね。そしてCMで流れている商品を購入すれば、もっとハッピーになるよ」
という情報をガンガン入れ続ける。
なので、個人主義、借金を作り個人を満たすための資本主義社会には限界が来ている。
もう個人主義、資本主義社会では、人間は幸せになれない、というのに気付いている人たちがたくさんいる。
個人というエゴを強調する情報を入れ込むのも問題だけど、
その背後には、実は、人間の機能、つまりは、人間の脳が、この世界を1部分しか認識できず、
自分という個と、その他、という分けてしまう分離意識を持っていることが実は、
大きな問題なんですね。
人間自体が、全体をみることできずに、部分しかキャッチできない。
なので、人間は自分とその他を分けてしまい、そこから孤独、寂しさが発生し、
それが悲しみ、不信、と発展し、その蓄積によって、
爆発するのが怒りになる。
なので、人間は誰もが怒りを持っている。
よくキレる若者が増えた、と言っているけど、人間は大人だろうが、若者だろうが、みんなキレる存在。
みんな怒りを持っている。
ただ、それを我慢するか、しないかの違いだけで、
よくいい人は早く死んでしまうよね、と言われているけど、いい人、悪い人もいなくて、
ただ「いい人」と思われやすいのは、怒らないで、我慢しているだけ。
人間は誰でもこの世界と分離して孤独、不安を感じていて、その孤独、不安が
何かの「きっかけ」「拍子」によって、悲しみや、不信が発動する。
例えば、自分の言ったことを相手が共有、共感できない、という悲しみや不信が
生まれたとする。
これは、もともと自分とその他という分離から、孤独、寂しさを選択してしまっている
からなので、相手が原因ではない。
全部が繋がっているという、普段の人間の脳が認識する世界じゃない認識。
全部が1つになっている。全部が繋がっている。
その認識、そのイメージで、常に、常に、安心、分離をなくしたイメージの蓄積をしていれば、
今後は、一切、相手が問題だ、と言えなくなる。
もし?
問題だ、と認識したいのなら、問題だ、と認識している自分の認識が問題になる。
その問題を生み出している根本問題こそが、人間そのものに備わっている分離意識。
自分が個人で、その他大勢、という分離した認識をすることで、
孤独、寂しさを蓄積し、それがある「きっかけ」によって、悲しみ、不信になり、
それがまた同じように蓄積し続けると、怒りという感情によって爆発する仕組みになっている。
■まとめ
なので自分がいつも「人から嫌われたくない」とビクビク人の顔色を伺って
生きてきましたが、
嫌われるというイメージが、相手が、「悲しんでいる」「不信になっている」
「怒っている」という顔をしているときに、それを感じる。
感じてしまうけど、常に、悲しみ、不信し、怒っている人は嫌いだったけど、
それが人間として正直な人と思うようになった。
逆に、常に、悲しんでなく、不信もなく、怒りを出さない人は、人間らしくない、と
思うようになった。
基本は人間は脳の機能によって、自分、相手、と分離して、そこから、孤独、寂しさ、悲しみ、不信が
生まれてくるので、それを蓄積して生きているので、
いつかは、怒りという感情の爆発が起きるようになっている。
人類史は、このように自分という個を認識した瞬間に怒りが爆発するようになっているので、
その怒りを爆発させないように、我慢する、ということをしてきた歴史がある。
なので、怒りはよくない、我慢しなさい、という教えがたくさんある。
それは人間に蓋をするような行為なので、ストレス、病気になってしまう。
さっきも言ったけど、実はいい人というのは存在してなく、
ただ怒りを我慢しているだけ。
人間はみんな怒っている。
その人間の現在地を知れば、なぜ人類史に戦争がなくならないのかも、
よく分かる。
みんな孤独、不安を抱えて生きている。
それが蓄積されて、みんな怒っている。
その怒りを爆発させるために、ストレス発散という形で、運動や、カラオケ、もしくは
何かしらの発散をしている。
なので、人間は全員、常に怒っているんだ、という認識に変化したときに
変に、怒らせて嫌われないようにしようと、気を使わなくなった。
何をしても、どんなことをしても、目の前の人は悲しんでいるし、怒っているので、
自分はどうしようもないから。
ただ、ひたすら、自分という個が存在しているという認識を蓄積していくのか?
もしくは、すべてが繋がっている安心の認識の蓄積をしていくのか?
ただ、それだけだな、と。
ということで、今日は、
怒りが生まれる仕組みを知れば「嫌われる!」という恐怖から脱出できるよ。
というテーマでお届けしました。
ありがとうございました。
-
前の記事
失敗することを恐れて何もしないのが失敗だった、とは。 2019.01.04
-
次の記事
人間の悩みは「自分が何者なのか?」に全部集約される 2019.01.05
コメントを書く